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飛び降り自殺をしたら頭から落ちた話 ①

何が原因だったんだろう。よくわからない。
それが病気なのだと思うのだが、やっぱり釈然としない。
釈然としないけど私が飛び降りたことは明らかな事実だった。

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6月中旬のある日、私はそれまでに抱えていた悲しみや自分に対する嫌悪感、それから、死にたいのにその日も元気に脈打っている自分の心臓が憎たらしくてしょうがなくなった。

そんな気持ちを掻き消すために、
いつも通り処方された薬を飲もうと思ったらその日に限ってどこかに忘れてきたらしい。
6種類の精神科の薬を飲んで無理やり安定させていたメンタルが一瞬で崩壊した。

ぼんやりした頭のまま、家の屋根に出た。
屋根は0時ごろの通雨で濡れ、ドロドロしていた。そんなことも気にせず私は屋根に腰掛けた。

その日は月がとても綺麗で、少し濡れた路面と屋根にいる私をぼんやりと照らしていた。


「こんなことをしたって意味がない、どうせ死ねない。いつも通り。」

と私の中の私が囁いた。

薬を致死量の倍以上飲んでも死ねない、
車に轢かれても骨すら折れない、無理心中で息を止められてもなんやかんや生きている。
そんな私が飛び降りた程度で死ねるわけがない、そんなふうに思う反面、なんだか全てがどうでもよかった。

飛び降りたあと着地するのか、
怪我をするのか、それとも死ぬのか?
"そういう"のもどうでも良かったし、なんなら明日の予定すらどうでもよかった。
大好きな友達の顔もその時は浮かばなかったし、
大好きな猫のことも忘れていた。

明日着ようと思って買った服も、明日つけようと思って買ったネイルチップもイヤリングも全てが私を支えてくれるものではなくなり、存在感を失った。

どうでもいい、だけど死ねない、でもそれすらどうでもいい。
なんてすごく曖昧な気持ちを抱えたまま、腰を浮かせた。

迷いはあったが勇気は必要なかった。

腰を浮かせたまま身体をずらし、私は飛び降りた。
飛び降りながら、
「あ〜、地面意外と遠いな〜。」
とか考えていたら頭を思いっきり地面にぶつけた。

音がしたかどうかもわからないけれど多分、「ガンッ」という鈍い音がしたと思う。

痛い、痛い、痛い、痛い、こんなの人間が経験する痛みじゃない!と瞬時に思った。

そしてすぐに生暖かいものが私の顔や上半身を伝うのが感じられた。
言うまでもなく血だった。

その時の私の世界の"事実"は生暖かい血と、それから激しい痛みだけだった。

「痛い!痛い!」と叫んでいたら口から大量の血が流れ出てきた。もちろん鼻からも。
大量の血を吐き出していると救急車が来た。

何を問われたのかは覚えていない。ただただ「痛い!」と繰り返していたような気がする。

身体の傷を確認するために体を触られる、
そのちょっとの刺激が耐え難いくらい痛くて、「触らないで!!」なんて思っていたけれど、
そんなわけにもいかず、ずっと「痛い!痛い!」と叫びながら、首や足、腕、頭などの怪我の程度を確かめられていた。

その後、ストレッチャーに乗せられ、近所の大きな病院に搬送されることに決まったのだが、もう痛みは限界で、唸ることしかできなかった。
(あとでわかったのだがこの飛び降りで骨を8箇所一気に骨折したのでそりゃあ痛いだろうなと思う。)

病院につき、救急車から降ろされて外に出た瞬間、外で待っていた看護師さんが私を見るなり「ヴッ......」と声を上げていた。申し訳がなかった。

ERについた後の記憶はあまりないのだがCTを撮ったり身体が動くかどうかを確認したりしたのだと思う。

唯一記憶にあるのは大量に嘔吐してしまったこと。
頭を打っているせいか、少し動かされるとものすごく気分が悪くなり、急に思いっきり吐いてしまった。
一瞬、ODしたっけ?と自分のことを疑ってしまうくらい気持ちが悪かった。

色々検査をしていくと、近所の病院では対処できないことがわかり、また救急車に乗り、高速で40分ほどかかる大きな病院に転院搬送されることが決まった。

地獄だった。自業自得だけど、痛みからまだ逃れられないんだって、またストレッチャーの上で、揺れる車内で、痛い思いをしなくちゃいけないんだって、絶望した。本当に。もう何も考えられなかった。

最後に、しばらくトイレに行けそうにないので、トイレに行きたいと懇願した。

車椅子に乗せられ、トイレに着いた瞬間、思いっきり大量の血を吐いた。4回くらい吐いた。

幸いこの時もうすでに嗅覚も味覚も麻痺していたため、血の味はしなかったのだが、あまりにもグロテスクな見た目だったため少しトラウマになっている。

血を吐いたあたりから、今度は鼻からサラサラした液体が流れてきていることに気がついた。
鼻水ではなかった。
鼻血と混じっているため、薄いオレンジ色だった。

明らかに出てきてはいけないものだった。
鼻を拭っても出てくるため諦めて垂れ流すことにした。

そして、搬送されてから約2時間がたったころ、また救急車に乗せられた。
研修医の先生が同乗することになり、
先生が「僕もいるからね、大丈夫だよ。」的なことを言ってくれたのだが、そんなのなんの慰めにもならなかった。(すみません)

しばらくして車が動き出し、私はまた身体を突き刺す揺れと痛みと戦う羽目になった。
もう声を出す気力もなく、目を瞑り、ただただ血を吐き出すだけだった。
数分おきに血圧を測られていたのだが、マンシェットの圧迫ですら耐え難かった。

知らない間に大きな病院につき、再びERにいた。
前の病院が送ってきた資料や処置がイマイチで、再びCTを撮ったり、怪我をした部分を消毒されたり(おでこ全域に傷があり地獄だった)、血まみれになった手を拭いてもらったりした。

そして、頭をたくさん骨折していることを告げられ、そのまま集中治療室へと運ばれた。
(この時最初の搬送からすでに5時間が経過していて体力はもう尽きていた。)

いつのまにか親が来ており、集中治療室に着いた直後くらいに「骨折の部位的に脳を損傷している可能性があり、言語障害や半身麻痺が出るかもしれません。」と親に伝えられた。

それを聞いた親は落胆していたが、私は自分のことなのにどうでもよかったので特に落胆したりはしなかった。

(あとで検査をしたら奇跡的に脳の損傷はなく、言語障害や半身麻痺が出ることはなかった。)

入室して最初の方は妙なアドレナリンが出ており看護師さんと話すなどをしていたが、そこからなぜか急激に眠たくなり、最終的に集中治療室を出るまでずっと眠っていた。

たまに先生が来て、骨折の部位を伝えてくれたり、障害がないかをチェックしてくれた。

予測されていた障害は
・言語障害
・半身麻痺
・視力低下
・味覚麻痺
・嗅覚麻痺
・複視(物が二重に見える)
・嚥下障害
・感覚麻痺

などで、これをひとつひとつしらみつぶしにチェックしていった。

中でも嚥下障害のチェックは何度も空嚥下をさせられたためしんどかった。

最終(今の段階で)残った障害は、

・上顎の一部の感覚麻痺
→食べ物を食べても感覚がないし、歯磨きをしても感覚がない。食べ物が上顎の奥の方に入り込んでいてもわからない。

・味覚障害
→最初は味覚が全くなかったが今は60%くらい味覚が回復している状態。飛び降りる前ほど味を感じられなくなったのだが一応、やや味はすると言う状態。

・視力障害
→スマホをすごく近づけないと文字が読めなくなった。

くらい。

予測されていたものよりだいぶ少ないが、もう2度ともとに戻らないかと思うとちょっとだけ悲しくなる。

また骨折部位は全部で8箇所で、細かく挙げると、
・前頭蓋底骨折
・眼科底骨折(左右両方)
・上顎骨骨折(左右両方)
・右眼窩内側壁骨折(左右両方)
・膝蓋骨骨折

だった。頭が痛すぎて膝が折れていたことに全く気づいていなかった。
それくらい頭の痛みが激しかった。

そして、

・前頭蓋底骨折があったため、脳の膜を損傷し鼻から脳骨髄液が漏れてきたこと。

・それから脳と副鼻腔炎が交通したため、
髄膜炎や気脳症や脳の膿瘍?などさまざまな感染のリスクがありしばらくは抗菌薬を点滴すること。

・頭蓋底骨折や眼窩の骨折による出血で目の周りに血が流れてくること。

・上顎骨が折れていて、噛み合わせがズレるといけないので、骨が治るまでの間は肉や魚、お米などの硬いものは食べられず、ミキサーでペーストした食べ物や、高カロリーの飲み物で食事を摂らないといけないこと。

・膝が折れているので足を曲げられないこと、歩けないこと、リハビリが必要ということ。

などを伝えられたのだが、頭を打っているからなのか、それとも自暴自棄だったからなのか、やっぱりどうでもよくてそんな説明を聞いても驚くことなくずっと眠っていた。

たまに目を覚まして喉が渇いていることに気づき、お水をもらおうとしたのだが、脳の底の骨を損傷しているため、水はおろか、うがいすら禁止されていてしんどかった。

他にも、どういうわけか熱がずっと出ていてしんどかったし、吐き気も酷く、吐き気どめを点滴してもらっても治らず、苦しんだ。
カフェインのODに匹敵するくらい気持ちが悪かった。頭部外傷の吐き気を舐めていた。

また、身体を動かせないし、動かしてはいけなかったため、トイレに行きたい時はベッド上で簡易のトイレみたいなものに直接排泄する必要があり、それが死ぬほど恥ずかしかった。

羞恥心に対してたくさん配慮してもらったのだが、やっぱ排泄をすることができなくて、でもトイレは行きたくて、でも無理で、もどかしいまま時間が経過していった。

看護師さんが導尿してくれたのだが、膀胱が硬くなってしまっているせいか、4回尿道に管を入れて(激痛だった)尿を引いても何も出ず、結局またベッド上で排泄をするしかなかった。

痛みも本当にしんどくて、痛み止めをたくさん点滴しても痛みは治らず、ついに坐薬を入れてもらうことになった。

これもまた屈辱的で、というのも当たり前だが、後ろの穴は大腸カメラを受けた時以外、誰かに手を突っ込まれる経験をしてなかったため、怖かったし本当に恥ずかしかった。
「坐薬は嫌だ!」と思っても痛みに耐えることはできず、結局坐薬を入れてもらったのだが、"後ろ"を掻き回される感じがして本当に恥ずかしい、苦しい、怖いという感情でいっぱいいっぱいだった。

だが、坐薬の効果はてきめんですぐに痛みは去った。

入室して半日くらいが経った頃、食事の制限が解除された。
といっても、ヨーグルトとかジュースとかゼリーが食べられるようになっただけだったし、何より、食べ物を食べる気にはなれなくて、「いらない。」と断った。
食べなきゃ元気になれないのはわかっていたのだが、本当に食欲がなく、しんどくて食べるということができなかった。

そんな私を見て看護師さんが
「いいよいいよ、今日は食べなくてもいいし、何もしなくていいし、何も考えなくていいよ。また明日からちょっとずつ頑張ればいいから、ね。今は寝てていいよ。」
と言ってくれて、それがすごく救いだったし、その言葉の通り、本当に何も考えず、ずっと眠っていた。

起きようにも顔が腫れていて目を開けることができず、眠るしかなかった。
「顔がどうなっているか見たい!」と看護師さんに言ったのだが、「見ない方がいいよ!」と言われ見せてもらえなかったので諦めた。

後日顔を見てみると、目の上も下も腫れ上がっており、左右で目の開きぐあいも異なっていたし、おでこも骨が砕けているため、腫れ上がり、
全体に傷があるため大きいガーゼを貼り付けてあって、ホラー映画のような風貌だった。

髪は洗えないため、血でガビガビに固まり、目の周りは内出血で赤黒く変色しており、また頬に内出血した血液が溜まり垂れ下がり老人のような見た目だった。

かつての自分の容姿が全く想像できなかった。
本当に別人だった。
ただ不思議とショックはあまりなかった。
本当にどうでもよかった。

集中治療室の生活は寝て起きて天井をみて、また寝ての繰り返しで、なんだか無限に感じられたのだが、さまざまな検査をして、容態が落ち着いたあと、精神科の病棟に移ることになった。

耳鼻科の病棟、整形外科の病棟に移る可能性もあったのだがひとまず精神科で、という形になった。
精神科に入院しつつ、耳鼻科、脳外科、眼科、整形外科の診察を受けつつ、ゆっくりリハビリを行うことになった。

(↓続きです)




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