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妊娠して、論理の世界の住人じゃなくなった

 妊娠8か月に入り、胎動があまりにも激しい。お祭り騒ぎかと言わんばかりにドンドコドンドコグリングリンと動きまくる。TPOをわきまえず、会議中だろうと睡眠中だろうと、好き勝手動きまくる。明らかに踊っているとしか思えない時もある。
 ある日、ふと「私がコントロールできない神経伝達系と筋がある」と気づいた。自分の体調変化や身体の動きは自分で理解できる。でも中の人の動きは予測不能で、私には理解できないし、コントロールできない。そう気づいたとき、「私は論理の世界の住人じゃなくなるかも」という予感が訪れた。

 私は約15年間、論理の世界の住人だった。人間は感情を持ち、論理だけでは動かないけど、自然は論理で動いている。例えば、惑星の動き、天気の移り変わり、植物の光合成は全て論理的に説明できる。生物種としてのヒトの場合、手を動かすときは神経から筋肉に刺激が入り筋肉が収縮する。食事をすると血糖値を下げるインスリンが分泌される。空気の振動を神経刺激に変えて音を聴く。
 論理の世界は、たとえ難しくても頑張れば理解できるはずで、私は高校1年生の頃から論理の世界の住人になるためにコツコツと勉強し、身につけた知識と論理的思考力を活かす職に就いた。

 妊娠してもしばらくは論理の世界の住人だった。妊娠や胎児発生のプロセスは論理的に説明できる。つわりもホルモンや電解質のバランスで症状を説明できる。私の身体の中で起こっていることは全て理解できた。よくわからない症状があったとしても、背景には論理があると信じることができた。

 ところが、私の内部で胎児がドンドコ動き、私自身から独立した動きをしている。私の身体を私がコントロールすることができなくなっている。科学的には胎児の神経伝達と筋収縮の結果で胎動が起こっているとわかるけれども、そういうことではなくて、私の身体が私だけのものじゃなくなっている。私は論理的な説明だけでは理解できない、意味不明の世界に足を踏み入れていた。

 論理の世界はキレイで楽だ。相手に論理的な説明が通じるからこそ仕事が成り立つ。AをするとBができると論理的にわかっているとき、上司は部下にAを命令すればBができる。小さな論理の積み重ねで社会は動き、価値を生み出している。

 6月17日に仕事納めをして、産休がスタートした。夫に「お仕事お疲れ様でした」と言われ、仕事から離れる実感が湧いた。論理の世界から離れる予感が確信に変わった。
 産後はもっと論理が通用しない世界にずぶずぶと入っていくのが目に見えている。ショッピングセンターで泣きわめく子がなぜ泣いているのか私には全くわからない。たとえ泣く理由が分かったとしても、親も子供も合理的に泣き止ませる術がないからずっと泣き声が聞こえているのだろう。

 産休に入った日を境に、私の中で一時代が終わった。論理がゼロになることはないにしても、論理や説明が力を持たない世界に入る。その世界での生き方を私は知らない。イチから体験するしかない。産休の約2ヶ月間に非論理の世界に向き合う練習をしておかないと、潰れてしまいそうな気がする。

 産後の世界もきっといくつかのフェーズがあって、私は数年かけて徐々に論理の世界に戻るのだと思う。でも妊娠前の状態に戻ることは、おそらくない。

 さようなら、全てが論理的に説明でき、自分でコントロールできた世界。
 こんにちは、何が起こるかわからない、予測不可能な未知の世界。


《終わり》

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