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大嫌いな鏡

すごく久しぶりに、大学に行く時通っていた駅のホームを通った。ここにある、鏡を見ると毎回思い出す事がある。醜形恐怖症の日々だ。だからといって精神の病院に行った事はない。診断こそされた事はないものの、今振り返ると私は18歳〜19歳にかけて深刻な醜形恐怖症だったと思う。というか、気づいたのがその時だけで、ちょっとした心当たりは沢山あった。中学生の頃は修正テープの反射する鏡になっている面で授業中何回も顔をチェックしていた。高校生になった途端、あたかも世界は顔がかわいい事が全てであるかのようなものになった。この時私の闇はとても深いものになったのだ。今考えると私だって、めちゃくちゃ可愛かったと思う。私のことかわいいって言ってくれる人もいた。てか、入学式で教室入った途端になんか騒いでそうな女の子にかわいい!って言われたことあるか!私はあるぞ!って今は言える。謙遜とかもう敢えてしないから。でも、全部嘘だし全部信じないし、全部嫌いだった。もはや。なんでこんな仕方のないことであの子はかわいいと言われて、私はかわいいと言われないのか分からなかった。そういう事が一回あるだけで、それ以外の嬉しい事は全部灰になって記憶から消えた。自分が傷付いたことだけ覚えて。可愛くないから生きていたくなかった。人生で一番自分の存在そのもの、昨日読んだアドラーが上司だったらって本に言わせれば生きているだけで認められている三角形の基盤のそれを完全否定してた。かわいいとか可愛くないとか大っ嫌いだった。そんな闇を抱えて部活とかもやめてひたすら闇でした。高校生は。今考えると泣ける。そっから、なぜか勉強をめちゃくちゃ頑張って、名前を言ったら多くの人間に頭いいねって言われるくらいな大学に入れた。それは客観的事実。意味わからん。自分大嫌いなのに、自分大好きじゃん。なんで。どうでもいいけどそんなこと。でも、ここからが私の醜形恐怖の本番だ。

大学に入っても、誰がかわいい誰が私かわいいと思うからこれやってほしい。とかいう話があるともうその場に居られなくなった。てか今も。気にしすぎかも知れないけど。どんだけ自分好きなんだよ。わろた。やりたいことも沢山あったけど全部私はかわいいくないからと諦めた。アホくさ。可愛くないからなんだよ。そんなこと大したことないねぇ。でも当時の私はそれが全てだったよね。私も変わった。昔は自信満々で天真爛漫で明るくてニコニコしてたのに。基本的に闇しかないよこの4年間。ご飯もいらない

てか、これもう一回かよと思うかもしれんけど本当。大学一年生の初めての日。同じ学科のガイダンスみたいなところに行った時、また、なんか声のデカそうな女子があってすぐかわいい!って言ってくれた嬉しかった。私も、色々努力して、可愛くなっていたのだ。でも、毎日この、駅のホームの鏡を見てブサイク‼️って自分に言ってた。意味わからん。かわいいやん。てか、当時の写真見返すと本当かわいいよ私。かわいい!多分。正直彼氏とか要らないと思ってたけど人生経験だし大学生だから付き合ってミテェな。人間の恋愛ってどんなものだと、恋愛ごっこを始めてみる。この時の奴のことは思い出したくないが、とりあえずめちゃモラルハラスメントのプロ。同じ歳私と同じ歳なのに、私将来結婚とかしたくないなぁとか言ってたら、『結婚できない女はあまりものだよ。』と言ってきた。え?本当に私と同じ歳?若い顔被ったジジイか?まあいいや、これはまた話が別なんだけど。まず、普通、醜形恐怖症を患っている奴の顔を見て『可愛くないけど、ブスじゃないよね』と言うのか。ここから溝ができて別れたが。こういう人、世の中からできるだけ淘汰された世界に行きたい。

眠いからまた今度醜形恐怖症の続き書きます。

結論から言うと、軽々しく他人の見た目についてコメントするな全人類。そして気にするな私。この事が簡単にできたらいいよね。

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