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【世界の朝ごはん】 #1 ベトナム

アメリカ留学中、私はベトナム人のトラムとルームシェアしていた。トラムとは最後までわかり合うことはなかったけど、それでも彼女は私の心の支えだった。

彼女と私は両親と女の子3人(うち1人は今は男の子だけど)、男の子1人とおっきな犬の7人家族のおうちでホームステイしてて、私たちは一番上の3階の部屋を使っていた。

トラムはベトナム人で、毎日に300枚の自撮りが日課。
美容が何より好きで、いつも真っ赤なリップを塗っていた。
夜中にベトナム語でビデオ電話をしてて、一度声がでかすぎて通報されたこともある。

わかりあうことはなかったけど、私はトラムを嫌いではなかった。
ただ彼女と私のタイプが違うだけ。
彼女の考えは、私にはありとあらゆる点で理解ができなかった。理解ができないから、批判もしない。

同じ部屋にいるから話はする。課題の相談も先生の愚痴も、時にはホストファミリーの話とかもこっそりした。年頃の女の子だから恋バナだってした。お互い自分の国に彼氏がいたから、近況を聞いたり一緒に彼氏にビデオコールしたりしたし、アジア民族同士一緒にお米を炊いて食べて、ベトナムと日本のドラマを一緒に見たりもした。

素直にいうと、私はトラムとの時間は好きだった。
ただ、私と彼女はどんな時にもお互いに同意を期待しなかった。
お互いが違うタイプだとわかっていながら、それでも同じ時間を最大限楽しめるように、息を吸うように「いい距離感」を保っていたんだと思う。

私もトラムもお互い異国の地で、同じようにマイノリティだったからこそ無理にわかりあうことを頑張らなかったんだと思うけど。

そんなこんなで、留学期間の1年間かけても分かり合えなかった私たちだけど、トラムとの関係性はわかりあうことが必ずしも人間関係のゴールではないことを教えてくれた。
わかりあわなくてもいい、ただその違いを受け入れるだけ。

それはアメリカと言う異国の地で、言語も文化も何もかもがそれまでと違くて戸惑いの日々を送る私にとっての救いだった。異文化っていうのは、その違いがあること自体を肯定することで自分の選択肢を増やすものなんじゃないか、って今でも思う。

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1年前、ベトナムで旅をして、彼女を思い出した。

市場のけばけばしいパッケージのお菓子、常にせめぎ合うバイクの群れ、
初めて見たはずなのに、彼女を通して私はベトナムを懐かしく感じ、

彼女との思い出を愛おしく感じた。

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世界のどこかで、誰かを思い出して、愛おしむ。

これからもそんな未来があると思えるから、私は人と出会うっていいなと思う。

これからもたくさんの人と出会いたいとおもう。

それが必ずしも分かり合える相手でなくても。

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今日の朝ごはんは、トラムがいつか作ってくれたベジタリアンフォー。

やっぱりベトナム人の作るフォーには勝てなかったから、いつかまた会うことがあったらまた作ってもらおうと思う。



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