見出し画像

マンホールになれたら

昔の話だ。そいつはカラスが好きな女だった。カラスの濡羽色が好きだと、彼女は言った。カラスの色を「黒」だなんて言わない彼女、世界をよく観察して、美しいものを見つけてくるそんな彼女のことが、好きだった。

ある時、私は写真を撮って、彼女に送った。夜の雨に濡れたマンホールが、街灯の光を浴び、てらてらと反射している。その様が美しいと思い撮影に至ったが、大概の人間はこの写真を見ても「ただのマンホール」と答えることは想像に難くない。だけど彼女は違う。そして、私のことを、私の写真でも、彼女なら美しさを見出してくれると知っていたから。だから送った。

「私、好きだわ。このマンホール、濡羽色だもの。」

期待通りの言葉、彼女と同じ世界を見られていることが、堪らなく嬉しかった。こんな苦痛に満ちた世界にも、そこここに隠れた美しいものを見つけて、共有する。私達しか知らない世界の秘密の共有は、とても甘くて、切なかった。


今頃彼女は何をしているだろうか。私と同じように、私のことを綴っていてくれないかな、なんて甘えた思考が脳内に靄をかける。世界の秘密を共有したことを、あの日々を。
来世はマンホールかカラスになって、彼女に秘密を届けられたらなぁ。

ここから先は

0字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?