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「やめることで豊かになる」の先にあるもの

こんにちは。うめ組ランジェリーです。

今朝、マレーシアで暮らす野本響子さんの記事を読んでハッとした。そうだ、こういうことだったんだと気がついた。

ワーホリで色んなことを感じ、気がついたことはこれまでにもnoteに書いたけれど、いざ人に「バンクーバーの何が良かった?」と聞かれるとうまく答えられずにいた。

都会からすぐにアクセスできる広大な自然」があり、「人がポジティブに生きていて」、「多様な価値観に触れて視野が広がった」。これも私の確かな実感ではあるのだけど、日本にも自然はあるし、ポジティブな人もたくさんいる。バンクーバーに行けばすべてハッピーということでもない。

でも野本さんの記事を読んで、そうか、と思った。バンクーバーでのある意味「何もない」生活を通して、自分自身のマインドが「何か足りない」から「満たされている」に変化していたからだなあと気がついた。

「やめることで豊かになる」を知っている私たち

先週、王様のブランチを何気なく見ていたら、わたなべぽんさんの『やめてみた。』というコミックエッセイが紹介されていた。

『やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方』わたなべぽん著(幻冬舎)(書影はAmazonより引用)

「炊飯器が壊れた」ことをきっかけに色んなことをやめてみたら、生活が豊かになり、自分自身も豊かになっていった…というぽんさん自身の経験を聞きながら、私もカナダで炊飯器がなかったから鍋でごはんを炊くようになり、そういうやめることの連続で生活がシンプルになっていたな〜と振り返ってとても共感していた。番組のあと、思わず『やめてみた。』『もっと、やめてみた。』をKindleでまとめ買い。エッセイの中でもぽんさんの等身大で飾らない人柄にほっこりした。

捨てること、やめること。何かを手放すことで精神的に豊かになれるということはだいぶ前から皆気づいている。片付けの魔法、「こんまり式」は人生を丸ごと変えてくれそうなセンセーショナルさもうけて大ヒットしたことも記憶に新しい。

だけど、野本響子さんの記事を読み、自分のカナダでの生活を振り返り、ふと思った。東京で生活している私たちは「やめることで豊かになる」と知りつつも、その本質を見落としがちなんじゃないか?と。

現代の生活には情報やモノが多すぎるから、何かをやめてみたら少し豊かになれるかもしれない、という単純な可能性に期待してしまう。多すぎても少なすぎてもダメなんだと思ってしまったり、自分自身が「足りている」と感じることにはまだまだ不慣れな気がする。

私がカナダで「やめていた」こと

カナダではいろんなことをやめていた。例えば、

・炊飯器をやめた
・コンビニをやめた
・常にお菓子やアイスを冷蔵庫に入れておくのをやめた
・ペットボトルをやめた
・スーパーのプラスチックバックをやめた
・広く浅い友人付き合いをやめた
・何かある度に仲の良い友人に連絡したり、飲みに行ったりするのをやめた
・テレビを見ながら朝食をやめた
・長風呂をやめた
・「最低3ヶ月に1回」の美容院をやめた
・定期的な飲み会をやめた
・婚活をやめた
・デパコスをやめた
・「休日はショッピング」をやめた
・カップ麺をやめた
・毎日の晩酌をやめた

…など。どれもやめてみようと思ってやめたわけではなくて、環境的にやめざるを得なかっただけ。なので日本でまた取り戻す習慣もあると思う。それでも、一時的にでも自分の人生からいろんなものがなくなっていき、生活がとてもシンプルになった。「やめよう」と決意したわけでも自分を変えようと思っていたわけでもないのに、環境の変化が私の生活を変え、結果的に私のマインドも変わっていた。

「やめたい」に気がつくのは案外難しい

私の友人の1人に、キレイでちょっとセクシーで、男性からモテるタイプの女性がいる。周りの男性が、彼女の生活費やいろんな援助をしてくれているのだと彼女は言っていた。

そんな彼女からちょっとした愚痴を聞いていたとき、つい「(そういう関係性を)変えたいとは思う?」と聞いてしまったことがある(そんな余計なお世話な質問しなくても良かっただろうに、と反省はしている…)。自分で男性から「与えてもらう」生き方を選んでいるくせに、幸せじゃないならやめれば良いのにと思ってしまったからだ。

嫌悪感を感じていたのだと思う。彼女にというより、そんな彼女を心のどこかで「うらましい」と思ってしまう自分自身に。お金を出せば側にいて言うことを聞いてくれる、そういう女性がいるから男性がつけあがるのだと、世の中にある色んな男女の価値観に対する怒りもごっちゃになっていた。だけど彼女は甘え上手&世渡り上手で、男性に依存しきっているわけではなく、男性をうまくコントロールしていることも知っていた。私はそんなふうに器用には生きられない。口では男性と対等でいたい、自立した女性でありたいと言いながら、もう「120%甘えさせてほしい」と思ってしまうときもある。そんな自分の弱さや矛盾に気づいてしまうのがとても嫌で。

私の質問に、彼女は「変えた方がいいとは思うけど、でもこれで今までやってきたから」と答えた。それを聞いて、そっか、やっぱり変えたくないんだなと思った私は「変えたくないなら、変える必要はないと思うよ!そういう子を守ってあげたい男性って多いと思うし」とちょっと意地悪な、子どもみたいな返事をしてしまった。

すると彼女は、「でも、一度知ったことを知らなかったことにするのは大変だから」と言った。私は、うーーーーーーーん、と唸ってしまった。結局、彼女の本音がどこにあったのかは分からない。

一度手放してみなければ、やめて良いものなのかどうか、自分にとってそれが大事なのかどうかにも案外気がつかない。

落ちないように必死に掴んでいるロープを、「離しても大丈夫だよ!怖くないから!」と人に言われても「はっ?」である。私も日本でもっと良い年収、もっと良いキャリアを目指して働いていたときに、人から「フリーターになっても幸せだから大丈夫だよ!」と言われても「いやいやいや…」となったと思う。

***

「満たされている」と思うことは、だから努力もせず現状維持でいいとか、何もしなくて良いということとは異なる。

私は以前の「足りない」マインドの時よりも、むしろやりたいことや手に入れてみたいものが増えた。「足りない」と思っているときは、何が欲しいのか、何が足りないのかも分からなかった。

満たされているからこそ、安心してチャレンジができるのだと思う。やめてもやめなくても大丈夫。目標を達成しても達成できなくても大丈夫。そういう自分の基盤を安定させて、挑戦し続けていけたら幸せだなと思う。

ありがとうございます。下着作りに活用させていただきます🎀✨