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「生きるすべてを輝く個性ととらえよう」いじめと鬱を乗り越えた僕がたどり着いた生き方 ラッパーramtan


ramtan
『ADD』『13歳の俺へ』など
ヒップホップの楽曲を制作するラッパー


神戸市出身。現在、音楽活動をしているramtan(以下ラムタン)さん。
中学時代にいじめを受けた経験や、ADD障害と向き合ってきた経験をそのまま歌に乗せ、等身大の歌詞を世の中に届けています。

暗闇のどん底にいた彼が音楽に出会い、自分の人生を謳歌しようと決意するまでの物語をうかがいました。

ADD障害:不注意優勢型ADHDの旧称。


壮絶ないじめと心を支えたラップ

神戸市に生まれたラムタンさん。生まれてすぐに鳥取へ引っ越した後、中1の終わり頃に神戸へ戻ってきたそうです。

「僕の人生のターニングポイントは中学2年の頃です。神戸に戻ってきて、中2に上がるタイミングで転校しました。その学校で、入学早々いじられキャラが定着してしまったんですね。最初は流していたいじられキャラが、どんどんエスカレートして”いじめ”に変わっていきました。

学校に行くと上履きが隠されていることがしょっちゅうあって。知らない間にお弁当が食べられていたり、カイロの粉を目に入れられたりしたこともあります。

その頃の僕は、言いたいことも言えず、ただいじめに耐えるだけ。自分の気持ちを心の奥に押し込めるだけの人間でした。

そんな時に出会ったのが”ヒップホップ”だったと話します。

「いじめが辛かった時、偶然ラップバトルと音楽の動画に出会いました。それを見て、『うわぁ、すげぇ!』って。ステージに立っている人がめちゃくちゃ輝いて見えたんですよ。僕もこんなふうに輝きたい!という想いが湧いてきたのを覚えています。

初めて見たラップは、相手をDisる(悪口を言う)スタイルのものでした。当時の僕は、自分の気持ちを周りに言えなくて、嫌だということも口に出来なかった。でも、バトルの動画の中の人達は、自分に嘘つかずに本音を言葉にしていて。自分の感情をそのままぶつけることができる、自分には出来ないことをやっている姿が本当にかっこいいと感じました。そんなありのままを込めるラップと音楽というものに、心を救われたんです。

「それぞれの個性を受け止めたい」人と共生する視点


Photo by camura kie 

ヒップホップに魅了されたラムタンさん。壮絶ないじめの中を生き抜き、高校へと進学します。

「高校に入ってからは、今までの人間関係が消えていじめもなくなりました。はじめの頃は、自分をいじめてきた人達に対して嫌な感情を抱いていましたが、高校に来てすぐ『それも彼らの個性だった』と捉えられるようになったんです。」

いじめを受けた経験があったからこそ、色んな視点から考えることが出来るようになっていることに気づいたそうです。

「人をいじめる人は心に余裕がない人なのかなと思います。だから、もう一度自分を見つめなおして、本当に今自分がやっていることが正しいかどうか考えてみてほしいです。でも、100人いたら100通りの幸せがあるし、100通りの生き方がある。それぞれが個性だと思っているし、受け止めたいなと思って生きています。
僕、人が好きなんです。例えば悪口を言っている人がいたとしても、こういう過去があったんやろうなとか、その人の過去の過程を考えるんですよ。だから嫌な事をしてきた相手を責めるというよりかは、自分を表現することの方が大切。相手を攻撃する時間がもったいないですよね。その時間があるなら、自分を成長させたいなって。」

自分を深めていく中で、『人が好き』という事に気づいたラムタンさん。高校卒業後、人文学部のある大学に進学。コミュニケーションについて学びながら、被災地を周り、ボランティア活動に参加するようになったとのこと。

「哲学とか、人間関係、人類の歴史とか。人にまつわる事を学びたい気持ちが強くて人文学部に進みました。コミュニケーションが大好きやったんで、教員免許もとろうと思って。
実は保育士になりたかったくらい子どもと関わることも好きなんですよ。大学4年間はずっと子どもと触れあうようなボランティアにも参加していましたね。熊本や広島での災害があったときに仮設住宅でくらしている子どもたちと話したり、保護者の話を聞いたりしていました。」


ADD障害と仕事の壁

photo by camura kie 

4年間コミュニケーション学を学んだ後は、社風に惹かれて、ある会社に入社したと話します。

「会社に入った理由は、小規模で社員同士の仲がいいと感じたからです。全体で15~20人くらいの、上下の垣根がないフラットな会社で。ボランティアにも力を入れている会社だと聞いて良いなと思いました。子どもとボードゲームをしたり、人と関わったりできるの良いなぁって。

……でも、いざ入ってみたら地獄でしたね。現場仕事で朝早く集合して帰るのは夜遅い。専門職なので覚えることも多いし、ADD障害がある僕にとってはとてつもない負荷がかかる仕事でした。

僕の特性であるADD障害は、簡単に言うと記憶障害です。
僕の場合は例えば、会社とかで口頭で『あれとこれとそれやってね』と一度にたくさん指示を出されると理解できなくて、忘れてしまいます。ダダダーっと説明されると、言語として聞き取れないんです。それが原因で、会社の先輩に怒られたり苦しい思いをしたりしてて。

仕事柄、ミスが許されない世界だったので、なおさら仕事が出来ない自分を責めていました。迷惑かけすぎたくらいかけてしまったと思っています。会社に入ったことは後悔していないんです。楽しかったし、上司にも助けられたし……。良い人ばっかりでした。

でも、記憶が悪い僕の様子を見て『ほんま仕事できひんな』と言われてしまって。何気ない一言だったと思います。でも、僕からしたら辛かった。本当に仕事が出来てなかったと自分でも感じていましたし。そんな中、どうせ明日会社にいっても迷惑かけてしまう。明日も、その次も、その次の日もきっと……。と悩みを抱えているうちに、精神的にストレスがかかり鬱病になってしまったんです。」

度重なる精神的ストレスにより休職を余儀なくされたラムタンさん。
暗闇の中に居た時、祖父にかけられた言葉で心が動いたそうです。

「僕には大好きなおじいちゃんがいました。亡くなる前に『後悔だけはするな。年齢は財産や。若いうちになんでもやれ。後悔は後からでいいから』と言われて……。その言葉を聞いて、絶対後悔したくないと思いました。今までの自分にも、友人関係、環境にも感謝を伝えたい。これからの人生、後悔ないように頑張りたいと思ったんです。」

後悔ない人生を送りたい。

その気持ちが湧いてきたとき、ふと中学の頃に出会った”ラップ”を思い出したのだと言います。

「久しぶりにラップ動画を見たときに、『これだ』と思いました。そうだ、僕はラップが好きだった、と。この人達のようにステージで輝きたい。これで生きていきたいという気持ちが固まりました。」

「自分の経験が誰かの支えになってくれたら」等身大の音楽を届ける理由

現在は鬱病から回復し、憧れだった音楽活動に力をいれ、日々人生を謳歌していると語ります。

自分の経験や想いが誰かの支えになればいいなと思っています。いじめだったり鬱だったり、そういう子たちが自分の歌を聞いて、人生もうちょっとだけ頑張ってみようと思ってくれたら嬉しいです。

何かに困っている人を救いたいという気持ちが強くあります。かっこつけてるわけじゃなくて、苦しんだ経験があるからこそ、自分が伝えられることってきっとあるんじゃないかなって。僕の場合、それを表現できるのが音楽です。これからは、体験をもとにした歌をつくって、ラムタンの歌が聞きたい!と言われるような人間になりたいと思っています。」

音楽の道で生きていくと決心してから、2曲をリリースしたとのこと。

「『13歳の俺へ』は、中学2年生の時、僕がうけたいじめの経験を歌詞に込めた詩で
『ADD』は、自分が鬱病になって感じたこと、体験したことを嘘偽りなく歌詞にした詩です。

中2の春から中3の終わりまで約2年間いじめを受けていましたが、音楽活動を始めてから当時いじめてきた人から連絡があったんですよ。『ラムタン頑張ってるやん』とかって。ありがとうだけ伝えて返していないんですけど…。
でも、いつかは会ってみたいです。あの頃、俺めっちゃつらかったで。って言いたい。

仕事も辛かったけど、逆に言えば仕事を辞めてなかったら今の自分はないし、環境に感謝しないといけないですね。自分でも日に日に成長しているのがわかるし、本当にすべてのことに感謝です。人生ありがとう。という感じ。

うん。変わりましたね。自分。

経験が人を成長させるんですかね。
それをめちゃくちゃ感じた人生やったなって。

辛かった時、支えてくれたのは音楽だったので、音楽に恩返ししたいという気持ちがあります。そして、自分ももっと輝けるようになりたい。

「ラップ業界って悪い印象をもたれがちで。
でも本当は全然そんなことないです。僕が初めて一人でサイファー(スピーカーを真ん中に置いて円になってラップを交わすスタイル)に参加した時も、『ラムタン君おいでおいで~!』とか『一緒にラップしようよ!』とか、声をかけてくれて。本当に優しい人ばかりです。悪い文化じゃないということを伝えたいですね。

ラップで出会った人も、友人も、もっと言えばこの世に生きている人全員、僕からしたらみんな輝いて見えます。

自分でいうのもなんですけど、僕、感情が豊かなんです。例えば、天気が晴れてたら
うわまぶしー!めっちゃええやん!ってなるし、誰かがSNSで『今日は○○頑張った!』って書いていたら、頑張ってんのすごいなぁ!俺も頑張ろ!ってなります。

どん底を経験したので、そこから人の魅力を気づけるようになったし、その人それぞれの強みや個性を見つけられるようになった。暗い中での生活だったからこそ、その人の魅力を見つけたら素直に素敵だなと思います。

作詞してる時とかも、『うわめっちゃ良い歌詞かけた!これみんなに早く届けたいなぁ。鬱病の話してるけど大丈夫かな。でもきっと俺より苦しい思いしてる人いっぱいいると思うし、そういう人のために救いたいな頑張ろう!』という気持ちが湧いてくるんです。
僕の声が少しでも世の中に出て、いつか広まったらいいなって。」

自分の歌をより多くの人に知ってもらうため、今は関西や関東を中心に縁をつくっている最中とのこと。7月31日に、『ADD』のミュージックビデオも公開されたそうです。

「映像は写真家の姉に作ってもらいました。姉ちゃんが僕の歌を聞いた時に、泣いてくれたらしくて。『こんな経験してたんだ』と共感してくれて、ぜひ応援したいからと撮ってくれたMVなので、自分としても思い入れがある作品になりました。」

「人は全員個性があると思うから、自分を嫌いにならないでほしいなという気持ちを伝えたいです。みんなそれぞれの一つの宝、宝石だと思う。一人ひとり本当に違った輝きでキラキラしている。自分なんて何もない、普通の人間と言ってる人も絶対輝いているんです。何もないと感じているそれも、ひとつの個性だと思うし。

その輝く個性を大事にしてほしい!僕もそうありたいです。本当に、生きている人達みんな良い人!Umiさんも良い人!」

これからも、等身大の音楽で自分を表現し続けたいと語ってくれました。

編集後記
その丁寧な言葉選びと繊細な感受性から、きっとたくさん自分と向き合って来た方なんだろうなということが伝わってくるインタビューでした。人の痛み、心の動きを繊細に感じとる事ができる彼だからこそかける詩がある。そして、そんな彼の音楽と笑顔が誰かの心に届き、そこでまた新しい色の花が咲く。一人ひとりそれぞれが輝く未来を私も見たいなと思っております。ラムタンさんのご活躍、心より応援しております。
貴重なお時間ありがとうございました。
(インタビュー・編集・イラスト By Umi)


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