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「時」展覧会2020を観てきた

先日、上野公園内の国立科学博物館で開催していた(~7/12)「時」展覧会2020を鑑賞してきたハナシ。

大学時代、博物館学芸員資格を取得するためにあちこちの美術館や博物館に足を運んでいた時期があった。しばらく博物館から足が遠ざかっていたのだが、ひょんなきっかけでこの展覧会に出会うことができた。

出会いはゴキゲンな土曜日

ある金曜日、渋谷で朝方まで飲んでしまい、山手線に乗って帰った。ウトウトしているうちに熟睡。何周したのだろうか、11時ごろに目が覚めた。梅雨時には珍しく晴天。ついついブラリ途中下車してお散歩しようと思い立った。さて、降り立ったのは鶯谷。ラブホ街、千ベロ飲み屋、霊園、東京藝大、上野公園、ディープなスポットだ。

僕は缶ビールと簡単なツマミを片手に、上野公園へと乗り込んでいった。家族連れ、カップル、老夫婦、スケボー兄ちゃん、東南アジア系外国人たちの謎の集会、そして公園の住人たち。色んな人種が各々のゴキゲンな土曜日を過ごしていた。公園をぐるっと一周していると、国立科学博物館の前の看板の「その時、人々は「秒」を意識した」というキャッチコピーに目が留まった。すぐ入りたかったのだが、あいにく予約制のためその日は断念。

近くの木陰に横になり、ほろ酔いアタマで近代以前のひとびとの「時」についての意識に色々と思いを巡らした。「秒」どころか「分」の意識すら曖昧だったのではとか、じゃあ「遅刻」ってあったのかなとか、グルグル考えているうちにいつしか熟睡。心地いい日差しと気持ちいい風、ライフタイムベスト級の昼寝だった。

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3時間くらい寝たろうか。散髪の予約時間に「遅刻」しそうだったので、急いで帰宅した。

2週間後に再訪

ゴキゲンな土曜日から2週間後、ようやく入館することができた。15:30の枠での入館予約。企画展はあとのお楽しみとして、常設展示から見て回ることにした。さすがの見ごたえと展示数の多さ。あっという間に時間が過ぎていく。そして16:30、閉館時刻30分前のアナウンス。のんびり常設展を見ていたので急いで企画展を見ることに。。しかし、30分では半分しか見れなかった。閉館する「時間」を把握しておらず、「タイムマネジメント」が全くできていなかった。まったく皮肉なハナシだ。

翌週、3度目の来館

今回は16:00の枠での入館。前週の反省から、急いで企画展の残り半分を見るようにした。お目当ての企画展も全部見れた。さあ、残り30分。残り「時間」でジャンジャンいろんな展示を見ていこうとも思ったのだが、、ここはあえて先週見た企画展の前半部分をもう一度見ることにした。

先週焦って見てしまった展示を、少し余裕をもった状態で改めて見てみると、じっくり細部を味わえた。逆に先週は全然ちゃんと見れていなかったことに気づかされた。

さっきから展示内容については全然触れていない。

そう、そうなのである。

ゴキゲンな土曜日から2週間のあいだ「時間」についてツラツラと考えてしまっているうちに、僕は勝手にそもそもの展示内容からかけ離れていってしまっていたのだ。

近代以前の時間感覚はどんなものだったのか?「秒」なんてたかが100年前にはほとんど意識されていなかった概念なのか?「秒」を意識した結果どのような変化があったのか?日本人の時間厳守の美徳はいつ頃形成されたものなのか?近代以降の社会は「時間」という共通概念なしでは存在しえないのだろうか?労働者階級の出現が労働「時間」という概念を生んだのか?そういえば「女工哀史」ってあったけど、メチャメチャ長時間働かされてたみたいな話だったよな?「時給」っていつごろ出てきたんだろう?鉄道ができた時ってどうな感じでダイヤ組んでたんだろう?とかとか、、、果ては結局現代人はつくづく「時間」に支配されてるんだよなーとか、集合「時間」に遅れてくる人には結構寛容なんだよね俺、とか、待ち「時間」10分くらいに吸うタバコっていいよなーとか、、、、

結局ありがとう。「時」展覧会2020。

結局のところ、半分答え合わせ的な気分で展示を見ることになったのと、半分展示内容からかけ離れたところで「時間」について哲学しちゃってたという気づきまして。。でも、この企画展と出会ったゴキゲンな土曜日から3週間の間に改めて気づき、学んだことがある。(結構当たり前のことばっかなんですけど。。)

①時間は守るべきものだが、追われないようにしたい。
②時間は無駄にしてはいけないけど、たまには贅沢に使うのもいいよね。
③時間に余裕を持って生きていきたいけど、まず心に余裕を持つのが必要。

今度は腕時計を外して鶯谷をぶらついてみよう。ゴキゲンな土曜日にしたいものだ。

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