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【連載小説】Words #16

 この物語はフィクションです。
 作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。  
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 遠藤がにこやかに笑っていた。僕は、顔を引きつらせた。
「佳織、すごく喜んでた」
 昼休みに呼び出されて、僕は遠藤と一緒に校舎裏にいた。
 僕は、前日の日曜日、真沢と「デート」をした。まったく持つべきものは仲間である。経堂がアリバイを作ってくれた。事情を説明した僕に、経堂は少し笑って、ぽんと肩を叩いた。
「ははは、たまには息抜きだっていいさ」
「そ、そうかな」
「任せろ、ずっと一緒に勉強していたことにするよ」
「……頼む」
「俺も、久しぶりに品川のご機嫌をとってくるさ」
「ありがとう」
「お互い様。勉強してなきゃうるさく言われるのは俺も同じだよ。だから、お前は俺といた。俺はお前といた。そういうことで」
「うん。そういうことで」
 僕たちは、悪い笑顔で共犯者の握手をした。
 そして、してはみたものの結局ぎこちないデートだった。やはり「絶交」モードから、いきなり「恋人」モードに変われたわけではなかった。
 映画は見なかった。僕たちは公園を歩き、自動販売機でジュースを買って、ベンチで隣り合わせに座った。目を見つめ合うには、少し近すぎる距離。だから、僕はずっと地面を見ていた。たぶん、真沢も。硬い緊張が伝わってきて、それにつられて、僕も同じものを感じさせていただろうと思う。
 そんなところで僕はあっちのかほ里との時間を、懐かしく感じる。
 あの、不思議な親密さが、そこにはない。
 物足りなくて、それが言えない。
 恋人ですらないあの少女は平気で僕に触れてくるが、こっちの恋人は、ずっと膝の上で、缶ジュースを握りしめている。僕の勇気は、その強ばった手に伸びるほど、潤沢ではない。
 そして、独り言を交互に呟くような会話をした。
「嬉しいな」
「……うん」
「やっと、ふたりになれた」
「……うん」
「……ピアノ」
「……うん」
「昔やってたって」
「うん、もう、何も弾けない」
「教えてあげようか?」
「いや、もう指、動かない」
「……わたし、下手なんだけど」
「……大丈夫」
「ピアノ、好きで」
「僕は、あまり、好きじゃなかった」
「演奏家は無理だけど、でも、いつかピアノの先生になりたいなって」
「うん、大丈夫」
「だから、もし、あれなら、教えてあげたいなって」
「いや、よくわからないけど」
「将来のための練習っていうか」
「いや、それは悪いっていうか」
「……そう」
「うん……」
 こういう感じの噛み合わない会話が、小一時間。
 噛み合ってないことくらい、その時の僕にもわかっていた。だからこそ焦り、余計言葉が上滑りした。話せば話すほど、僕たちの距離は遠ざかり、僕は自分の無様さを噛みしめることになった。
 割と最悪の気分で、僕たちは帰ることになったけれど、でも、別れ際、真沢は、とても柔らかく笑って、またね、と言った。僕は声もなく頷いた。
 そして、帰り道、ただひたすら心の中で、情けない自分に、罵倒語をぶつけ続けた。
 その最低な気分を引きずって憂鬱な月曜を迎えたところ、遠藤に呼び出されたわけだ。で、先の言葉である。僕は訊き返した。
「は?」
「だから、佳織、すごく喜んでた。嬉しかったって」
「……」
 ちょっと何言ってるのかわからない。
 少なくとも自分はひどい気分になったことだけは間違いなかったから。
 どんな顔をしていいかわからないから浮かぶ、僕の微妙な笑い顔を見て、遠藤は少し眉を上げると、僕の手を突然掴んだ。
「え?」
 すっと離れて行く遠藤の手が、僕の手に何か残して行った。
「また、誘ったげて」
 僕は、恐る恐る手を開く、また、五千円。
「い、いや、こ、これは、だから、こないだのもま――」
 慌てて、突き返そうとした僕の手を、掌で押し返して、遠藤は、首を振った。
「いいの」
「いや、だけど――」
「いいのっ!」
「でも――」
「お願い」
「……」
「幸せに、してあげて」
「……でも」
「幸せに、なって」
 遠藤が、僕の手を軽く握って、真剣な瞳を、潤ませた。
「……」
 僕は、何も言えなかった。何も言えなくて、そして、札の握られた拳を下げた。
 うん、と何かに納得したように遠藤は頷くと、そのまま駆けだして行った。僕は、とりあえず、それをポケットに突っ込んだ。
 その不可解な善意の不気味さ。何かが、おかしい。
 でも、二度目だった。札の金額自体に最初の時ほどのインパクトもなかった。僕は、知らぬ間にそれで買えるもののリストを頭の中に作っている自分に、気付いてもいなかった。
 戻った教室に「絶交」モードの真沢が、遠藤もいるグループで何か楽しげに会話していて、僕はそんなものをどう「幸せ」にすればいいのかわからないまま、なんとなく、かほ里のぽつんとオンガクを聴く背中を眺めた。
 こちらもまた遠かった。
 あの時見たオトコのそばで華やぐ少女が本当のかほ里だとするなら、僕は、一度だって、かほ里のそばにいたことがない。
 遠い。とても。何もかも。
 僕は、孤独だった。そして、その孤独に、容易く傷つく、か弱い少年だった。だから、その日、僕は、かほ里のいる放課後の教室に残らなかった。
 そして、一度そうしてしまうと、もうあの少女のそばに座る勇気を、僕は絞り出すことができないような気がした。勇気を絞り出す理由を、僕は見つけられなかった。
 だから、あの白いイヤフォンが僕の耳にかかることは、しばらく無かった。



 経堂は、とても自然に、しかし、きちんと背筋を伸ばして、僕の母の前に正座した。僕もそれにつられて、慣れてもいない正座で座ることになった。母までつられて、かしこまって正座をすることになった。
 なんだこれ? と僕は思った。
 経堂は、すっと床に手をつき、そして、頭を下げた。そのまま、坊ちゃんを僕にください、とか言い出しかねない緊張がリビングに満ちた。経堂が言った。
「おばさま」
「はい。……なんでしょう」
「僕は、倫生高校を受けようと思っています」
「……はい」
「いずれ、僕は医者になります」
「はあ」
「そのための最適な環境が、倫生だと思います」
「はあ」
「倫生は、医学部に限らず、有名大学の合格者を多数輩出する、この地方で、有数の進学校です」
「ええ、倫生は有名よね」
「僕は、そこへ、必ず、行きます」
「はい。そうなるといいわね」
「それで、お願いがあるのです」
「なんでしょう?」
「僕は、息子さんを、ライバルだと、思っています」
「はあ」
「とても、優れたライバルだと」
「はあ……」
「そして、同時に最良の友人だと」
「……はい」
「僕は、そんな優秀なライバルと、共に学びたい!」
「はい……」
「お互いに高め合い、そして、いずれ、それぞれの領域で、頂点に立てたらいいな、と思っています」
「はあ……」
「できます」
「はあ」
「信じてほしい」
「はあ……」
「できる、と信じてください」
「……はい」
「僕と、息子さん、僕たちが、いずれ、そういう、大人物になるということを」
「……はい」
「まさか、それを疑ったことなどありませんよね?」
「あ、いえ、あ、はい……」
「そうです。信じてください」
「はい」
「そのための一歩! それが、倫生への進学なのです」
「はい」
「色々、おばさまにも息子さんにかける想いがあることでしょう」
「え、ええ……」
「もっと全国的に有名な学校がある。確かに」
「ええ」
「しかし、です」
「はい」
「本当の才能というのは、ゆっくりと磨かれるものです」
「はい」
「わずか十四五の僕たちの成績が、それで入れる学校が、才能の全てだと言い切ることができるでしょうか? どう思います?」
「いえ、その……」
「僕たちは、いまだ、原石です」
「はい……」
「今の、原石でしかない僕たちには、倫生程度しか選べないかもしれない!」
「そんな……」
「でも、最善、です。少なくとも、現在の」
「はい」
「ご存じですか? アメリカの脳神経外科のナンバーワン名医が日本人だということを」
「いえ……そうなの?」
「彼が、倫生、です」
「はあ」
「入学当初、彼は、劣等生だったそうですよ」
「はあ」
「でも、倫生という学び舎は、彼という巨大な才能を開花させた!」
「……」
「あるいは、僕たちにも」
「……」
「それは確かにわからない。しかし、その体制が倫生には、ある」
「……」
「おばさま」
「……はい」
「僕たちを、僕と、この、僕の認めたライバルで友人である息子さんを、倫生に行かせてください」
「……」
「必ず、僕たちの未来は、ひらきます」
「……」
「お願いします」
 そして、そのまま経堂はもう一度、床に頭をつけた。
 母は、す、少し考えさせて頂戴、と、立ち上がってふらり酔っ払ったみたいな足取りでキッチンへと向かった。
 僕は、おい、と頭を下げ続ける経堂の肩に手を置いた。経堂は、やっと頭を上げると、何食わぬ顔で、さあ、お前の部屋で勉強でもしようか、と笑った。

 まるで何事も無かったかのように、僕たちは勉強した。
 いや、僕の方は、さっき繰り広げられた「演説」のせいで、何度も経堂の顔を、のぞき見た。
 彼は平然としていた。
 だから、アレについて、僕の方から質問するのもなんとなくおかしいことのような気がした。すっかり暗くなった夕方、そこまで送ってくる、と母に言い残して、僕は経堂と歩いた。
「あのさ」
「何?」
「さっきの」
「さっきの?」
「母さんに」
「ああ、アレか」
「うん」
「迷惑だったか? もしかして、倫生に怖じ気づいたとか?」
「い、いや、それはないけど」
「だよな」
「ないけど、さ」
「うん?」
「……ありがとう」
「うん」
「うちはさ、僕の希望が通ることがない」
「うん」
「大体、僕が言うと、どんなことでも、キョヒされるんだ」
「へえ」
「だから、本当はどう言い出そうか、困ってた」
「うん」
「だから……だから、経堂が言ってくれて、少し、助かった」
「うん、よかったな。おばさん、さっき帰り際、倫生、受けてもいい、って言ってたじゃないか」
「うん、ありがとう」
 経堂は、また、僕の肩をぐっと掴んだ。
 僕は、その目を見詰めた。柔らかく、本当に親密なものに向けられる笑みが、そこにあり、僕に軽く頷いてみせた。
 ありがとう、もう一度僕がそう言うと、経堂は掴んだ肩を、少しだけ力強く揺らして、そのままポンポンと叩いた。僕は訊いた。
「どうして、そんなよくしてくれるわけ?」
 経堂は、眉をあげて、少し考えるように、顎に手を遣った。
「どうして、って……そうだな、第一印象かな」
「ん?」
「相手がオンナだったら、一目惚れ、ってヤツさ」
「はあ?」
「ただ、こいつとトモダチになりたい、と思ったんだよ」
「はあ……」
 少し当惑した僕を、可笑しそうに笑うと、経堂は、今度は、僕の背中をドンと叩いた。
「いや、俺、思うんだよ。オンナなんかでもさ、好きになるのなんて、殆どが、その顔とかスタイルとか、ちょっとした見かけの仕草とか、そんなのがきっかけじゃないか。オトナや、イイ子ちゃんたちは、性格とか、ココロとか、いうけど、本当に好きになれない顔のヤツと、付き合えるか? 出会ってさ、『顔オッケー、スタイルオッケー、声オッケー』それで、そのあとの話だろ? 性格とかなんてさ」
「……うん」
「トモダチだって同じさ。学校のクラスのグループを見てみろよ。大体、同じくらいの容姿の連中ごとに固まってる」
「うん、まあ、そうだけど。なら、なおさら、僕は、経堂ほど、かっこよくない」
「そうかな」
「……うん」
「でも、俺は、びびっと来たぜ?」
「え?」
「こいつは、きっと一生トモダチだって」
「……そう」
「実際、こうして、付き合ってみたら、その通りだったと思う。お前」
「……」
「お前、良い奴だよな」
「そうかな」
「ああ」
 僕は、俯いた。俯いたその顔が妙に火照っていた。
 僕が女の子なら、間違い無く、そのままホテルに連れ込まれてもいい感じになっていた。
 そのことに気づき、僕はココロの中でブンブンと頭を振って、冷静を取り戻そうと顔を上げた。経堂は、ここまででいいよ、またな、と言って、自転車に跨がった。僕は、そんな経堂の背中に言った。
「お前!」
 経堂は首だけで振り返った。
「うん?」
「お前……すごいヤツだな」
「……ありがとう」
「お前を見てると、自分がほんとにコドモだと思う」
「そうか?」
「倫生の卒業生のことなんて、調べてもなかった。アメリカナンバーワンなんてひとがいるってこと」
「ああ、アレか」
「ん?」
「でまかせ」
「え?」
「いや、願望かな。そんな風なひとがいればいいなって」
「……あ、そうなんだ」
「むしろ、自分こそがそうなる。だから、未来においてはウソじゃない」
「……ああ」
「方便だよ」
「……うん」
「でも、それで、お前も倫生を受けられる」
「うん」
「お前のために、ついたウソだ」
「うん……」
「そして、自分のためにも」
 僕は、素直に感心していた。僕には、オトナ相手にあんな風に堂々とウソをつける胆力は無い。
 そんな恐ろしい事を仮にトモダチとは言え、他人のためにしようという心意気にも欠けている。
 本当に、こいつは、オトナで、大人物なのだ、と僕は、ため息をついた。
 そして、僕はそんな彼の友情に、こたえなければならないような気がして、でも、何をして良いのかわからないから、こんなことを言った。
「お前に相応しいトモダチでいれるように、頑張るよ」
 経堂は、ふ、と笑った。
「え?」
「お前は、そのままでいいよ」
「……」
「そのままで、大事なトモダチだ」
「……うん」
 じゃな、と今度こそ経堂は自転車をこぎ出し、そのまま速やかに暗い街並の中に消えて行った。
 家に帰り、母と食卓についた。母は、僕と同じように、いまだ覚めやらぬほてりに溶けたような顔でうっとりと言った。
「あの子、本当に、イイ子ね」
「うん」
「スゴイ子だわ」
「うん」
「きっと将来、役に立ってくれる」
「うん」
「トモダチは、大事にするのよ」
 言われなくても、と僕は思った。
 役に立つ、という言葉が、妙にむかついた。
 でも、口にはしなかった。僕が何か言えば、それは、このひとにはすべて口答えに聞こえるのだから。そしたら食事の間じゅうヒステリーを聞かされて、ひどい気分で何を食べたのだかさえわからなくなってしまう。だから、僕はただ、うん、と頷いた。
 いつものように。

<#16終わり、#17に続く


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