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23.他人の視線は、時に無言の刃になる
病院にいる時には気づきませんでしたが、退院後、駅のホームに連れて行かれた時に感じたこと。。。
「他人の視線は時に無言の刃になる」
大都会のど真ん中で、若い子が装具を付けてスカート履いてエッチラ、オッチラと歩いていることが珍しかったのでしょう、老若男女、様々な人に頭のてっぺんから足先まで浴びせされた視線。
その視線は刃になって襲って来ました。
今は当時の私のような人も街でよく見かけるようになりましたが、あの頃は障害者の社会進出も今ほど進んでいなく、多くの障害者の方々は家に閉じこもっていたか、家の周辺のお散歩程度で済ます方が多かったようです。
ですから私が都心にリハの為に出て行くこと自体珍しいことだったのでしょう、多くの方がギョッとしていましたし、人によっては振り向きざまに見、数歩歩いてはまた振り向きと繰り返されたものです。
そんな視線に、二十歳そこそこの女子が耐えられるわけがないでしょう?
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私自身、昔からメンタルはめっぽう強い人です。ずっとスポーツをしていたこともあり、学校体育やジュニア育成でシゴかれて育った人間です。今でこそ体罰やシゴキはハラスメントとして扱われていますが、当時は関係はありませんでした。一種の根性論で鍛え上げられた人間でした。
でも、動かない身体に心はポッキリ折れ、心身ともに奈落の底の底まで堕ちて頑張って這い上がろうとしていた矢先、社会的な先制攻撃に遭ったように感じて、また底に堕ち込んでしまいました。
「自分はダメな人間だ」
「落ちこぼれだ」
20数年前は人間は横並びが一番!と言ったような風習に囚われていたこともあり、出る杭は打たれることは度々で、社会的落伍者も冷たい視線で見られることが多かった時代、障害者も落伍者以下の人間として扱われていたのだろうと感じます。
未だに残っている同調主義の塊が絶好調だった時代に、私は中途障害を負ってしまったのだから、それはきつかったですよ。
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20数年経って21世になり、時代は変化しました。
バリアフリー、ノーマライゼーション、ダイバーシティーを声高らかに叫んでいますが、実際のところはどうでしょうか。
日本人の心の中にバリアフリーの精神が本当に根付いているのか。
と自問自答をしてみてください。残念ながら、誰もが自信を持って「はい」とは言えないと思います。
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おこがましい言い方ですが、私たちのようなマイノリティが過ごしやすい社会を作ることは、マジョリティである大半の人々も過ごしやすい社会へと変貌すると思います。
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