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頑張れとは言わない。頑張れ。

 あと1か月弱で、2020年が終わるらしい。

 ばたばた転がるように過ぎた1年を、自分なりに振り返ろう。

 そもそも去年の今頃、私は何をしていたのだろう。

 ・・・ああ、模試か。

 そう、1年前の今、私はまごうかたなき受験生だったのだ。

高3、冬の切実。

 高3の冬は、精神的にかなり削られる時期である。

 センター試験(当時)の黒本は解けない、年末年始のテレビは封印。

 友達と話す時間は楽しいけれど、あいにく年末は学校が閉まっている。

 そんなぎりぎりで営業していた私を挫折の極みに叩き落としたのは、センター2週間前の、『センター試験プレテスト』だった。

 20点単位で、数学の点が下がった

 それでも、2週間後には試験を受けねばならぬという、恐怖。

 その日から私は、明らかに何かがおかしくなった。

 これは、そんなセンター直前の私に2人の友人が届けてくれた、直筆の言葉のお話。


友人の直筆。

 一人目の友人は、決して筆まめなタイプではなかった。

 後にも先にも手紙をもらった経験は、中学生のときに1度だけ。

 だから、その直筆も、(本人のものではない)メモ帳に書かれていた。

 「頑張れとは言わない。応援してる」

 右肩上がりの字で綴られた、シンプルなのにおしゃれな言葉。

 一瞬、何かの歌詞かと思った。

 こういう言葉を、照れもせずに言えるのが、彼女のやさしさなのだ。

 二人目の友人がセンター前日にくれた手紙は、どうでもいい話の宝庫だった。

 前置きで、便箋1枚分。それから推しの話と、うさぎのぬいぐるみの話。

 センターは、明日。

 もうどうにもならないはずなのに、なぜか笑いが止まらなくなる文章。

 枚数を追うごとに手が疲れて雑になる字。それすらもネタにする文才。

 そして末尾に、「頑張れ。応援してる」

 2人からの手紙を読んで号泣しながら、言葉のチョイスが正反対なことに驚いた。

 頑張れと言わず、相手に安心感を与えるやさしさ。

 頑張れと言い、積極的に背中を押すやさしさ。

 どちらのやさしさも、根っこにある「応援してる」が眩しすぎて、涙が止まらなくなった。

 咄嗟のひとことに、その人の心の端が見えると、どこかで聞いた。

 私の心の端は、何だかとても小さくて、臆病だ。

 おそらく上記の友人ふたりは、そんなこと百も承知なのだろう。

 だから、直筆のシンプルな言葉で、私を救ってくれた。

 その言葉の端から見えるのは、彼女たちの純粋さ。

 ふれると、懐かしくて使い尽くしてしまいそうな、やさしさだった。


背中を押す言葉。

 2人は私よりも少し早く、故郷を出た。

 次にいつ会えるか定かではない状況で、餞に伝えたい言葉は・・・。

 頑張ってね、無理しないでね、気を付けて、応援してるね、、

 あれこれ考えたのに、結局「またね」しか言えなかった。

 「頑張れ」と伝えるか、「頑張らなくていいよ」と伝えるか。

 彼女たちがくれた応援は正反対の言葉だけれど、どちらの言葉も、私の心の底に流れている。

 頑張れといった人の3枚綴りの手紙も、頑張れといわなかった人のメモ用紙も、引っ越し先に連れて行った。

 そして、どうしても何かを成したいと願うとき。

 正反対の、右肩上がりと雑になった字の言葉ふたつが、私の意志を彩る。


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