31.2週間の教育実習
事前実習の後、てんかん発作が引き起こされたハプニングはありましたが、何とか無事に教育実習にこぎつけました。
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流石は附属校の生徒、実習慣れしていることは想定内ですが、超進学校ということもあって、中学生の頃から東大・京大を目指す子が多くて、実習生の私たちがオドオドしてしまいました。
それでも私は体育の先生だったので、他の教科を教える学生に比べてプレッシャーは少なかったんですけどね。
ええ、当初通り、保健体育での卒業を目指しました。教養課程の単位は全て取得出来ていた、且つ事情が事情だっただけに他学科に転換することも可能でしたが、初志貫徹をしたかったから体育で実習をしました。
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実習校に行ってみると、私のことは伝達されていたのでしょう、教員は勿論のこと全生徒が気を遣ってくれました。
例えば、廊下は走るものではないけれど、中学生ぐらいは皆走るでしょ?でも、私が歩いているのが見えたら、数メートル前から走ることを止めて普通に歩いて、追い越せばバーッと走り去って行く。。。そんな光景に何度か出会いました。
まだ些細な風圧でもふらついて転倒する恐れがあったから、その辺りの安全対策はキチンと取ってくれていました。それに学校からの伝達をよく聞く生徒たちばかりで助かりました。
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実習種目は「器械体操」で、実際に行っていた+指導していたスポーツでしたから助かりました。
実習のほんの2年前までは私は健常者。そしてジュニア育成の場で体操競技を教えていたこともあり、その場で行っていたような複雑な指導ではない学校教育での指導は、私はこのハンデを持っていてもそつなく行えることでした。まだまだその感覚は身体が覚えていましたから。
正常な左半身で補助も出来たし、たとえ半身だけだったとしても、今までの経験を応用して指導することは容易かったです。
生徒たちも身体が不自由だからと言って偏見の目を向けることはしませんでした。できる種目だったからこそ余計だったのかも知れませんが、「先生、やるねー。」と言ってくれましたから。
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受け持ったクラスは、帰国子女が多かった事も幸いだったのかもしれません。彼らのバックグラウンドはよく知りませんが、幼いころからインターナショナルな環境で、そして肌でダイバーシティ&インクルージョンを感じて来た子たち。だから身体が不自由な私がいたところで特別視しなかったのだろうなと思います。
「私、日本語が不自由だから、先生が言葉が不自由って言ってても平気」と何人かの生徒に言われたことが印象的でした。とても有難かったです。日常会話は出来ていても、私は教壇に立てるほどの喋り方は出来ていなかったので。。。
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そうこうしている内に2週間はアッという間に過ぎました。楽しい思い出も出来ましたが、なかなかハードな2週間でした。
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