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名もなき料理に喝采を

 あー、自分以外の誰かが作った手料理が食べたい!!

 数ヶ月に一度くらいの割合でそんな衝動に駆られるときがある。この気持ち、普段自分や家族のために料理を作る役割を担っている人は共感してもらえるのではないかと思う。

 なぜ外食やお惣菜ではなくて手料理にこだわるんだろうかと長年自分の中でも答えが出せなかった。ただ料理をする時間がない、面倒くさいというのであれば、今の時代なら選択肢はたくさんあるのだから。お気に入りの飲食店はたくさんあるし、ここ数年コンビニやスーパーのお惣菜は種類も味も栄養バランスも凄まじく進化している。それに加えてウーバーイーツなどを利用すれば家から出なくてもおいしい料理が食べられるのだ。それでも私は誰かの手料理を欲していた。我ながらどれだけ面倒くさい性格なんだと呆れてしまう。しかし先日ついにその理由がわかった。

 この前の日曜日、お昼ごはんはデリバリーにしようという話になった。幸い我が家の周辺は各種デリバリーサービスが充実している上に、古くからお店独自でデリバリー対応をしている飲食店が多い。今日は何を頼もうかと夫と共にわくわくしながらメニュー表を眺めていた。

「今日はここにしない?このチキンライス弁当が気になるの」

 私が提案したのは地元のデリバリー専門店だった。フードデリバリーサービスが盛んになる以前からデリバリー専門で営業していたその店は弁当や丼ものにカレーそしてお好み焼きに至るまで幅広いラインナップが特徴だ。以前お好み焼きは食べたことがあったが、弁当の類いは注文したことがなかった。チキンライス弁当はチキンのトマト煮込みをメインにスクランブルエッグ、野菜の副菜が入った弁当だ。メインのチキントマト煮込みは赤ワインでじっくり煮込んでいるらしい。その謳い文句に食欲をそそられた。550円というお手頃さも魅力的だ。

「いいね。じゃあ私はこのドライカレー弁当にしよう」

 夫は私と同じ550円弁当シリーズのドライカレーを選んだ。ガラムマサラなどの複数のスパイスを効かせた本格派らしい。こちらもおいしそうだ。余談だが夫の一人称は「私」である。文章で書くとどちらの台詞かわからなくなるので一応記載しておく。

 しばらくすると弁当が届いた。まだ温かい弁当のフタを開けると、写真で見るよりおいしそうなおかずがぎっしり詰まっていた。

 メインのチキントマト煮込みは謳い文句のとおりしっかり煮込んだ味がした。トマトの酸味の角が取れていて、トマトソースだけをご飯と一緒に食べてもおいしかった。トマトソースが絡んだスクランブルエッグは素朴な味わいだ。子どもの頃の弁当に入っていた卵焼きのような派手さはないけれど懐かしくて優しいそんな味。メインだけでもこの弁当のファンになったが、この弁当の真の実力はここからだった。

 チキントマト煮込みの隣にひっそりと詰められたちくわの煮物がとてつもなくおいしかったのだ。メニューの写真と異なるので、おそらく副菜は日替わりなのだろう。ちくわは味がしっかり染み込んでおり、味付けも甘すぎずしょっぱすぎず絶妙な塩梅だった。とてもおいしかったのだが、あくまでもこの煮物は脇役なのでたった三口で食べ終わってしまった。正直言ってもっと食べたかった。もしこの煮物をメインにした弁当があったら買いたい。例えて言うなら主役を喰うほどの演技力を持った名バイプレイヤー俳優のような存在感があった。あまりのおいしさに衝撃を受けていたら、夫もドライカレー弁当がおいしかったようで私と同じように弁当を讃えていた。

「なんだろう、派手さはないけれど優しいおいしさなんだよね」

「わかる。素朴でホッとする。特に煮物。ザ・家庭の味って感じ。こういうの、温かみがあるっていうのかな」

 私たちは弁当を食べ終わってからも、おいしさの余韻に浸っていた。とっくに食べ終わっているにもかかわらず、話題に上るのは先ほどの弁当のことばかりだ。私たちはすっかりその弁当の虜になっていた。

 その結果、翌週の日曜もそこの店の弁当をデリバリーしたのだ。注文したのは先週と同じ550円弁当シリーズだが今回は夫が魚のフライ弁当を私がピカタ弁当を選んだ。結論を言うとこの二つの弁当も大変おいしかった。メインのおかずは言うまでもなくおいしい。そしてやはり副菜が圧倒的な存在感を放っていた。

 今回の副菜は前回とは違い大根のなますだった。おせちに入っている紅白なますではなくて大根のみを使ったシンプルななますだ。実を言うと私はあまりなますが好きではない。あの甘酢の味が得意ではなくて、出されたら残すことはないけれど進んで食べることはしない。しかしこのなますは甘さ控えめで酢のきつさもない。見た目も味も私の知っているなますではなかった。前回のちくわの煮物と同様、派手さはないけれどホッとする優しい味わいだ。シンプルだけれど甘酢の配合などこだわって丁寧に作られたことが伝わってくる一品だった。

 そこで私はなぜ自分が他の人の手料理を欲しているのか、その理由がわかった。私は素朴でそれこそ明確な料理名もないような料理がたまらなく好きなのだ。冷蔵庫の中の余った野菜を総動員した味噌汁やその時々の季節の野菜を出汁で煮たシンプルな煮物。他の人が作った手料理で思い浮かぶものはどれもそんな素朴で名もなき料理たちだ。

 弁当に入っていたちくわの煮物も大根のなますも正式な料理名を私は知らない。もしかしたら「ハンバーグ」や「筑前煮」のような正式な名前はないのかもしれない。そういった素朴な料理は外食でもスーパーなどの惣菜売り場でもあまり見る機会がない。それは名前がないゆえに単品で売り出されることがないからだろう。だから自炊以外では誰かに作ってもらう他なく、その機会の希少さゆえに私はこんなにも誰かの手料理に執着しているのだろう。

 忙しさに追われているとき、体調が悪いときに食べたくなるのは飾らない優しい味わいの名もなき料理たちだ。その素朴さが心と体に染み渡る。思えば自分以外の誰かが作った手料理を食べたくなるのは心身ともに余裕がないときだ。

 このたび素朴なおかずが詰まった弁当を知ったのは本当にラッキーだった。なぜなら手軽に素朴な料理を味わえることを知ったからだ。少し疲れたなと感じたとき、私はあの店の弁当を頼もうと決めた。素朴で優しい名もなき料理に私は拍手喝采を送りたい。

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