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平和のために

社会科の知識は、生きていく上で必要かつ、人生を豊かにしてくれると思い、社会科の教員を目指しました。

でも大学に入り、色々考える中で、自分の進むべき道がわからなくなったことがあります。
ちょうどそのタイミングで、少しずつ進めていた私の大伯父たち(祖父の兄2人)の軍歴調査が進展しました。

史学科に入ったこともあり、自分のルーツを明らかにしたくて行っていた、ルーツ調査の一環でした。教育関係の勉強、ゼミの勉強と並行して色々手を出して調査を進めましたし、公的機関とのやりとりがスムーズに行くはずもなく、だいぶ時間がかかりました。

大伯父2人は、太平洋戦争で戦死していますが、戦死の詳細については祖父らに全く伝わっていませんでした。届いたのは、戦死の報告と、遺骨という名の石のみ。しかも、亡くなった場所は、南方の海上(本当は沖縄戦で亡くなっていました)と、大陸(本当は戦後、シベリア抑留で亡くなっていました)と伝わっていたのです。

調査をして、戦死の詳細が分かったので親族と共有しました。が、私の親族はあまり反応しませんでした。祖父は末っ子ですが、全員戦争体験者なので、きっと戦争を思い出すような、悲しい思い出がよぎるようなことを、今更ひっぱり出さないで欲しかったのでしょう。

更に調べると、沖縄の平和の礎に大伯父の名前が彫られていることを知りました。陸軍の部隊資料に大伯父の名前が記録されていることを知りました。

自分のルーツを知って、戦争を身近に、自分ごとに感じました。
当たり前のように享受している平和ですが、約80年前は平和とは程遠い世の中だったことを感じました。
戦争に関心があり勉強していましたが、自分ごととして捉えるようになり、ようやくその恐ろしさを全身で感じたのです。

祖父らは、よほど怖い思い、悲しい思いをしたのだろう。知らずに興味本位で聞いていたこと、配慮なく伝えたことを、心から反省しました。
そして、戦争を繰り返さないために、自分には何ができるか考えたのです。

私は、自分にできることは伝えることだと考えています。単に伝えるんじゃなくて、自分ごととして考えるサポートをする。
自分で調査するだけでなく、ボランティアや講演会に行くだけでなく、それを「伝える」こと、教育活動の中で「生徒に自分ごとにしてもらう」が、私の生きている意味だと、考えたのです。

だから、社会科の教員になりました。

大伯父ら戦争に行って家族を守ろうとしてくれた人がいたから、私は生きています。
平和を繋ぐことが、私が生きている意味だと思うのです。
働くことで、教壇に立つことで、平和を繋ぎたい、そう思っています。

平和を繋げるという信念を持って、私は教員としてはたらきます。

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