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読むと消えちゃう未読の愉しみ 『「罪と罰」を読まない』岸本佐知子他

ほら、連休でしたし。家にこもっていなきゃいけなかったわけですし。積読本の消化にはもってこいの日々だったわけじゃないですか。
ということで奮起したわたくしは、この連休中、いつか読みたい本の代表格『カラマーゾフの兄弟』を読みま、せんですわよ。そんな。むりむり。人は弱いものよ〜とても弱いものよ〜♪


でもさあ、「読む」ってなんでしょうね。
全ページ目を通すことが、読むってことなんでしょうか。
本にある文字を食べ尽くすことが「読む」ならば、Google先生とかは世界のあらゆる本読んでるだろうけど、それを「読んだ」とは呼べる気しなくないですか。

でも、逆にいえば、たとえば本屋でたまたま立ち読みした本の、とある1フレーズにバチッと静電気浴びることってあるじゃないですか。読んだのは数十文字だったとしても、その出会いがしらの小爆発があったら、かなり「読んだ」感しませんか。

「この人本読んでんなー」って感じる人は、本の引用できる人じゃなくって、本の内容を自分なりに話せる人じゃないですか。どうだろう。

つまり、「文字の摂取」だけでは読んだって言えなくて、読み手のなかで「意味の生成」ができたときはじめて「読めた」ってことになる気がするんです。



じゃあさー、極論すればさー、読み手のなかで本の世界をめいっぱい作り上げたら、それって「読んだ」ことになるんじゃなーーい??
って、きわめて過激な読書方法を教えてくれるのがこの本。

もう、最高じゃない? 帯もいい。

『罪と罰』を愛する皆様、ごめんなさい。
四人の未読者(みどくもの)が試みた 前代未聞の愉快な読書会
読まずに読む!

「読まずに読む」ですってよ、アヴァンギャルド!

具体的に何をしているかといえば、『罪と罰』本体には手を触れず(正確には最初の1ページだけを読み)、なんとなく知っていることをみんなで持ち寄って、それをもとにあの本がどんな話なのか、ひたすら4人で妄想するだけ。
読んだことなくても、なんとなーくの断片情報ってあるじゃないですか。ドストエフスキーってロシア人だっけ、じゃ舞台はロシア?とか、おばあさん出てきた気がするとか、なんか殺人したんだっけ、じゃあなんで殺したんだっけ。みたいな。

で、おぼつかない欠片をつなぎ合わせて、読み手が勝手にヨミをふくらませた段階でやっと、実際に本を読んでみて、ああぜんぜん違う!やっぱりドスト超天才!って本編を味わいなおすという。


松岡正剛は、読書には「読前・読中・読後」があると言う。その「読前」だって、立派な読書だと。それがあるから、読中も読後が2倍、3倍ふくよかになる。

読まない本は、きっと、未来の読書の食前酒だ。
読まない本に乾杯。

……ということで、本書を読まずにお送りいたしました。
だって、読んだらもったいないじゃない!

うめざわ

おまけ:
目次と1ページ目はここから読めます。さあ、これはどんな本だ?https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167913205





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