見出し画像

投資#146 江戸時代にもインフレが起きていた!?


書籍の情報

タイトル:世界史を大きく動かした植物
著者:稲垣栄洋
発行所:株式会社PHP研究所
製作日:2018年8月29日

書籍の一部要約

  • 戦国時代の武将たちは、領地を増やすことが難しくなると、コメの生産量を増やすために新たな水田を開発しました。これにより、自身の力を強化することができました。また、コメは食糧だけでなく、「貨幣」そのものであり、経済力と兵力に直結していました。そのため、武将と領民は共に田んぼ作りに励みました。

  • コメが貨幣として利用された理由は、長期間保存が利き、長距離運搬が可能だったからです。また、コメ本位制には良い面もあり、経済活動が食糧増産に取り組むことを促し、安定的な経済基盤と食糧供給を築くことができました。

  • しかし、新田開発によりコメの生産量が増加し、コメ本位制の経済は不安定になりました。これに対処するために、徳川吉宗は享保の改革を行い、経済の立て直しを迫られました。このように、コメと田んぼは日本の歴史と経済に深く関わっています。

感想

戦国時代は、
何万石のようにコメの
取れ高を比べていましたが、

領地を広げることが
難しくなったことに
一因があったのですね。

石高の差が大きく開いて、
攻め滅ぼせるぞ!
となるまで、
均衡状態が続いていた
と思われます。

よく思い直してみれば、
戦国時代、
コメは貨幣であり、
食糧でもあり、
今よりも重要な物資だったのですね。

戦国時代、そして、江戸時代と
コメ本位制が続きます。

戦国時代のあと、
江戸時代に入っても
新田開発が継続されて
いました。

コメが貨幣なのだから、
貨幣を江戸幕府でなく、
諸藩がつくることができたという
ことになるので、

そりゃ~、お金づくりに
いそしみますよね
と思いました。

いや、驚きでもありますが。

そして、みんながみな
お金を作るものだから、
インフレになる。

あ~、現代でなく、
江戸時代でもインフレが
あったのだなと
思いました。

コメでインフレが起きた結果、
享保の改革を断行せざるを
得なかったということですから。

ちなみに享保の改革は、
下記のように説明されています。

享保の改革(きょうほうのかいかく)は、江戸時代中期に第8代将軍徳川吉宗によって主導された幕政改革であり、寛政の改革や天保の改革と並ぶ三大改革である。
名称は吉宗が将軍位を継いだ時の年号である享保に由来する[注釈 1]。開始に関しては享保元年(1716年)で一致しているが、終わりに関しては享保20年(1735年)や延享2年(1745年)とするなど複数説がある。また、享保期(きょうほうき)として、実際に幕政改革を行った時期にとらわれず、概ね元禄時代と田沼時代の間の時代区分として扱われる。
主としては幕府財政の再建が目的であったが、先例格式に捉われない政策が行われ、文教政策の変更、法典の整備による司法改革、江戸市中の行政改革など、内容は多岐に渡る。江戸時代後期には享保の改革に倣って、寛政の改革や天保の改革が行われ、これら3つを指して「江戸時代の三大改革」と呼ぶのが史学上の慣例となっている。また、次代の田沼時代の特徴とされる株仲間の結成や冥加金といった商業政策も享保期が嚆矢であり、同時期の蘭学や国学の発達も、この時期に行われた漢訳洋書輸入緩和などの文教政策に原因を見ることができる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AB%E4%BF%9D%E3%81%AE%E6%94%B9%E9%9D%A9


なんで幕府の財政再建が
必要だったのか?

そういえば、よく覚えていません。
だいたいが散財したから、
お金が足りなくなった程度の
理解しかしていませんでした。。。

インフレも一因にあると
いうことなのですね。

現代の日本も、
いずれインフレ対策のために
なんらかの政策がなされる
ことを覚悟しなければ
ならないということ
でしょうか。

まとめ

江戸時代にもインフレが起きていた!?

この記事が参加している募集

スキしてみて

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?