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推し短歌(行き場のない感情編)

①この世には君と僕しかいないって思った夜も電車に乗った

推し活をしている時って推しと目が合うだけで「この世には推しと私の二人っきりしかいないのでは?」などと思ってしまうことがあるのですが、それ程までにきらめいていた瞬間の後も、人生は続いてしまうものです。
非日常が終わっちゃった後は普段乗らない夜行バスから降りて、地元の電車を乗り継いで日常に帰っていきます。自分にとっては多分「(地元の)電車に乗る」というワンクッションがある意味大事なんだろうなと思っていて、異界からの帰還手続きとでもいうのでしょうか、このフェーズが無いと心があっち側に囚われたままになってしまう気がします。

ちなみに原型は無いですが、この歌は會津八一(会津八一)氏の短歌『あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ』をリスペクトしています。
触れられないけどそこにきみがいる、いてくれるという救い。『あめつちに…』の歌は私が短歌に興味を持った切欠でもある"推し短歌"なので、この話もいつかできたらいいなと思っています。


②だいすきの後になんにもなくなったなんにもないも愛せるのかな

推し活をしている時、不意に愛の先にあるかもしれない虚無を想像して怖くなることがあります。愛のあとでいつか「なんにもない」虚無感がやってきたとして、それって愛せるようになるものなんでしょうか。たとえ愛せなかったとしても、存在を許せるようになったらいいなと思って詠みました。

③実在を感じてたからサ終した後に四十九日数えた

④死に場所を探すな後を任せるなそこで笑うな回想するな

③はサービス終了したコンテンツへの感情、④は死亡フラグを立てまくった末に退場した推しキャラへの思いを詠んだ歌です。(③④はいずれも過去作の再掲)
喪失の悲しみが少し和らぐ気がするので、なんにもなくなったことを言葉にして自分に納得させていく行為ってやっぱ精神衛生上必要なんだな、と最近実感しています。


⑤推しを推すとき現実は透明だのに朝焼けの色でおしまい

推し活は現実逃避であってはいけない……とは言うものの確実に逃避の手段として推し活をしていた時期があります。さっさと寝ればいいのに寝れなくて、あるいは寝たくなくて、インターネットの深夜徘徊をしては午前3時くらいにやってくるおしまいの感情を越えた先の4時台に現実と闘うも5時に寝床に入って7時に起きる日々を過ごしていました。絶対によくないので早く寝たほうがいいのに。今は睡眠の大事さを実感したのでちゃんと寝てい(ることもあり)ます。というわけで寝ましょう。眠れなくても布団に入ろう。さて、それではおやすみなさい。明日からも現実生活をがんばりましょうね。

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