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僕のニシャ #38【連載小説】

 この物語はフィクションです。実在するあらゆる個人・団体・学校・組織および事件・事象などとは一切関係ありません。
 また、この作品は2015年にKDP・Amazonで電子出版された作品に読みやすくするため改行や若干の言葉の変更などを加え、分割して順次掲載する予定のものです。以前の電子書籍版とストーリーにおいて変更はありません。
 途中からお読みの方、#1(第一話)から最新話までをまとめたマガジンはこちら↓です。


【#37を飛ばした方のための前回のあらすじ】

予備校の学食で、毛野慎太に声をかけられたヒトシは、毛野がニシャと関係を持っていることを告げられ、その行為の赤裸々な話を聞かされる。
それまで下に見ていた毛野の言葉に、おおいに動揺し、打ちのめされ、ヒトシは予備校に戻るのだった。




 どうやってそこにいたのかわからない。

 僕は、予備校のロビーの椅子に座っていた。

 一応、テキストは広げていた。何のテキストだったか憶えていない。とりあえず勉強している、という体裁だけが、大事だった。ふりだけでも、そうしていないと、僕は崩れ落ちそうだった。

 何のためにしてるかわからない勉強だけが、僕のよりどころだった。

 僕はそれに縋ったのだ。ずっとそれまでもそうだったように。

 どれくらいたったか、ふと顔を上げると、僕の隣には女のひとが座っていた。ニシャが引き上げてしまった僕の審美眼でも、思わず二度見してしまうくらいの容貌だった。

 ノースリーブの丈の短い白いワンピース。その裾から見える滑らかな光沢のある脚が柔らかく組まれ、色を合わせた少しかかとの高いサンダルの先で赤いペディキュアがほんの少し揺れていた。
 
 アップに纏められた髪は、きちんとした性格と落ち着いた女らしさを想像させた。でも同時に、軽く化粧のしてある少し明るめの唇には、長い煙草が咥えられていて、少しアンバランスに見えないこともなかった。
 
 しかし、その煙が、彼女の淡く穏やかな印象を引き立てているような気がした。

 ニシャの造形の持つ過剰な鮮烈さではなく、静寂でひとを呑み込むような美しさが、そこにあった。

 もう少し見たい、と思ったけれど、さすがに三度見するのははばかられて、僕はまたテキストに目を落とした。

 すると声がした。少し掠れていて、でも、柔らかな声だった。

「現役?」
「え?」

 僕は彼女を見た。彼女も僕を見た。

 無表情と笑顔の中間みたいな表情だった。彼女はもう一度訊いた。

「現役?」
「あ、はい」
「W大現代文にいたよね」
「あ、はい」
「確か、今日、先生が、政経学部の過去問で、この問題できたヤツ、って訊いた時、手を上げてた」
「そうでしたか」
「この教室にはこんな問題解けるのわたししかいないって思ってたの」
「はあ」
「でも、君も手を上げた」
「はい」
「本当に解けてた? ひいき目で丸つけなかった?」
「多分」

 テキスト見せて、と彼女は言った。僕は鞄から、テキストを出して、彼女に渡した。彼女はペラペラとページをめくり、該当の問題の解答を見つけると、穴の空くほどそれを見詰めた。そして、満足したのか、ぽん、と僕にそれを渡した。

「うん。解答例ほど美しくないけど、確かにキモは抑えてる。正解だ」
「はあ、ありがとうございます」

 僕は何故か礼を言って、またテキストに目を落とした。

 本当は何か話せればいいのかもしれないが、僕はこういうとき気の利いた会話のできるタイプじゃない。でも、心配はいらなかった。彼女は言った。

「わたし、宇良」
「は?」
「名前、宇良景子です」
「はい」
「君は?」
「坂上……人司、です」
「学校は?」
「××東です」
「そんなところにもいるんだ。わたしと同じ人間が」
「はあ……宇良さんは?」
「信誠女子、といっても今はOGだけど」
「浪人……の方ですか?」
「浪人の方だよ」
「信誠って、確か聖モアと……」
「ああ、近く。隣と言ってもいいくらい」
「はあ」
「よろしく」
「よろしくお願いします」

 そう言ってしまうと、本当に僕の方には話す事がなくなった。でも、宇良さんは僕の言葉を待っているかのように、僕を見詰め続けていた。

 何か話さなくちゃ、と思った。信誠女子、聖モア……と思いを巡らせるうちに、ふと浮かんだことがあった。

「いちご会って、本当にあるんですか? バナナ会っていうのと対立してるって」

 宇良さんは目を丸くして、少し目を逸らし、そして、すっと表情を落として、言った。

「それは、口にしちゃダメ」
「は?」
「どこに連中がいるかわからない」
「連中?」
「連中は連中。その名前を出しただけで禍が及ぶと言われてる」
「はあ」
「敵に知られれば攻撃対象になるし、味方だったとしても、その秘密を漏らすモノとして、制裁を受ける。連中、普段は一般人のフリをして、あらゆる社会の階層に潜り込んでいるの」
「はあ」

 わかる? と宇良さんは離れたところにいた女生徒を顎で示した。僕は見た。ダメ、顔を向けないで、目だけで見て、と宇良さんは言った。僕はその切迫した声に慌てて、言われたとおりにした。普通の、女の子だった。

「わかるでしょ? 彼女も組織の人間」
「はあ……」
「えてして一番恐ろしいものは、普通の顔をして、身近に潜んでる」
「はあ」
「でもことが起これば、彼らのネットワークは緊密で、その忠誠心は流血も、人の死さえも厭わない」
「はあ」
「だからそれは口にしちゃだめ」
「はい……で、何の組織なんですか?」
「元始、女性は太陽だった。でも、今は違う。女性が女性としての本当の地位を取り戻さなければならない。でも実際はどう? 男に傅いてそのおこぼれを貰う存在にしか過ぎない。色んな社会制度は変わって、良くなったというけれど、相変わらず女性の立場は弱い。それは女性が弱いから、ということではないわ。男が既に手に入れた権益を手放さないように微に入り細に入り陰謀を巡らせてるからよ。男が良い思いを享受するシステムを維持するための大規模な洗脳がマスコミや映画を通じて行われ続けている。女は、そう言った自己主義の男達の呪縛から、真の自由を取り戻さなければならない。そのための段階的男女間の隔離。その上での、男という存在の駆逐。全面戦争。そして、究極の目的はサッフォーの島を世界規模で現代に蘇らせること……つまり」

 何を言いたいのかさっぱりわからなかった。

 そんな僕の顔を見て、宇良さんがフィルターだけになった煙草を灰皿に押しつけてから、噴き出した。そして僕の肩をぱんぱんと叩いた。

「君、あの問題本当に解いたの?」
「ええ、まあ……時間はかかりましたけど……」
「いつ、突っ込んでくれるのかと思ってたのに」
「あの……」
「全部、冗談、嘘、ごまかし」
「はあ」
「男子校にはホモの会があって、女子校にはレズの会があるっていう伝説」
「はあ」
「まあ、そういう子もいるにはいるけどね。組織はないわ」
「いるにはいるんですか」
「わたしはバレンタインの時にはそれなりに忙しかったけど?」
「はあ、モテるんですね」
「女子校よ? わたしも女よ? 嬉しくないわよ、興味無い同性からのプレゼントなんて。手作りのチョコなんて尚更困る。相手の気持ちなんてどうでも良いけど、捨てるのも、食べ物の道徳上、疚しいし」

 はあ、と応えて、いよいよ本当に話す事が無い、と思った。

 僕は、とりあえず腕時計を見、はっと何かに気付いたかのような演技をして、立ち上がった。宇良さんも立ち上がった。ヒールのあるサンダルを履いていたけれど、目線は僕のそれより少し上くらいのところにあった。きっとニシャより少し高いな、と思った。向かい合うと宇良さんは言った。

「後半の難関私大現代文とかも取ってる?」
「あ……はい」
「わたしもだ」
「はい」
「今度、勉強方法なんかを聞かせてくれる?」
「いや、僕は、そんな変わったことは……」
「嬉しいんだ。同類がいて」
「はあ」
「それに、どうやら、君は慣れてる」
「は?」
「わたしに惚れなかった」
「はあ……」
「仲良くしよう、性的なのは抜きで」
「はあ」
「きっとお互い役に立つ部分がある」

 少し呆然とする僕を置いて、じゃあね、と宇良さんは去って行った。

 見かけは穏やかな感じだったけれど、話していると、むしろ印象とは真逆の、変わった人だった。

 その変わった部分が、いつのまにか僕を楽にしていた。本当は「観光」から帰ってくるニシャを捕まえて問い詰めようと思っていたのだ。

 でも、落ち着いた。冷静に、された・・・

 こういうときいつも女だな、と思った。

 それを情けないことのように、僕は感じていた。


<#38終、#39へ続く>

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