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新卒カードを捨てる選択

10年前の話になりますが新卒で入社した会社を4年半で退職しました。

大学で触ったJavaに興味を持った程度の理由でSEの道を選んだような記憶があります。

当時は大学3年の後半くらいから就活を始め、半年くらいで内定を手にすることができましたが、職種選びで相当悩み、最終的には30社以上受けていたと思います。

振り返ってみると自分はSEとしての適正はなかったんだと思います。

今回はそんな人がSEの道を突き進み、メンタルを壊して新卒カードを捨てた話です。

SEとしての生活

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SEとして1社しか経験がないため、一般的だったのかわかりませんが、当時の働き方としてはざっくりですが

PJ配属⇒「設計」⇒「開発」⇒「単体試験」⇒「結合試験」

の繰り返しでした。

配属されるタイミングによっては「試験」から入ることもあれば、「設計」から入って「開発」の前に抜けるようなこともありました。(PJによって上司も変わっていました。)

配属PJが客先常駐の場合は客先の役職者との面接を行うのですが、これが本当に苦痛でした。

面接には会社側(上司)が作成したスキルシート(開発実績など)を提出するのですが、上司同士の意思疎通が上手くできていなかったのか、未経験の言語が経験済みになっていたりして、絶句していたのを鮮明に覚えています。

ちなみに面接中に「その言語は経験ありません」と言えるはずがなく、頭が真っ白になっていました。

そんな状態で現場に放り投げられ、未経験なのに実務レベルの開発ができるわけもなく、上司からは努力が足りないという評価でした。

現場にできる後輩(業務経験あり)がいたりするともう、死ぬほど居心地が悪かったです。

一度だけ面倒見の良い上司のPJで働くことができましたが、その期間だけは本当にやり甲斐で満ちあふれてました。

体調の変化

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良い上司とのPJが終わり、本社に戻ってから体調がおかしくなりました。

・集中力が続かない
・人が怒られる姿を見ると手汗、動機が止まらない
・自宅で感情のコントロールができなくなる
・毎日悪夢にうなされる

特に感情のコントロールが壊れていたことが深刻で、自宅で感情が爆発した時は妻を泣かせてしまうほど怒鳴り散らしていました。

その時に「今の自分は普通の状態じゃないんだ」と自覚をしました。

その後は友人の紹介で通院した心療内科で「適応障害」と診断をされました。

退職を決断する恐怖

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適応障害と診断されたことで一ヶ月だけ休職することになりましたが、その後の選択肢は「復帰」か「退職」の二択。

就活時の苦労を思い出すと、簡単に退職を選択すると決めきれませんでしたが、職場に復帰して頑張ろうという気持ちにもなれませんでした。

ただ、当時は息子が0歳で妻は育児休暇中。
そんな状況で仕事を辞められるわけないでしょ…。」が本音でした。

藁にも縋る思いで就活を始めていましたが、SE以外の職種がすぐに決まらず、完全に行き詰っていました。

また、休職中でも人事との面談がありましたが、対応が酷いの何の…(苦笑)

会社に戻っても適応障害が再発する未来しか見えないため、退職することを決断しました。

退職日に初めて会った部長にも嫌味を言われ、とにかく最後まで後味の悪い会社でした。

あの時の自分に言うのであれば「そんな会社はすぐにでも辞めてしまえ!無職でもどうにでもなるわ!」ですね。

退職後の選択肢

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SEを辞めたあとは、「子持ちの無職」というプレッシャーもありましたが、あの職場に戻らなくて済むんだという解放感の方が強く、メンタル的に落ちる時はほとんどありませんでした。

【就活】
できればSEの経験を活かしたいですが、自分の適正がわからなくて、思うように就活も進んでいませんでしたが、PCが触れて人のフォローする分野を求めてバックオフィスに絞りました。

【専門学校】
スポーツ経験があるので、柔道整復師の学校説明会に行きましたが、自分のイメージとは合わず、断念しました。

途中で妻の育児休暇が終わったため、育児と就活を同時にしながらの生活になりましたが、半年後に別業種で働くことが決まりました。

最後に

自分はこんな感じで「新卒カード」を捨てました。

合わない会社での4年半は長いのか短いのかわかりませんが、SEとして身に付けた経験が今の仕事でも活きているので、地獄のような苦しみは無駄になりませんでした。

失敗しても良い。頑張り続けることが正解じゃない。

何が正しいのか誰にもわからないんですから、怖がらずに失敗するしかないと思っています。

適正のない仕事を頑張って体を壊すくらいなら、辞めて良いです。

人なんて生きていれば勝ちですよね。

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