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サプリ選びの感覚で、人生も作っていけるらしい


坂口恭平さんの新刊を読んだ。『自分の薬をつくる』
駆け込み寺を見つけた気分だ。


しかし、この方ほど、扱うテーマが変わる人もいない気がする。
坂口恭平さん、すごく好きなんだけれど、なんて言えばいいのかしら。モバイルハウスの人? 自称総理大臣? 躁鬱の人? いのちの電話のフリー相談員?

私が最初に読んだのは、『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書、2012年)。ロックだった。決まった家に住んでそこだけが自分の有する空間であるというあたりまえを揺さぶる。そして気づいたら、家に車輪をつけたらそれは「”不”動産」ではなくなるというロジックで移動する家を作って住んでいて。震災を期に東京から熊本に移り住んで、でも熊本地震があったらまた移住して、『坂口恭平 躁鬱日記』(医学書院、2013年)で、季節のようにめぐってくる躁鬱とともに生きる姿を見せて、小説も書いてて? 歌も歌って? 『cook』という料理本なんかも出して? なんだかtwitterでは自分の電話番号を公開して、「いのっちの電話」という避難場所をつくっていたり。

私が触れた範囲でもこれだけ多岐にわたり、かつ、常識というものを成層圏までぶっちぎる。表面的にはカオスに見えるのだけど、触れていてとっても清々しい。
坂口恭平さんのなかに、「心地よく生きるには?」という大黒柱的命題が通っているのがわかるからだ。著作も行動も、すべてその幹から出たもの。

この『自分の薬をつくる』の冒頭で、坂口さんはこう語る。
かつて躁鬱病と診断されて、毎日薬を飲んでいた。でも、自分の調子がよくなるように日課を作って、それをこなしていくようになったら、気づけば薬はいらなくなっていた。つまり、生きるための「薬」は自分で作れるよ、と。

この本は、2019年に行われたワークショップの紙上再現版。貸し会議室を病院に見立て、ドクターに扮した坂口さんに読者が相談していく。たとえば演劇が好きだけれど金銭的余裕がなくてそれさえ楽しめないという男性に対しては、頭のなかで演劇をつくってみる「カンパニー妄想」を1か月分処方する。過食症が治りませんという女性には、食べたものの絵日記を書いてみましょう、など。

22人の相談を眺めればわかる。坂口さんの「処方箋」という具体的アドバイスは、すべて「アウトプットせよ」なのだ。インプットする情報はネットにあふれているけれど、アウトプットの方法をみんな知らない。だから、身体がパンパンになって生きづらくなっている。なら、自分の手で何かを生み出したり、自分の身体を動かしたりしようよ、というのが坂口さんの方針。


なるほどなあと思ったのが、「適当なアウトプット」ということ。坂口さんは言う。みなさん、乱雑にインプットして、それを娯楽にしているじゃないですか。だからその気楽さでアウトプットしたらいいじゃないですか。完成度なんか無視して、誰にも見せずにねと。

「適当に、教科書通りではなく、下手な科学者のようなノリで自前でサッと作っちゃう」(p.287)

坂口さんがやってきたことも、ぜんぶそうなんだろうなあと思った。
毎日をどう生きるか、1週間をどう過ごすか、ひいてはどういう人生を送るか。その選択肢が少なすぎる、つまりアウトプットの型が少なすぎるから、窮屈になってしまうのかもしれない。ガラスの靴に足をねじ込むのはつらいから、ダンボールでも靴作ったらよくない?って。
自分にあう日課を作りそれを実行するということと、0円ハウスを作って独立国家を名乗ることは同じことなんだろう。気持ちいほど一貫している。


どんな人生を送りたいかは大きすぎて見えないけれど、毎日飲む「薬」なら作れるかもしれない。なにかちょっと物足りないかも、違和感あるかも、というときには、生き方のサプリメントを探しにいくつもりでこの本を見てみるといいかも。

うめざわ

*養老先生の「坂口恭平という、清涼なる薬」という意味はよくわかる。このマガジン、猫好きとしてはノラジョーンズとの邂逅動画は見逃せない…ノラジョーンズ…

*この本の一部は、坂口恭平さんのnoteで見られるみたいだー!


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