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僕のニシャ #13【連載小説】

 この物語はフィクションです。実在するあらゆる個人・団体・学校・組織および事件・事象などとは一切関係ありません。
 また、この作品は2015年にKDP・Amazonで電子出版された作品に読みやすくするため改行や若干の言葉の変更などを加え、分割して順次掲載する予定のものです。以前の電子書籍版とストーリーにおいて変更はありません。
 途中からお読みの方、#1(第一話)はこちら↓です。


 
 
僕は言った。
「お前の身体は飴じゃない」
「うん」
「誰にでも配っていいものじゃない」
「そうかな」
「そうだ」
「うーん」
「もうやめろ、こういうこと」
「無理だなあ」
「やめろって」
「少なくとも、イットーとリュウとはしなきゃ」
「断れよ」
「まあ、したくないときは」
「したくても、だよ」
「したい、って思うことはあまりないな」
「なら……」
「したくないなと思わないときはする」
「やめろって」
「無理だよ、変えたくない」
「誰とでもするのか?」
「誰とでもするよ」
「馬鹿なの?」
「そうかも」

 この「どうにもならない感」。

 脳が張り裂けそうな感じ。

 自分にはどうにもできないものが、重く、鬱陶しく、苛立たしく、でも美しく振り向いて僕に笑いかけていた。手が温かかった。僕は疼く頭を振りながら訊いた。

「お前、本物か?」
「え?」
「別人だろ?」
「変なこと言うね」
「証拠を見せろ」
「証拠?」
「そうだ、お前、小さい頃、あの最後の日、僕の部屋から持っていったものあるよな? 何だった?」
「何も盗んでないよ」
「違うよ、僕がお前にあげただろ?」
 ニシャは少し視線を外して、考える素振りをした。僕はそれを見ながら、どうか当ててくれ、と思わずにはいられなかった。僕のその願いの深さをすかすように、ニシャは笑った。
「何だっけ?」
「やっぱり、別人だ」
「別人じゃないよ」
「別人だ」
「別人じゃないってば」
 
 楽しそうに否定するニシャを見て、僕はため息をつくしかなかった。

 この女の子は都合よくない。

 少なくとも僕に、幼なじみの特権など与えてくれそうにない。

 余りに噛み合う部分がなくて、僕は、何だかもうどうでもいいような気がし始めていた。ニシャは言った。

「寂しかったんでしょ?」
「別に」僕はそっぽを向いた。
「またまた」
「いや、本当に」
「寂しかったんだ」
「違うって」
「お母さんがいなくなって、お父さんの性格が変わって、きょうだいみたいな幼なじみがいなくなって」
「いや」
「認めなよ」
「……そりゃ、その時は、そうだったかもしれないけど……」

 僕のその返答に満足げに頷くと、ニシャは人差し指を宙で振った。

「ねえ、もし、アイジョウなんて物語が無かったら、一対一でなきゃいけないなんて決まりがなかったら、そんな決まりなしに関係を持てる世界だったら、私たちはあのままでいられたと思わない? 幸せで、何も考えなくてもいいくらい満たされた場所に。たかが数回の『過ち』のことで、どうして君は寂しい思いをしなきゃいけなかったか、理不尽に思わない? 何故それは『過ち』なの? ソレが挨拶程度の意味しかなかったら、あたしたちはあの頃を奪われずにすんだんじゃない?」
「そういうこと、前も言ってたな」
「うん、そう思うから。想像してみて。そういう世界を。そこでわたしたちがどんな風になり得たかを」
「なんか殺伐としてる」
「ん?」
「アイジョウのない世界なんて」
「違う、ラストシーンで必ず独占しあわなければならない、そういう物語のない世界のこと」
「よくわからないことばかり言う」
「そう?」
「ぶっ飛んでるな」
「そうかな」

 僕たちは家の前まで来て、ようやく手を離した。向かい合って、ニシャは微笑み、僕も仕方無く笑った。

「したくなったら、いつでもいいから」ニシャは言った。

 僕はため息をついた。

 誰とでもする女の子だ、遠慮もしなくていい、イットーだってリュウだってした、そういう女の子なんだ、そう思ったとき、僕の頭に一つの考えが、本当に急に過ぎった。僕は言った。

「しない」
「そう?」
「しない。僕は、お前とは、一生、しない」

 ん? とニシャは目を見開いた。ありふれた考えだったと思う。随分とかっこつけた態度だったとも思う。実際、僕はかなり後悔することになるんだから。でも、その時の僕には、それ以上の解答はないような気がしたんだ。誰とでもする女の子の特別になるには、その子とは絶対しないことだ、と。

「そう」とニシャは言った。

 僕は、手を上げて、家に入ろうとした。でも、ニシャが、駆け寄るように僕に近づいて来た。僕は立ち止まった。

「あの日、小さかった頃、悔しかったんだよね、寂しかったんだよね、悲しかったんだよね」

 ニシャが僕の腕を掴んだ。僕は、気圧されて、少し仰け反った。でも、更に近づいて、ニシャは、珍しく少し躊躇うように、小さな声で、言った。

「わたしもだよ」
「……そう」
「でも、もう、そんな想いさせないから」
「お、おう」

 そして、ぱっと離れると、ニシャはまた颯爽と、背を向けて、神津家へと向かった。僕は、思わず、声を掛けた。

「おやすみ、ニシャ」

 ニシャは立ち止まった。立ち止まったきり、しばらく動かなかった。僕がそれから目を離せずにいると、ニシャは、ぴょんと跳ねるように、僕に振り向いた。笑顔はいつものことだけれど、その時の笑顔は、全てが融け落ちてしまうんじゃないか、というくらいに甘くて、柔らかなものだった。

「おやすみ、ヒトシ」

 ニシャは、ちょっと自分のその笑顔に驚いて打ち消すように顔を振ると、神津家の玄関に消えていった。ニシャが残した余韻が、それでもまだ割り切れない感情を淡く包んで、何だか不思議と明るい光が宿った感じがした。

 僕も、軽くなった足で家に入った。

 リビングには父がいた。僕は、遅くに外に出たことと、隣のニシャと会っていたことの言い訳をしようとした。でも、思い浮かばなかった。三者面談のことを口にするしかなかった。上滑りする僕の言葉を聞いて、父は、わかった、先生には俺から連絡する、と応えた。僕は頷いて、自分の部屋に戻ろうとした。その僕を引き留めるように、父は僕の名を呼んだ。

「ヒトシ」
「はい」
「ここは、俺の家だ」
「はい」
「自由にしたければ、自分で稼いで、ここを出て行け」
「……はい」

 僕は、いきなり、がつんと心が重くなった。

 この国は、十五の少年を無理矢理働かせるほど貧しくないし、そういう通念もない。当然僕にだってそんな心構えはない。事実上、そんなことは無理な話で、つまり、それは父の気に入らないことをするな、という命令以外の何物でもなかった。

 もっと言えば、隣の家の関係者と付き合うな、ということだった。やるなと言われればやりたくなるというけれど、その時の僕は言い返すだけすらできないほど、コドモだった。ただ、重たいものを、堪えるしかなかった。

 僕は、父がくれた、ニシャの取り返した、くしゃくしゃの一万円札を暫くの間眺めて、机の引き出しの奥にしまいこんだ。手に余るものが、あまりにも多かった。一日の終わり、僕はそんなものを抱えさせられて、ベッドに入った。

 これが、「『なんとか』の三日間」のこと。

 巨大な隕石が僕の人生に落ちて、どでかいクレーターを作った時のこと。

 ニシャの帰還。

 僕たちはこうしてリブートした。

 まあ、だからといって、朝、幼なじみが迎えに押しかけて来るなんてことは、やっぱりその後も無かった。僕はあたりまえに過ぎる毎日を食事を作ったり、掃除したり、勉強したりしながら、過ごすんだ。花菜にもふられたらしかった。約束破りの件以来、彼女は朝通学時に顔を合わせても僕を無視した。仕方無い。

 イットーとリュウは、しばらくぎこちなかった。

「キョウダイゲンカ」はもう無かったけれど、以前のような「コドモの会話」は、失われた。でも、なんとなく、僕たち三人は一緒にいた。それが、彼らのプリンセスの要望だったからだろう。きっと「順番」にソレも行われていたんだろう。

 正直に言えば、羨ましかった。僕だってやりたかった。でも同時に、ソレをしただけでは満たされないものを僕は感じていた。一生しないと啖呵も切った。僕はニシャを見る度身悶えするような想いをした。そして、きっとイットーだって、リュウだって、それを共有している筈だった。複雑に尖る心で、僕はイットーに皮肉を言った。

「大事なのはやらせてくれるかどうか、だもんな?」

 イットーは、「コドモ」の僕を鼻で笑うようなため息をついて、応えた。

「そんなこと、些細なことだ」

 ニシャは、結局ひとりになった。

 掛川が、彼女にしては、珍しいほど態度を硬化させたせいもある。最初はニシャも何かと纏わり付いていたけれど、掛川の言葉の無い冷たい微笑みにとっかかりを失って、いつしか近寄らなくなった。

 多分、でも、それだけじゃない。ニシャと長村圭との噂は、次の日には学年の殆どに広がっていた。確かに、長村圭のあのオーラに負けないだけの強いオーラの持ち主はニシャしかいなかった。多くの生徒が彼と彼女の「交際」にどこか腑に落ちるものを感じただろう。皆が噂を信じた。

 そして、長村圭のオンナである、という認識は、男子にも女子にも、ニシャをアンタッチャブルな存在に変えさせた。揶揄するどころか、話しかけるものも、視線を向けるものもいなくなった。

 皆、恐れていた。

 飴のひとつやふたつでどうにもならない状況に、きっとニシャもあきらめたんだろう。ニシャは、本当に、ぽつんと席に座っていた。誰にも迷惑をかけないように。

 たまに長村圭が教室の入り口に立つと、ニシャはコピーでも取りに行くかのような当たり前の仕草で席を立った。教室がしん、とする中、光を無造作にばらまきながらニシャは出て行った。僕はイットーとリュウを見た。二人の顔を表現する言葉を僕は持っていない。でも、きっと僕も同じ顔をしていた。

 三者面談の時、僕は父を待ちながら、ぼんやりと廊下に立っていた。ニシャが、その横に立った。僕は、今日は誰かとしないのかよ、と言った。ニシャは、この後、イットーと、と応えた。僕は、無表情を一生懸命保ちながら、視線を廊下の床に落とした。

「どこいくの?」ニシャは訊いた。
「どこって?」僕は応えた。
「高校。三者面談でしょ?」
「ああ」
「どこ?」
「東か、北」
「ふうん」
「お前は?」
「東か、北」
「は?」
「ヒトシと同じところにする」
「そうですか」
「そうですね」
「……入れるの?」
「どうかな」
「馬鹿なんだろ? お前」
「そうだね、無理かもね」

 そう言うと、ニシャは僕の隣を離れていった。やがて父が来て、面談は始まった。先生が、じゃあ、お父さんの希望を訊く前に、本人の意向を確かめたいんですが、と相変わらずやる気の無い声で言った。僕は俯いていた顔を上げて、応えた。

「聖モア学園高校を受けます。第一志望です」

 先生が眉を上げ、父が僕を見た。僕は、もう一度、聖モアです、と言った。

 完全に思いつきで、当てつけだった。先生は頷くと、父に聖モア受験についての話をし始めた。僕はそれを殆ど聞いていなかった。大人達が、自分を前向きだと捉えたのを知っていた。

 だからこそ、僕は、それを選んだ。

 逃げるために。

 その難しい感情から、逃避するためだけに。

 ニシャを切り離すために。


<#13終、#14へ続く>

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