店長に怒られて始めた一人暮らし

「あなたね、いつまでも親が養ってくれる年じゃないよ?」
都内のカフェで店長と向き合った席の前で私は大号泣した。

HSP(繊細さん)気質を持つ私は緊迫した空気や本音を言う時、自分の失敗を認める時などなど、涙が出やすいのだ。

大学3年生の秋、入学当初からバイトしていたパン屋が潰れて、ずっと収入がなかった私に友達が同じバイト先を紹介してくれた。友達は私に「ここは個人経営のお店で普通のバイトと違って経営のこととか学べると思うよ」と言った。なんでもかんでも成長したい!という安直な思考が働いて、就活も終わっていない私は4年の夏にバイトを始めた。長期インターンに卒論にバイト、とても忙しい時期を過ごした。就活は同時並行でしていたけれど、長期インターンをしていた同期の中で就職が終わっていないのは私だけだった。

理由も分からず落とされたお祈りメールを見て、自分は本当にやばいやつなんじゃないかと思った。みんなと同じことができない。私の就職先が決まらなくても誰も気に留めない。インターンも行っていなかった姉が就活浪人したことと、コロナで一生懸命課外活動した私が一緒だって言うのか。そんな事実、受け止めたくなかった。

そんなある日、バイトの店長と話す機会があった。またまた成長したい!センサーが働いてしまい、お店の二階に上がって店長と小さい机に向かい合って座った。

最初何を話したのか覚えていないけど、こんな質問をされた。
「就職は決まった?」
「決まってないです。今就活してなくて」
「来年からどうするの?」
「動画の勉強をスクールに通ってしようと思ってます」
「実家で暮らすの?」
「はい、実家で暮らそうと思ってます」

私の実家は都心からアクセスがそこそこ良くて、家族とも仲が特別悪いわけでもなく、一人暮らしをしようという考えがあまりなかった。

そんな能天気なことを考えている私は、店長の沸点に達していることに気づかずにいた。

そしてここから冒頭に戻る。

「あのね、もう親が養う年じゃないよ?・・・」

店長が言うには、20代前半で人生が決まる。自分で稼いで、自分で一人暮らしの生活費を大学時代から出していた店長にとって、私はぬるま湯につかって親のすねをかじって文句を言っている子供だった。

この話を周りの大人に相談すると、
「その店長いくつ?もう時代が違うよ」
「別に実家があるならいいじゃない?地方から出てきたなら別だけど」

対立する意見を聞いて私は、店長の言葉がどこか図星を疲れていることに気づいた。家事をしたことがない、生活費にどのくらいお金がかかるかわからない、親がいないと生きられない。まだ先の見えない不安がずっと心の奥底に溜まっている。

きっかけがなかった私は店長の一言で一人暮らしを始めることにした。

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