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3回目で受診をやめた話と2回目で受診をやめた話 [心の治療ひよこ組]

最初に自己紹介として述べておくが、わたしは摂食障害である。7年目の中堅だ。世の中には30年目の方もいるらしいから中堅としておく。現在は過食嘔吐に悩まされている。「過食嘔吐って何?」と思われる方もいるかもしれないが、大量に食べて吐くことがやめられない病気だ。もし気になったなら検索してみてほしい。
2020年5月中旬、緊急事態宣言による自粛生活ですっかり心が参り、過食嘔吐が急激に悪化した。そもそも、休日は取り敢えず外に出るタイプだった。恋人や友達と会って話したり遊んだり、何も予定が無くてもイオンモールをぶらぶら巡ったり、スターバックスで勉強したり、電車で都内まで行って観光したりするのが好きだった。それが一切出来なくなり自宅に引きこもることを余儀なくされたのだ。
もう一つ自己紹介をさせていただくと、わたしは職場でミスを連発しまくる2年目のポンコツである。4月から入った新人のほうがわたしよりよほど優秀である。ミスをして迷惑をかけてしまうことへの罪悪感、新人への引け目、何もできない自分への無力感。わたしは職場の人とまともに話せなかった。ただの雑談を持ち掛けられるのも恐怖だった。表ではニコニコしていても、裏では「2年目のくせに」と思われているような気がしたから。
それでも今までは仕事のストレスを週末に解消して「何とかなっていた」のだが、先述したように緊急事態宣言によって完全に逃げ場が無くなった。誰とも会えない、どこにも行けない。何も楽しみが無い状況で、最後にポツンと残ったのは「食」だった。
休日だけでなく、平日も酷い過食をするようになった。勤務が終わる頃になると、脳内にはプロパガンダの如く食べ物のイメージが張り巡らされている。職場を出るなり走り出しそうな勢いでスーパーへ向かい、大量の食物をカゴに放り、早く早くと苛々しながら会計を済ませ、スーパーの自動ドアから出た瞬間に袋を開けて貪り食う。
酷いときは一日に5回過食と嘔吐を繰り返し、ついにお金が無くなった。事情を話して兄に5000円借りた。情けなさに押しつぶされそうになりながら「10万円給付入ったら返すね」とラインしたら「返さなくていいよ!今度実家帰ってきたら飯おごって」と返信が。勿論5000円は返したが、お金そのものより、兄のケロリとした優しさに救われた。兄がいなかったら今頃どうなっていたのだろう。

とにかく生活が立ち行かなくなり、「これはもう自分の力でなんとか出来るレベルじゃない」と白旗を上げた。そこでメンタルクリニックを受診することにした。仕事上のミスはADHD特性によるものではないかと見立てていた。「ADHDって何?」という方もいるかもしれない。発達障害の一つで、多動性・衝動性・不注意を特徴とする。簡単に言えば、そわそわしがち・良く考えずに行動しがち・忘れ物やケアレスミスをしがちなど、語弊があるかもしれないがそんな感じの障害である。もし気になったら検索してみてほしい。わたしは過食嘔吐についてもADHDの「衝動性」が関わっているのではないかと思っていた。要は「食べたい」という気持ちが浮かぶと、後のことを考えられずにスーパーに行ってしまう。それが「衝動性」なのではないかと考えたのだ。だから、発達障害の治療が可能なところで絞り込みをかけた。その中で、摂食障害の治療も可能と書いてあったクリニックを見つけ、そこにした。電車で1時間45分かかる場所だった。

初診。個人情報を記入する紙と問診票を渡された。
①仕事上のミスが多く、ADHD的な発達特性によるものなのではないかと考えていること。
②過食嘔吐がやめられず、これに関しても衝動性が関わっているのではないかと考えていること。
主にこの2点を問診票に書いた。自分の状態を克明に伝えなければいけないと思って、かぶりつくように書いていた。すると横からスッと手が伸びてきて「診察室どうぞ~。途中でいいですよ~」と問診票を取り上げられた。若い男性の医師だった。どう見ても20代である。ひょっこり背が高く、ボサボサの髪に丸い眼鏡。初対面の印象としては「冷蔵庫に消費期限切れの調味料が大量に入ってそうな人だな」と思った。
こわごわ診察室に入り、「よろしくお願いします」と一礼して椅子に腰かけた。固く体を縮こめているわたしの前で、医師はまるで半紙に筆を滑らせるように問診票に目を通し「ふーん、ADHDね~」と呟いた。わたしは職場でどんなミスをするのか具体例を挙げながら説明した。身振り手振りすらつけていたような気がする。一通りふんふんと話を聞いたあと、医師はわたしをチラッと見遣り「典型的な発達障害の感じはしないですけどね~。2年目なんて失敗するもんじゃないですか?僕が2年目の頃はもっと酷いもんでしたよ」と言った。わたしは「はあ」と答えたと思う。「でも、過食が衝動性からきてるとしたら、それを抑えることで過食が無くなるかもしれませんね。一応薬飲んでみます?」ということで、ADHDの治療薬、ストラテラを服用することが決まった。ADHDの薬は「一応予備の資料印刷しておきます?」くらいのノリで貰えるのだということをそのとき初めて知った。ストラテラは効果が表れるまで4週間~6週間かかるとのことだった。また、医師に「夜は眠れます?」と聞かれ、そういえば夜、過食衝動のために起き続けて睡眠時間が不足することがあるな、とふと思いだしてそれを伝えた。入眠剤であるゾルピデムも処方された。
医師に「インスタやってます?」と聞かれた。唐突すぎてポカンとしたが「はい、まあやってますけど……」と答えると、「インスタグラム、ツイッター、Youtube公式チャンネルもあるので、暇なときにでもぜひ」と流れるように宣伝された。そして初診が終わった。
帰りながら「成育歴とか何にも聞かれなかったな」と思った。前にお世話になっていたクリニックでは、初診のとき十数分かけて家族構成やどんな幼少時代を送ってきたかなどについて聞かれた。色々なトラウマが呼び起されて、しどろもどろになって上手く話せなくても「そっか、そうだったんだね」と穏やかに話を聞いてくれた。まるで春の太陽のようなおじいちゃん先生だった。今思えば、あのクリニックを離れたのが間違いだったのかもしれない。

とにかく、ストラテラとゾルピデムのある暮らしがスタートした。
1日目。ストラテラの効果は勿論わからない。一方ゾルピデムは初めて飲んだとき衝撃的な体験をした。飲んだ後、テレビを耳に流しながらスマホでツイッターをし、眠気が訪れるのを待っていたら、画面の文字がふよふよ泳ぎだした。遠泳のように、ゆったり気持ちよさそうに泳いでいた。テレビの音声の中から耳が断片的に「授業」「黒板」「椅子」などの単語を拾うと、今度はさっきまでふよふよ泳いでいた画面の文字が椅子に座り、黒板を前にして授業を受けはじめた。文字が授業を受けていた。自分でも何を言っているのかわからないが、とにかく文字が授業を受けていたのだ。やがて一反木綿のような、半透明のつるんとした薄い物体が、画面の表から裏をくるくる回り始めた。ふと部屋の隅のギターを見遣ると、オレンジ色の猫がサウンドホールの中に入っていった。後のことはよく覚えていないが、なんとかベッドに辿りつき眠っていたようだった。朝起きたらテレビも電気も点きっぱなしだった。眠る直前に投稿された自分のツイートがサイコホラーだった。
薬は両方とも飲み続けたが、その後もストラテラの効果はわからず過食は相変わらずで、ゾルピデムは時々幻覚を見たがある程度入眠に効果があった。「ある程度」というのは、ゾルピデムは双極性障害による不眠症には効果が無いらしい。それと関係があるのだろうが、泣いたり怒ったりして神経が昂ぶっているときはゾルピデムを飲んでも眠れなかったのだ。強い過食衝動があるときも駄目だった。ふらふらになりながら食べ物を買いに行ってしまう。理性が鈍っている状態なので尚更酷い過食をした。過食衝動のせいで眠れないからと飲み始めたのに、飲んでも眠れずに結局過食するなんて馬鹿げている。
タイミングの悪いことに何故か36.9~37.2℃程度の微熱が続き、コロナウイルス感染疑いのためわたしは一週間出勤停止を喰らった。仕事をしていればせめて気が紛れたものを本当に引きこもりになってしまい、もう極限状態だった。生活にはもはや「食」しか無かった。朝起きては涙が止まらず、過食して嘔吐して泣き疲れて昼に眠って、目覚めるとまた涙が出てきて、過食して嘔吐して過食して嘔吐して泣き疲れて眠って。「起きていると苦しいのだから、ずっと眠っていればいいんだ」と輪ゴムで括られたゾルピデムのシートをじっと見るようになった。実行せずに済んで本当に良かったと思う。
微熱が収まり、出勤停止が解除されて職場に復帰した。相変わらずミスを連発し、指摘される毎日が戻ってきた。「うみこさんは思い込みで行動しないで」と先輩に言われた。心臓にピックを突き付けているくらいの気持ちで注意していても、何故か思い込みで行動してミスすることを繰り返した。その度に同じことを言われた。どうやったら思い込みで行動しないということが出来るのだろう。わからなかった。つらかった。

2回目の受診で、わたしは上に書いたような状況をザッと話した。興奮しているとゾルピデムが効かないということについては、「まあ、興奮しているのをスッと魔法のように抑える薬なんてありませんからね~。仕方ないですね」とのことだった。過食と仕事のミスについては、ストラテラが効き始めたら変わってくるだろうとのことで処方継続となった。診察は3分もかからなかった。待合室でカップラーメンにお湯を注いでいたとしたら、診察が終わったときはまだアルデンテだっただろう。わたしは固めのが好きだが。

しかしその後もストラテラの効果を実感できないまま、飲み始めてから1ヵ月が経とうとしていた。過食も仕事のミスも相変わらずだった。
ただ、緊急事態宣言が終わり、恋人と会えるようになった。会えない期間は、ラインしてはつらさを吐露、電話しては毎度号泣。とんでもないメンヘラ女である。本当に申し訳なくて「ネガティブな話ばかりしてごめんね」と謝ると、「ネガティブな話もいっぱいしていいよ」「貴女にちゃんと寄り添える人になりたい」「ネガティブな話を打ち明けてくれる人がいるってどんなに嬉しいか」とまあ、こんなことを言ってくれるような恋人である。下手なトランキライザーよりよく効く。久しぶりに会って恋人の成分を直接摂取することで、みるみる心は安定していった。過食は一日1~2回に落ち着いていった。
生活が落ち着いてくると、ふとひらめきがあった。「仕事のミスの多くはADHDの特性などではなく、対人不安によるコミュニケーション不足から生まれているのではないか」ということに気が付いたのだ。人が怖いから、必要最低限の報・連・相で済ませようとしてしまい、確かに緊急では無いけど積もり積もれば大事になりうる情報が周囲に伝わらない。人が怖いから、失敗したときに「自分がどうしてこういう行動をとったのか」を正直に説明できず、改善案が生まれない。
自分としては「太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているんだ!」くらいの衝撃的な気付きだった。

3回目の受診で「ストラテラをやめたい」と伝えた。その判断に至った自分の考えも伝えた。医師はパソコンの画面を見ながら相槌を打っていたが、椅子ごとくるっとこちらに向き直ると「そうですか。じゃあやめて様子見ましょう」とあっさり言った。「ゾルピデムは継続でいいですか?」「あ、はい」「じゃあ2週間後にまた来てください」
診察が終わった。アルデンテどころじゃなかった。

わたしはクリニックを出た後、少し考えて、クリニックに電話した。「やっぱり次の受診の予約を取り消してほしい」と告げると、受付の人は「そうですか、わかりました」と、言葉尻に申し訳なさを滲ませていた。わたしも少しだけ申し訳なくなったが、すっきりした気持ちで帰りの電車に乗り込んだ。
1分もかからない診察のために、1時間45分×往復の時間と交通費を浪費するのをやめたのだ。処方箋を書くだけならボールペンでいい。さよならボールペン先生。Youtube公式チャンネルの登録者増えるといいね。知らんけど。

しかし、次のクリニックを探さなければならなかった。次はもっと通いやすいところがいいと思って、近場で探したら4つほど見つかった。あまり選択肢も無いし、どの院も特色無さそうだったので、そのうちの一つに電話をかけて予約を取り付けた。

そして初診。受付には3人の女性がいた。わたしが近づいても誰もこちらに視線を向けず、何やら書類をせかせか整えている。誰に声を掛けたらいいのかもわからず、恐る恐る「あの、10時から予約していたうみこです」と言うと「初診の方ですかー?」と長い黒髪を後ろで束ねたポッチャリした女性が答えた。「保険証ありますかー?」と聞かれ、「あ、はい」とわたしが財布をゴソゴソしている僅かな間にも、書類をせかせか整えている。保険証を出すと、それを左手で受け取り「お預かりしますー。ではこちら問診票にご記入をお願いしますー」と右手で問診票を渡された。そしてまた書類をせかせかしはじめた。なんだ。なんだこの感じ。見覚えがある。問診票を書きながら「すき家だ」と思った。すき家のお会計だ。
問診票には ①対人不安 ②睡眠の不安定さ について主に書いた。
問診票を書き終わり、提出すると「順番にお呼びするのでお待ちくださいねー」と言われたので待った。待っている間、待合室がにわかに混んできた。30席ほどがあっという間にほぼ埋まった。わたし以外の名前が呼ばれ、次々に人間が診察室に吸い込まれては吐きだされていく。見ていると、吸い込みから吐きだしまで1分足らずの患者もいた。「こりゃだめだ。ボールペン先生だ」と悟ったが、まあ会いもせずに決めつけるのは良くない。予約の時間は10時で、初診だから時間がかかることを見越して9:40には到着していたのだが、10:15、10:30、10:40……まだ呼ばれない。初診の患者を後回しにしているのだろうが、まさか忘れられているのでは?と思い、10:50に思い切って「あの、10時に予約していたうみこなのですが」と恐る恐る言うと、茶髪の女性が顔を乗り出してきて目をカッと見開き、「次、呼ばれますから」とわたしに告げた。「次」の言い方が納豆のようにネバッとしていた。めかぶでもオクラでもいいのだが。

確かに「次」に呼ばれた。診察室に入り「よろしくお願いします」と挨拶すると、医師は「はい、よろしく」とまるで服の塵を払うように言い、問診票に目を落としはじめた。白髪が混じり始めた50代くらいの先生だった。眉と眉の間がずっとギュッと寄っていた。
「えー、対人不安と睡眠ね……」と医師は鼻の先で呟いた。今まで服用してきた薬について説明を求められた。ストラテラを飲んでいたが効果が無く中止したことを医師に伝えた。「ストラテラって、てんかんあるの?」と聞かれ「は?」とポカンとするわたし。薬の資料をペラペラ捲り「あ、てんかんじゃないや、ADHDの薬か」とひとりで納得したので、わたしも「はあ」と言った。
「ふーん。ADHDの薬を飲んでたのね……。優先順位をつけるのは苦手?」と聞かれた。優先順位をつけるのが苦手かどうかなど考えたこともなかった。「それほど苦手ということは無いと思うんですけど……よくわかりません」と言うと、「ふーん」と言われた。「わたしは仕事のミスがADHDの特性によるものではなくて、対人不安によるものが大きいのではないかと考えたんです。だからストラテラを中止しました」とまっすぐ医師を見て伝えたが、医師は薬の資料に目を落としながら「ふーん」と呟いた。
「とりあえず、これとこれ、待合室で書いてきて」と2つのチェック表を渡された。一つは対人不安に関するチェック。もうひとつはタイトルが修正テープで塗りつぶされて印刷されていた。が、内容からして明らかにADHDのチェック項目だった。先入観を植え付けないようにするために塗りつぶしてあるのだろうが、項目を見てピンと来てしまったから意味が無い。患者によっては勿論、塗り潰してあったほうがいい場合もあるのだろうが。そのときわたしは自分がADHDだろうが何だろうが、そんなことより対人不安が問題だと思っていたから釈然としなかった。
チェック表を記入して受付に渡すと、暫くして再び診察室に呼ばれた。チェック表を見ながら「優先順位をつけるのは苦手?」と聞かれた。それさっきも聞いたよね、そしてチェックしてあるよね、と思いつつ「いや……」としどろもどろになっていると、「自分の中で、これを先にやる、とか考えて行動するのは苦手?」と聞かれた。言い方を変えただけである。その勢いに押し切られて「うーん、もしかしたら苦手かも……」と答えてしまった。その後もチェック項目に沿って、というかチェック項目をそのままなぞる質問をされた。思い当たる節があることについては、わたしもエピソードも交えて話した。
一通り質問が終わった後、わたしは思い切って「それADHDのチェック項目ですよね。ADHDの特性も無くは無いのかもしれませんが、自分ではASDの傾向を強く感じているんです」と伝えた。医師は「まあ、同じようなもんだからね」と言った。同じようなもん。
わたしの言い分を清々しく無視した医師は、「あなたね、ADHDの所見があるから絶対治療したほうがいいよ」と言った。殆ど誘導尋問で下した診断である。わたしは咄嗟に、ここで流されてはいけないと思った。「ADHDの可能性は確かにあるのかもしれません。でも、わたしが今一番困っているのは対人不安なんです」と答えた。すると「ADHDの患者さんはだいだい対人不安も持ってるからね」と言われた。ADHDの一部の患者がそうというだけであって、対人不安がADHDを裏付ける証拠にはならないはずである。釈然としないでいると、「対人不安の項目も確かに高いんだけどね。ADHDの傾向あるよ」と言われた。対人不安のチェック項目は本当に思い当たることばかりで、殆ど⑤(とてもよく当てはまる)でチェックした。でもADHDのチェック項目は⑤にチェックした部分は殆どなく、②~③が殆どだったと思う。これはわたしの願望だが、医師はチェック項目の集計を間違えたのだろうか。
わたしは一切言い分を譲らず、対人不安と過食嘔吐への対策としてセパゾン(安定剤)を勝ち取った。仮に「ADHD」という医師の診断が合っていたとして、自分が納得できない状態で治療をはじめたくなかった。まずは「仕事上のミスの多くは、対人不安によるものである」という自分の仮説を検証しなければならない。「ゾルピデムも処方してください」とお願いした。先述したように幻覚・過食などの問題もあったが「無いと眠れないのでは」という不安があったからである。

そして今回の戦利品であるセパゾンと、「引き続きよろしく」なゾルピデムのある生活がはじまった。これがビックリ。一概にセパゾンのおかげとは言えないかもしれない。他の要因もあるかもしれないが、対人不安が泡のように消えていったのだ。
今まで人との会話では、言葉の選択はこれであっているか、相手の目を見れているか、表情や声のトーンは場面に適切だったか、相手を不愉快にさせていないかなど、「上手く会話できたかどうか」ばかりが気になっていた。ただの雑談ですら本心で話すということはとても困難だった。過去の会話の経験からその状況にあった返しを選び、当てはめる。工場作業のような感覚。そして会話が終わった後で「変に思われなかっただろうか」とずっと気にしていた。
それが無くなった。本心がそのまま言葉になって相手に届く。「普通に話す」感覚を知った。コミュニケーションが恐怖じゃない。今までわたしは足に鉄球をつけて泳いでいたのだ。そりゃ疲れて溺れそうにもなる。鉄球を外して泳いでみると、日本海を渡って中国までいけそうな気がした。
仕事が苦じゃなくなった。対人不安が無くなったので、滑走剤スプレーしたんかな?というくらい職場の人とコミュニケーションが上手くいく。しかし、対人不安によるミスが無くなったことで、発達特性上の苦手さが浮き彫りになったのだが、それはまた別のnotoにしようと思う。
ただ、過食はボチボチといったところだった。過食しない日もあった。それだけでも十分な改善だが、仕事でとても嫌なことがあるとやはり食に逃げてしまった。ゾルピデムでスッと眠れないとき、フラフラになりながら過食してしまうことも相変わらずだった。

2回目の受診で、セパゾンが好調かもしれないことを伝えた。ただし、量を増やして試してみたかったし、半錠の処方だと袋に入っているのでピルケースに入れることができない。一錠で処方してほしかったので「うーん、何となくいい感じはするけど、よくわからないです」という感じで伝えた。もはや「いかにこの医師を上手く操って、自分の思い通りの処方箋を書いてもらうか」という思考である。わたしはわたしがちょっと怖かった。だが勿論、処方の結果何があっても全責任はわたし自身にあるというつもりではいた。医師は「じゃあ、今度は半錠じゃなくて一錠にしてみましょう」と言った。バレないように一瞬ピースした。

医師とのお別れは突然に訪れる。
医師に「吐き気は?」と聞かれた。一瞬何のことかわからなくてポカンとした。セパゾンの副作用で説明を受けていたのは、眠気だけである。吐き気も副作用にあったっけ?と思ったが、そこでふと「あ、もしかして過食嘔吐のことですか」と思い当たった。「そう。続いてるの?」と聞かれた。
過食嘔吐は勿論、吐き気があって吐くわけではない。勿論過食すれば吐き気が訪れることもあるが、基本的に自己誘発性嘔吐、つまり意図的に吐くのである。もしや医師は吐き気によって過食嘔吐をしていると思っていたのだろうか。いや、流石にそれはないかもしれない。しかし、この医師は過食嘔吐に対する理解が薄いということを、その一言で十分に察した。
「あー、ボチボチです。困っているのは、ゾルピデムを飲んでもスッと眠れないとき、判断力の鈍った状態でフラフラになりながら食べものを買いに行っちゃうんですよね」とヘラッと言った。ヘラッと言ってしまうのはわたしの悪い癖だが。医師は、お別れを決める一言を放った。

「それは買わないほうがいいね」

その瞬間、あらゆる感情が錯綜し、逆に静かになった。色んな色の絵具を一つのキャンパスにぶちまけて、最後ねずみ色になるのと一緒だった。
あ、駄目だ。今すぐここから離れたいと思った。「あ、はいそうですね」と答えた。
医師は「あなたADHDの所見があるんだから、絶対こっちの治療した方がいいよ。仕事とか生活とかにも大きく関わってくるし」と言った。「あ、はいそうですね。検討しておきます」と答えた。「薬飲んでいる患者の話聞くと、頭がスッキリするって言うんだけどね」と言うので、「そうなんですね」と答えた。
「じゃあ、セパゾンとゾルピデムでいいのね。じゃあ一週間分処方しておくからまた来てください」と言われ、「ありがとうございました」と診察室を後にした。

待合室で会計を待っている間、次のクリニックどこにしようかなと考えていた。近場がいいけど、特色ある院は無いしなと考えたところで、「あ、一週間分じゃ駄目じゃん!」と気付いた。次の院がすぐ予約できる可能性は低い。わたしは受付のすき家レディたちに「すみません、医師ともう一度だけちょっと話したいんですけど」と声をかけた。

程無くして診察室に呼ばれた。わたしは「すみません」と着席するなり、「さっきの処方を3週間分ください。それでもうここには来ません」と真っ直ぐ告げた。医師は「3週間分?」と面食らっていた。わたしはどうしようもなく泣きそうになったが、こんなくだらないことで涙なんぞ流すまいと堪えた。

「……何がわたしの中で引っかかったかと言うと、さきほどゾルピデムを飲んだ状態で食べ物を買いに行ってしまうという話をしましたよね。そのとき、先生『それは買わないほうがいいね』って仰いましたよね」と言うと、医師は「うん、買わないほうがいいね」とさも当たり前のように言った。

少し声が震えるのは堪え切れなかった。
「わたしは過食をやめたいんです。やめたいのに、それができないからこんなところに来ているんです」
「できないんじゃなくてやらなくちゃいけない。それは努力が必要」
「努力が必要なのはわかります。ただ、わたしは努力してきました。それでも自分の力ではどうにもならなかったのでここに来ています。情けなくて、仕方ないんです。なのに『努力が足りない』とあなたのほうから押し付けられるのは違うと思いました。悲しくなりました。先生のお話しぶりから、先生は過食嘔吐を努力不足だと認識されているのではないかと感じました」

医師は「努力不足とかじゃなくて……」とうろたえた。
「努力が足りないとかじゃなくて、できないって諦めたら駄目、諦めないでって意味で言ったの」
はじめて医師が真っ直ぐ目を合わせてくれた気がした。その言葉は、文脈の上では誤魔化しのように聞こえるが、医師の本心なのではないかと思えた。その言葉だけ、わたしは医師から受け取って持ち帰ることにした。「わかりました。諦めないで頑張ります」と告げた。

だがまあ、最後の最後までしつこかった。
「ADHDの治療は絶対したほうがいい。今はインチュアニブっていう薬もあるから」
「そのお話はしかと心に留めておきます。資料だけいただいていきます」「過食がやめられないか……テープの安定剤があるよ。結構効果あるって評判なの」
「資料だけいただいていきます。次の院で聞いてみます」

鉄の壁のようになってしまったわたしの態度に、医師もようやく諦め、「じゃあ3週間分処方しておくね」と言った。わたしは「お世話になりました」と頭を下げた。何も言わずに扉をバンと閉めたいような気もしたけど、それは違う気がした。「できないって諦めたら駄目、諦めないでって意味で言ったの」という言葉を貰ったから。ただ、わたしは「買わないほうがいいね」というその一言が許せなかっただけだった。「もう信頼できない」と思ってしまったのは、わたしの一方的な感情だった。

待合室に戻り、暫くして会計を済ませた。次の診療の予約について聞かれなかったので、医師から申し伝えはあったのだと思うが、ただ「お大事にどうぞー」と送り出された。わかってた。どうして次の予約を取りつけなかったのか想像力を働かせてほしいというのは、受付に対してはあまりに高すぎる期待である。結局、何て言われたかったのかもよくわからない。
クリニックを後にして、地上へ降りるエレベーターに乗り込んだ。10秒程度、密室で一人きりになれたので、「あー」と声をあげて泣いた。

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