飛び降り自殺をしたら頭から落ちた話 ②(終)
(↑は怪我をした私の顔のイメージ画像です。)
(↓前編です)
集中治療室から精神科に移った。
まだ脳の感染や病状の悪化の可能性があったため、看護師さんがすぐに駆けつけることができるナースステーション近くの部屋で過ごすことになった。
部屋に入った瞬間、大きな窓から祝祭のような青空と、溌溂とした緑色を放つ山が見えて、綺麗だと思った気持ちの分だけ、憎たらしくて惨めで死にたくなったし、殺したくなった。
精神科に移ってすぐ、栄養士さんと食事形態の話をした。
顎の骨が折れており、硬いものは食べられないので、
「全てミキサーでペーストしたものになるということ」
「それらで補えないカロリーは1パック200kcalあるジュースで補う」
ということを伝えられた。
実際にその日から、ペーストされた食事が出されたのだが、見た目的にも何を食べているのかわからず、また、味覚も嗅覚も麻痺していたので、味的にも何を食べているのかわからなかった。
その上、口腔内の上顎部分全体の触覚も麻痺していたため、食感もわからないし、知らない間に食べ物が歯と頬粘膜の間に入り込んでしまい、食後に食べ物の残骸が口から出てくるというキモいことが起こるようになったため、食欲減退に拍車がかかった。
これらは自分の想像している以上にストレスだったらしく、食事を摂らないと元気になれないのに、どうしても食事を摂ることができない不甲斐なさで泣いてしまったり、食事を毎回かなり残してしまうことで、栄養士さんを困らせてしまった。
お菓子でもいいからカロリーを!
と思いクッキーを食べようとしたのだが、口に入れた瞬間、口の中が激痛で吐き出してしまった。
麻痺をしているはずなのに痛覚?突っ張っているような違和感だけは立派にあり、なんて理不尽なんだ!と思った。
食事は味覚の回復と共に少しずつ摂れるようになっていったのだが、入院して1か月経った今でも、まだ普通のご飯は食べられないし、
顎を大きく開けられないため、大好きなシュークリームをほおばれなくて悲しいし、
味覚も戻りきっていないため、
甘味、塩味、苦味、酸味以外の味の情報(例えば、レモン味、抹茶味などの+αの味)がわからず、食事が楽しめない。
退院して食べたいものリストを作っていたのだが、味がわからないから食べても意味ないと思うようになってしまった。
食事以外でも私を苦しめたものは幾つかある。
それは激しい頭痛や吐き気、めまい、低血圧など。
顔の骨以外に、脳の底の骨を折っていることや、飛び降りた時の着地の衝撃をほとんど頭が吸収したため、脳震盪や髄液鼻漏(脳の中にある脳骨髄液が鼻から出てきてしまう現象)を起こしており、そのせいか今まで経験したことがない頭痛が襲いかかってきた。
例えるなら、頭の中を巨大な毛虫が這いずり回っている感覚。
私の心臓の拍動に合わせて、頭の中が除夜の鐘の如く勢いよく打たれている感覚。
とにかく息をするのも苦しいくらいの頭痛が襲いかかってくるので、入院してから1〜2週間はほとんど寝たきりで死んだように過ごした。
吐き気やめまい、低血圧も酷く、吐き気止めを飲んだにも関わらず、吐いてしまうこともあったし、めまいがして目の前がチカチカして倒れてしまうこともあった。
2分くらい立っていると自動的に倒れる身体になってしまったため、日常生活の全てが遠くなってしまった。
その他にも、骨折のせいなのか、それとも、脳に侵入する細菌と身体が戦っているためなのか、発熱が続いていてしんどかった。
感染予防のため抗菌薬を点滴し、発熱を抑えるためにも解熱鎮痛薬を飲んでいたのだが、それでも熱は下がらず、少なくとも2週間は熱が出たままでしんどかった。
発熱に加えて、低血圧と、あと血を流しすぎたせいなのか貧血になっており、ずっと身体がだるくてしんどくて、動けなかった。
また、頭の骨が折れたことにより、副鼻腔に大量の血が流れ、また副鼻腔自体も出血をしていたため、副鼻腔から口へドロっとした血の塊が数分おきに流れてきて、それを毎回ティッシュに出しては捨てて、出しては捨ててを繰り返すのもしんどかった。
寝ている間にも吐き出していたため、
朝起きるとシーツやパジャマに血がたくさん付着しており、いつになったら副鼻腔の血を出し切れるのだろうと不安になった。
(骨を折ってから1ヶ月が経った今も元気に血は口から出てくる。いつまで続くのだろう。)
頭を打っているために、お風呂はもちろん髪も顔も洗うことができず、これが発狂しそうになるくらいしんどかった。
入院して1週間以上が過ぎ、とうとう我慢の限界迎えたため、血でバリバリになった前髪を洗うべく、半泣きで部屋の洗面台に顔を入れて、前髪を濡らして、擦って洗ったのだが、
髪の毛にこびりついた血は濡らして擦った程度ではとれず、さらには、病院の借りているタオルで髪を拭き取ると、タオルに1週間前に流した血が大量についてしまい、グロい上に大迷惑をかけてしまったので、お風呂に入れるまで我慢しようと思った。
しばらく経って久しぶりにお風呂に入れたのだが、もちろん看護師さんの介助つきだったし、頭をシャワーで洗うと折れた骨に水が突き刺さって痛くて仕方がなかった。
おでこや、膝や手の傷にも水が当たって痛くて地獄だった。
この頃になると落ち着いて自分の身体を見られるようになったのだが、ボコボコに腫れて、内出血をして、傷ができて、誰だかわからなくなっている自分の顔や、捻挫で腫れている腕や足、骨折で腫れている膝、点滴をずっとしていたため、腫れている腕などを眺め見て、顔どころか全身からも元の自分を想像することはできなかった。
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時は流れ、入院から3週間くらいが経ち、
最初はマッサージだけだった膝のリハビリが本格的にスタートした。
私の場合は、まずは折れていない方の足で身体を支えないといけないため、折れていない方の足の筋トレをしなくてはならなかった。
私は筋トレとか運動が本当に嫌いなのでこれが地味にキツかった。
何より死にたかったのに、リハビリをして身体を動かして回復に向かっているということが、自分の死に対する願望と反するため、
「こんなことをして何になるんだろう」
とか、
「こんなことせず死にたいのにな......」
と思いながら、なんとかその気持ちに蓋をしてリハビリに臨んでいた。
入院してから1ヶ月くらい経った今、折れた方の膝を動かしてもいいという許可が出たため、折れた方の膝のリハビリも始まった。
これが思っていたより大変で、
まず1ヶ月膝を伸ばしたまま固定していたため、曲がらない。本当に。
曲げようと思っていても、どう力を加えたら以前のように曲がるのかわからなかったし、頑張って曲げると今度は激しい痛みが襲ってきた。
もう面倒くさくなり、一生膝を伸ばしたまま生きようかな〜!などと、バカみたいなことを考えたりもしたが、そんなことができるわけもなく。
仕方がないので折れた方の膝のリハビリを真剣に頑張ろうと決意した。
いまだにしゃがむことや膝立をすること、階段を上り下りすること、自転車に乗ること、走ること、たくさん歩くことはできなくて、
(膝だけじゃなくて頭の骨折もあるため)
まだまだ日常が程遠いが、車椅子生活だった頃よりかは少しは進歩しているのではないかな、と思う。
この1ヶ月で、上顎の麻痺は左側だけになり、
味覚もまあ半分くらい戻ってきてはいるし
(それでもやっぱり味があまりわからない)、
顔の腫れや内出血もだいぶ引いてきて元の顔にほとんど戻ったのでよかった。
ただ、麻痺は残るっぽいし、味覚も全回する気配はないし、それからある日突然口周りが痺れるようになって、その日から治らないままだし、いまだに顔の折れた骨が痛い。
顎もまだ大きく開けられないし、噛めないから食事はペーストのままで。
それから、おでこにもたくさんの傷が残った。
そのうちのいくつかは治りそうだが、深く切れて凹んでいるところは治りそうにない。(が、自分のことをハリーポッターだと思い込んで生きていこうと思う。その方がなんかカッコいいので。)
他にも先ほど述べた通り、副鼻腔を満タンにした血がいまだに口から出てきて気持ちが悪い。
でもまあ、そういう"不便になったり、不快になったりする可能性"もわかった上でやったことなので、後悔はそんなにしていない。
ただ、「死にたい」「どうでもいい」以外に、本当に高いところから飛び降りる練習で、
2階から飛び降りて、こんな風になると思ってはいなかったし(実際2階から飛び降りた友達は無傷だった)、2階から飛び降りた場合でも打ちどころが悪いと後遺症が残るような怪我をしてしまうということがわかった。
そして何より私はもう2度と飛び降りることはないと思う。
痛過ぎたので。
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