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コロナの2カ月・アフリカにて(2020年2~3月)

(写真はコートジボワール)

2月3日

ナイロビの中国系の工場や会社をいくつか訪問したものの、春節休みが終わったというのに、経営陣は軒並み中国から帰ってきていない。たしかに街中でも中国人を見かけない。ここ1年くらいは、家族連れやただ遊びにきた若者のようなカジュアルな中国人をよく見かけるようになっていたのだが、いまは誰も歩いていない。経営陣たちはWechatを使って遠隔経営しているようだ。

知り合いのナイロビに住む中国人ビジネスマン何人かにWeChatで連絡をとってみるが、中国の家に引きこもっているとのこと。飛行機は飛んでいるんだから戻ればいいのにと思ったが、そもそも家から外に出られないらしい。

2月8日

ナイロビのスーパーでハンドサニタイザーを多めに買う。これを足の裏に塗ると蚊にさされにくい気がする。3月以降はアフリカ各国への出張が続き、農村の方にも行くので、少し多めに買っておく。

2月某日

アフリカ内出張で、自宅のあるナイロビからエチオピアのボレ空港へ。この空港は、いまや欧州、中東、アジアのハブ空港となっていて、夜の10時~12時頃になど5分ごとにニューヨークやロンドン、ドバイへと国際線が飛び立っている。空港職員がみんなマスクをしはじめたのは1月ごろ。空港でマスクをしているのなどいつもは日本人くらいなのだが。客でマスクをしている人はそれほど多くはないが、自分は中国人と見られているだろうから、した方が周囲は安心だろう。欧州系の人が、口も押さえず咳き込んでいた。

2月某日

ナイロビに戻る。飛行機の中でマスクをしているのは私を含め3人くらい。エチオピア航空のアディスアベバ-ナイロビ路線はフライト時間2時間ほどで、値段も3万円程度と、東京-大阪の往復くらいの気軽さで行き来できるのだ。

ただ、昨年のちょうどいまごろ、この路線で飛行機が墜落した。よく知っているケニア人が奥さんといっしょに亡くなった。2歳の子どもを残して。粉々になった飛行機の写真も見てしまったから、それ以降は乗るたび、最後彼らはどんなに怖かっただろうという想像が頭から離れない。

飛行機を降りると、入り口に立っていた警察が私を見るなりハッとした顔で近寄り「どこからきたのか」と切口上で尋ねる。アディスから来たというと「もともとはどこから来たのか」と重ねて聞く。思えばこのころはまだコロナ=中国だった。ナイロビに住んでおり、国籍は日本だが14日以内に日本に滞在しておらず、中国には十年以上行っていない、と答えて開放された。ここ最近訪れたアフリカの空港は検疫を強化しており、サーモモニターで熱を測っている。エボラの頃を思い出す。

2月26日

コロナの感染が、中国からそれ以外へと拡大している。イタリアやイランで感染者が増えているらしい。一方、アフリカはまだエジプトの1人のみ。中国と関係が深いアフリカはまっさきに被害が拡大するだろうとされていたのに。むしろ不思議である。

2月29日

27日に、ナイジェリアで初の感染者が見つかった。イタリアから出張に来た人だった。まだ2日しか経っていないのに、それも日曜の今日、ナイジェリア政府は水際対策と国民への感染防止に関するとても明確なアナウンスを発表していた。先に世界で感染が広がったから、準備はできているのだろう。日本も感染国とされ、日本から入国する人は14日間の隔離となった。

日本から入国するのではないから対象ではないが、アフリカ内での出張が多い私にとっては、少しコマが進んでしまった感じがする。3月以降は何カ月も出張が続く予定なので、日本に滞在していなくてよかった。アフリカで多少感染者が発生しても、すぐには入国禁止にしたりしないだろうし、アフリカ内の往来はたぶん大丈夫だろう。14日間他の場所で待機してから入国するのでもいいし。

もうここ5年くらい、日本にいる日数は年間合計しても3カ月くらいで、残り9カ月の半分はナイロビに、残りはアフリカ各国をぐるぐると出張している生活である。

3月8日

いまのところアフリカ大陸全部あわせた感染者は30人ほど。ただ、商社各社は次々出張禁止となっている様子。感染者がほとんどいないアフリカ内での出張も禁止になっていて、駐在員の人はどこにもいけないらしい。

3月9日

原油価格急落。これは、コロナよりも確実にアフリカの経済に響く。ナイジェリアはようやく前回2014年の原油価格急落から立ち直ってきたところなのに。ただナイジェリアの場合、常に数々の荒波に揉まれておりそっちが日常なので、なんとかなるだろうという謎の安心感も同時にある。

アフリカのコロナ感染者はまだ北アフリカが中心。4月には収まっていたらいいんだけど。

3月10日

ケニアの自分の周りの人も、うちのナイジェリアやエチオピアのスタッフも、コロナについての知識がすごい。いまどこで広がっているか、どう感染を防ぐべきか、正しい情報をよく知っている。

そして、恐れている。コロナよりももっと怖い感染症にふだんから囲まれているし、我々はエボラを乗り越えたじゃないか、と思うのだが、エボラのときより何倍も怖がっている。「だって、先進国でもこれだけ広がるのだから、医療設備が不十分なアフリカならもっとひどいことになる」と、ビル・ゲイツみたいなことを言う。「だいじょうーぶ、死んでるのお年寄りばかりだから。アフリカの人口の半分は子どもだし、われわれは若い国なんだからたとえ感染しても死なないよ」と言ってみるが、今後どうなるかは誰にもわからない。

3月11日

感染者数が急に増え、アフリカ合計で130人に。為替も株価も総崩れである。

日本とのビデオ会議が3件。どの会社もオンラインを取り入れるようになったので、日本との面談はむしろやりやすくなったかもしれない。面白いように使っているツールがばらばらである。世間でいま一番人気があるのはZoomだと思うが、当社のお客さんである大企業ではあまり使われていないようで、2社しかいない。

代理店が実際にきちんと配送や営業を行っているかを調べる、ミステリーショッパーという手法を使ったモニタリングを受注。当社の現地スタッフが現場を訪ねて、第三者の視点でその働きぶりや実際の競合状況などを把握して報告することで、日本企業側が把握/管理しきれず隔靴掻痒になっている状態を解決する。こういった調査は、どうやってうまく情報をとるのかとよく聞かれるが、情報をとるためのコツと手法があるからとしか答えようがない。そのためにはスタッフを十分訓練することと、上手に管理することである。

当初はうちも、現地の会社に仕事を委託してできないかと模索し、何社にも実際に依頼してみたが、最初のプレゼンで抱いた期待値をそのまま維持できた会社はなかった(アフリカの人はプレゼンが上手である)。現地のコンサル企業と話をすると、ある程度規模がある会社でさえレポートにSWOT分析を書いてきたり、現場の実際の商品や事業の流れを理解せぬまま書かれたレポートがでてくるから興ざめである。「コンサル作法」をなぞっているだけで、現実とリンクしていない、レポートのためのレポートで、日本も80年代はこんなだったのかもしれない。

3月12日

「日・ケニアビジネス対話」に参加。あとから考えると、これが人が集まる場所にいた最後となった。ケニア側の投資関連団体と日本の公的機関で、合計70人くらいが参加している。ケニアはアボカドを輸出の重要産物として、昨年中国との間で検疫などに関するルールを策定した。日本とも話が進んでいる。知り合いのアボカド農家も期待しているがどうなるか。

気になって、スーパーにいくたびハンドサニタイザーを見ているが、もはやどこも欠品。ケニアではまだ感染者はひとりも見つかってないのだが。メーカーの販売員と話をしたら、増産につぐ増産で、昨日はカルフールに2万本納品したらしい。

オフィスや自宅など、自分の生活範囲においてアジア人は私一人なのだが、いまのところ人々の反応もいつもと変わりない。避けられたり、石を投げられたりすることもない。アジア人の私を恐ろしいと思わないのかな、コロナのこと知らないのかなと思っていたが、さっきふざけてお掃除の人に投げキッスをしたら、笑いながら「コロナが伝染るー」と逃げられた。あ、やっぱりわかってたんだ、わかってたけど普通に振る舞ってくれていたのねと合点した。

3月13日

ケニアで初の感染者がみつかった。アメリカでの留学から帰ってきたケニア人。オフィスは今日で一旦閉め、リモートに移行するつもりだったが、とうとうきたか、という感じである。

今日はアポやビデオ会議が7件。そしてまだ仕事が残っているが、もう疲れたので久しぶりに外食することにする。ケニア政府はすでに深夜営業のバーやクラブの営業を禁止した。たぶん、これからはレストランで食事するのも難しくなるだろうから、これが最後の晩餐だ。

レストランの前にスーパーに寄ると、昨日まではいなかったのに、マスクや使い捨て手袋をしている人が現れていた。ガスマスクみたいなマスクをしている人もいるが、どこで買ったんだろう。

3月15日

ケニア政府が、レジデンスパーミットを持っている以外の、感染国からくる外国人の入国を禁止した。これで日本企業の出張は無理となった。危うい状況になってきたな。。。と思っていたら、モロッコがすべての国際線旅客機の発着を禁止した。こうくるのか。。これはまずい。飛行機自体が止まってしまったら、どうしようもない。ケニアや出張先の国で同じことが起こらない可能性はない。あさってから出張の予定だったのだが、予定の組み直しだ。

喫緊の用事は現地のスタッフに任せるしかない。幸い、得意な分野だし、これまでも何度もやっているから、スタッフは私がいなくても問題なくできるはずである。日曜だがスタッフにWhatsappでその旨を伝え、準備に入る。

3月16日

外で済まさなければならない用事はなるべく早く済ませてしまおう。支払いを回収したり、書類をとったり、ライセンスをリニューアルしたりするというような事務作業が、こちらでは恐ろしく手間がかかる。せっつかないと後回しにされるので、毎日毎日同じ人に同じ用件で電話をする。ただし、どういうロジックで話を進めるか、誰と話をするか、どういう態度で接するかで、結果が雲泥の差となるので、誰でもうまく進められるわけでもないのがまた面倒なところなのだ。急がないと、企業もリモートワークが増えて連絡がつきづらくなってきている。政府のオフィスは半分閉まりかけている。

3月17日

スーパーに買い出しにいくと、買いだめ客で賑わっている。平日にこんな賑わっていることはないし、買い物メモをみながら買っている人などいつもは見ない。

こういうときに、何を買いだめするかは、とても興味深い。主食のウガリ粉や、ケニアの人が頻繁に飲む紅茶にいれる砂糖などは、やはり棚がすかすかになっている。米も買われているが、買われているのは2kgか5kgのパッケージであり、10kgはあまり動いていない。あとは豆。やはり豆は主食なのだ。

マンションの警備員さん用に漂白剤を買う。政府アナウンスによると、漂白剤で、服や家だけでなく手も消毒できるという。パッケージには「99.9%の細菌を殺す」と書いてある。コロナはウイルスなんだけど、まあいいか。

サニタイザーやアルコール消毒液は品薄。この機に乗じて高値で販売していた地元スーパーのオーナーが逮捕されたらしい。

ウガリ粉と砂糖を、どちらも自分は使わないが、20袋まとめ買いした。いまはいいけど、このあと必ず物価が上がり、人々の生活は苦しくなる。そのときがきたらマンションの警備員さんたちに渡そうと思う。いままで彼らには、自分の生活を安全に守ってもらおうという下心から、日本からのお土産をいろいろあげてきた。あれがいいかな、これがいいかなと心をくだいて選んできたが、偶然近所で買って渡したふつうの砂糖を受け取ったときの心からの喜びぐあいをみて、特に嬉しくなかったんだなとわかってしまった。まあよく考えたら、へんな日本風なものなんかよりも、毎日使い家族で使える慣れたものの方が嬉しいのは当然である。

自分用にも買いだめをしておこうと思うが、水以外に買うものが思いつかない。暴動やテロがあっても1週間ほど生き延びられるように現金や食品をおいているのと、日本から食材を運んできてストックしているので、つまり、ふだんから備蓄生活なのだ。

3月20日

密室で接近してしゃべる場所がよくないらしい。この条件にまさに当てはまるのは車の中である。アフリカの都市部の移動は治安の観点から車が中心だ。ナイロビで窓を開けて車に乗るわけにはいかないし、ドライバーさんは大きな声でしゃべる(やめるはずがない)。

困ったなと思っていたら、ドライバーさんがハンドルなどを毎回アルコール消毒していることに気づいた。ダッシュボードにはサニタイザーとウエットティッシュ。運転席の窓だけ開けて換気。どうやら彼は家に帰っても子どもを触らず、手を洗い、シャワーをして、服を着替えてからハグすることにしているらしい。コロナについてもすごくよく知っていて、街角でハグしている人を見つけてはソーシャルディスタンスを指摘する「ハグ警察」になっていた。。。私の方が移さないようにしないと。彼のこの対策具合だと、しばらく車からできるだけ下りないようにするならば、外出は続けられるかもしれない。

ふだん外を回っているスタッフに同行してマーケットと小売店を回る。なんども、人混みには入らない、トイレをみつけるたび手を洗うこと、顔は触らない、と言ってきたのに、今日いっしょにいる間に「顔触ってるよ!」と繰り返し指摘するはめに。。ハンドサニタイザーと、昔日本から持ってきて引き出しの奥に眠っていたマスクを支給。出張中の蚊を防ぐために2月に買いだめておいたハンドサニタイザーが役に立つとは。

いつも渋滞しているナイロビだが、道路は空いている。

3月21日

ケニアのスタッフは一人を除いてリモートまたは休みにしたが、ナイジェリアとガーナでまだ外での仕事が残っている。ナイジェリアはケニアより先に感染者がみつかり、現地スタッフが「ちょっとしたパニック」と報告をくれていた。どんな感じか想像がつく。この機を利用したアジテーターや商売人が忙しくしているんだろう。そのスタッフから土曜夜にWhatsappが入り、政府のアナウンスが日々強くなってきているので来週半ばで外出禁止になるのかもしれない、プロジェクトのスケジュールを変更したいという。予定より費用はかかるが即時OKし、それに応じた変更作業をこちらもする。

いつも回っている卸に顔をだしてまわる。このあたりも人出は少なくなっているものの、変わらず街角で互いに濃厚接触し、テーブルでお茶を飲む人たちがいる。土曜日なので理髪店も混み合っている。

スーパーなどで売られるパッケージ製品は、政府が便乗値上げを禁じているので価格は変わっていないが、それ以外については卸の段階での価格が確実に上がっている。米の卸売価格は1.3倍になっていた。

3月22日

ナイジェリアがラゴスとアブジャの国際線の発着すべての1カ月の停止を発表した。これで、ナイジェリアへの出張の予定は早くて1カ月後となった。幸い、ナイジェリアのスタッフは優秀なので、任せられる仕事の範囲も大きい。エチオピアのスタッフとは、今後外出禁止になった場合にレギュラーで行っている仕事をどう継続していくか話し合う。この調子だと、今年はいつもよりナイロビに長くいられるかもしれない。

当社は日本企業がアフリカで事業を行う際に事業開発の支援をしているのだが、それとは別に、当社自身で小売流通事業も行い、小売に対して商品を卸している。コンサル事業の方が忙しく、スピードをもって進められていなかったが、テコ入れができるかもしれない。

そうこうしているうちに、夜、ケニアでもすべての国際線の発着禁止が発表された。これで完全に出国は難しくなった。

幸いなことに、いまの段階でも仕事の引き合いは引き続き多い。うちは長年訓練してきた現地スタッフがいるから、ケニアにいる私と、各国にいる現地スタッフとで、仕事が継続できるのが幸いである。

3月23日

オフィスに寄って、重要書類を持ち帰る。会社の登記書類や各種許認可証明書類、銀行のチェックブック、雇用に関する書類など。いつオフィスに戻れるかわからないので、4月末が締め切りの会計監査に必要な書類も全部家に持ち帰る。

先述の自社で行っている小売事業に必要な物資を買いに行ってもらったら、タウンに3軒ある専門店のうち2軒がすでに閉まっていた。感染防止というよりも、商売がダウンしたからだろう。

当社がオペレーションをみている、日本企業がアフリカ各国にもつ代理店も、リモートへと移行した。顧客のところに訪問して、説明して営業することが必要な事業なので、営業マンが外出できないことの打撃は大きい。

うちのリサーチャーのうち1人は、まだ動いている。彼は小売流通を専門に調査をしてもらっているが、このコロナの動きを受けての、パパママショップにおける品揃えや価格、ストック、キャッシュフローの変化を調査をしているのだ。パパママショップでも客の買いだめが多少はあり、そのおかげもあって店によって数量にばらつきはあるもののストックができている。ウガリ粉が一時品薄になり価格が上がったが、すぐに供給されて戻っている。

シリーズAラウンドで投資をしたアフリカのスタートアップから、頻繁に連絡がきて、事業の持続性とリスク対応についての説明がなされる。私は特に求めていないが、他の投資家の中にはこの状況下懸念を持っているところも多いだろう。ここ数年盛り上がったアフリカのスタートアップへの投資にも、変節点がきている。

3月24日

南アで今週からロックダウンがはじまることとなった。全国規模で完全外出禁止、移動禁止である。南アで事業を行っているクライアントに連絡して、営業や決済をどう対応するか決める。

うちの南アのスタッフは現在国外にいるので大丈夫だが、多くの人が心配しているのは、自宅籠城になることよりも、経済が停止することで起こる社会不安による治安の悪化である。ロックダウンとなった際に、アフリカのマンションや住居にはよくいる警備員さんの出勤はどうなるのかと疑問に思っていたが、どうやら労働が必須である仕事に分類され、通勤を許可されるらしい。

金銭を目的とした押し入り強盗などは想定の範囲内で、というよりも常日頃からそのリスクはあるので、持っていってもらう現金はすでに用意してあるくらいである。街で暴動が起こった場合も、家でじっとしていればいい。実際のところ命の危険が生じるのは、制御できないような社会不安が吹き荒れ、ジェノサイドのようなことが起こる場合である。そうなったら、四の五の言わずに避難するしかない。車のガソリンも満タンにしてあるが、問題は私が免許をとってから公道を走ったことが2回しかないペーパードライバーだということである。マンション敷地内でエンジンのかけ方から練習するかな。。

3月25日

ロックダウンをまぬがれた!今日の大統領のアナウンスではロックダウンが発表されるのではないかと噂されていた。現在ケニアの感染者は31人だが、政府は感染者が一人のときから先手先手で対策を打っているのだ。結果、発表されたのは夜間の外出禁止だけだった。昼間が外出禁止にならなかったのが嬉しくて思わず小躍り。

法人税や所得税、VAT(付加価値税)の減税、所得が2.5万Ksh以下の人の免税も発表された。ケニアは財政基盤を強化するため、税収捕捉の強化や今年から新税制も取り入れていたというのに国家歳入は大丈夫なのか、と一瞬考えたが、それでも減税と聞くと気持ちが晴れ晴れしてやる気がでる。

3月26日

夜、雨が降る。気がつけば雨季だ。雨が降ると湿気で感染しづらくなったりしないんだろうか。。などと考えていると、停電。うちのマンションには発電機がなく、停電すると近隣のマンションで一斉に発電機のうなりが聞こえる中、うちだけ真っ暗となる。停電すると、水をポンプで組み上げられなくなり、給湯器が動かなくなる。そうなることを予想して雨が降り始めたときに急いで給湯器のスイッチを入れておいたので、ろうそくの下お風呂に入ることができた。ナイロビの雨はすぐやむことが多いが、今日は長く降っている。水道がないエリアで、手洗いの水に困っている人たちは、この雨をちゃんと溜めておいただろうか。

3月27日

今日から、ケニアでも夜間(19時から5時)は外出禁止である。夕方になって、うちのスタッフや心配な何人かに電話したが、みんなすでに帰宅済み。アフリカの人が時間にルーズというのは嘘である。大事なときには絶対遅れない。面接や商談をすると、(それが相手にとって大事ならば)30分前にやってくる。

19時までに家に帰らないといけないため、帰宅時間が重なり、ラッシュが起きている。ナイロビではラッシュは風物詩だが、最近はどこも空いていたので、久しぶりのラッシュが懐かしく感じた。

3月28日

私の部屋からはマンションのすべての入り口が見えるのだが、どうやらみんな最近はスーパーの宅配やレストランのフードデリバリーを使っているようである。ここ2週間ほどは配達のバイクが頻繁にやってくる。Uber EatsやGlovo、そして普通の配送である。最近はスーパーでも、配達するために荷物をそろえている最中のかごがたくさん並んでいる。

今日も雨が降った。ウイルスが全部洗い流されますように。スーパーではハンドサニタイザーの欠品が解消されていた。国内最大の化学品メーカーで、石鹸から食用油まで作るBidco製。これまでBidcoのハンドサニタイザーは見かけたことなかったが、新たに製造を始めたのであろうか。ニュースを見ているとアフリカ中で多数の企業が消毒液製造に乗り出している。需要が確保されているなら製造できるんだな。これを機に国内製造率が上がればいい。

3月29日

最近のあいさつは、Stay safe!Be sanitized!である。今日も知らない人からそう声をかけられた。ナイロビの人の、こういうオープンで都市的な社交感覚が昔から私は好きである。コロナ以来、アジア人が差別されているというニュースもみるが、やはりふだんから外国人や同性愛者、異宗教への攻撃があるような国や場所で起きているようにみえる。ふだんから暴力が許容される場所では暴力がおき、強権的な政治の国では強権的な対応をとる。コロナで現れてくるのはふだんの姿だ。

来週からはもう4月だ。3月頭には、4月には収まっていたらいいのにと思っていたが、とんでもない、これからが本番だということが、もうよくわかった。そして緊急対応が一段落すれば、事業をどうやって続けていくか、守りながらも攻めていくかということを考えるフェーズに入る。ほとんどの駐在員の人が帰ってしまい、日本からの出張もままならない状態だが、ここにいることで私やうちのスタッフができることはある。

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