美しい終幕と留まる言葉~平野啓一郎著『マチネの終わりに』
恋愛小説というものが苦手です。
登場人物の感情の揺れにシンクロできないと、自分は冷たい人間なのかと感じてしまいます。
甘酸っぱいシーンやエロいシーンにでくわすと恥ずかしくなって、変な表情になってないか我に返ってキョロキョロしてしまいます。
恋愛小説のような物語が自分にも起きないかと願う反面、起きた場合は150%チャンスを逃すだろうと半ば諦念を抱くような卑屈さと長いこと一緒に過ごしてきました。
そんな中で、
40代の男女のラブストーリー。
ただの男女の恋愛小説ではなく、
天才ギタリストの男性と
国際ジャーナリストの女性の組合せという段階で、
私にとっての現実味はないです。
きっとショッピングは麻布とか銀座(この語彙力で既に違う気もする)。
スタバで頼むのはベンディーサイズ。
みたいな人がきっとターゲットなんでしょう。と斜に構えていました。
まず、タイトルの「マチネ」の意味から分からない。
かといって、Googleに聞くほどの関心までは至らずなこれまででした。
そんな折に、
「こんなに小説と映画の幸福な関係を、僕は見たことがない。」
とコルクの佐渡島さんがnoteで書いているのを見ました。
読んでみて、合わなければ置いておけばいい。
いつか読む日が来て、元を取れる。
積読しても巻き返せるという
無駄遣いレッテルへの強い切り札です。
価値の目減りしないものは貴重です。
マチネの終わりに
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・平野さんの言葉の美しさ、鋭さ。
・洋子の人間的な魅力。
・登場人物それぞれに、それぞれ感情移入してしまう驚き。
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・平野さんの言葉の美しさ、鋭さ。
「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
【孤独というのは、つまりは、この世界への影響力の欠如の意識だった。自分の存在が、他者に対して、まったく影響を持ちえないということ。持ちえなかったと知ること。ー(後略)】
1つ目はこの作品の主題の1つと言ってもいい考え方です。
読み進める中で、この考え方の納得感を醸成していく楽しみを奪うことはできないため、補足は控えます。
この時点で何か引っかかるところがあれば、ぜひ読んでほしいです。
(というより、感想聞きたいので読んでください。)
2つ目は組織論とかにも通じる部分を感じました。
役割をいかに見出し/作っていくか。
本作では、それぞれがそれぞれの役割を見つけつつ、取り損なっている。
一面から見ると円くハマっているのだが、
角度を変えると何かズレているような。。
そのズレを『分人』という概念で整えて回っている世界は
平野さんの他の作品に委ねたいのですが、
納得感と違和感がハーフ&ハーフな感じです。
・洋子の人間的な魅力。
ステーキをサーヴしてくれた店員に対して、「Merci!」と 言った後に、
「おいしそう!」と目を瞠った洋子。(瞠ったー見張った/目を大きく見開いた)
TVでは、
目をつむって「美味しそう‼︎」と身体を震わして感動を露わにする食レポを見かけます。
それはそれで可愛いのですが、
店員に「ありがとう」と告げる優しさ
目を大きく見開いて驚く可憐さ。
こういう人と一緒にご飯を食べたいなと素直に感じました。
そんな染み出てくるような洋子の魅力を作中でも感じてほしいです。
(映画では石田ゆり子さんが演じています。もう、、言うことはありません。笑)
・登場人物それぞれに、それぞれ感情移入してしまう驚き。
登場人物それぞれの想いが交錯します。
ある人にとっては良いとおもった判断も別の人にとっては良くない展開となります。
そんな当然な感情の揺らぎを眺めるなかで、不思議とどちらか片方へ嫌悪感を思うことは無かったです。
1つの通貫した物語の中では、意にそぐわない部分も、別の視点では理解できてしまう。
理解出来る/したいと思える情報量や描き方の為せる術だと思います。
最後の推しとして、
作品の終わり方が美しいです。
読み進めた読者を信じて物語を託してくれたようにも感じています。
読者としては、作者が書いていない世界は知ることができません。
ただ、読者は勝手な存在であるため、自由に先を考える(妄想する)権利があります。
その妄想によって、"過去“となる本編をどのように再定義できるか?
その味わいすらも実はコーディングされているような気もしてしまいます。笑
ーー
映画も素晴らしかったです。
改めて原作に向き合う機会となりました。
2時間少しという制約の中での表現。映画ならではの音や光、配置する小物によるメッセージ…
随所で巻戻しつつ
「これはこういう意味かな」
「いやいやーー」
って探りながら改めて観たいと思っています。
※マチネは「午後の演奏会」という意味です。四章の頭で振られたルビで知ったときは少し感動しました。
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