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ここ5年くらい、もやもやと考えてきたことが、ちょっとずつ自分の中で咀嚼できつつあって、文章として外に出しても良い感じがしてきたので、noteを始めてみることにしました。

まずは自己紹介。
年齢:1990年代生まれ
出身:広島県
住んでいるところ:関西のどこか
学歴:国立大学大学院卒(1浪)
仕事:建築事務所の社員、1度転職経験あり
資格:一級建築士、一級建築施工管理技士技師
家族:夫ひとり
趣味:編み物、キャンプ、読書
好きな作家:江國香織、山田詠美、池田晶子

こうやって自分のスペックを書くと、なんとなくそれなりに人生を歩めてきたのかな、と思うけど、実感としては自己実現とは程遠い。それがこのnoteのタイトルにした理由です。

唐突ですが、2018年に初めてインドに行ってきました。結婚したばかりの夫と、大学時代の友人2人と、私の4人で。目的は建築を見に行くこと。コルビジェやアアルト、ドーシ、有名建築家の有名建築がインドにはたくさんあります。近現代建築だけでなく、かの有名なタージ・マハルや階段井戸もありますね。もちろんどれも素晴らしかった。けれどそれよりも圧倒されたのは、貧しい人の暮らしと格差。教科書ではカースト制は廃止されたと習っていたのに、現実に格差ははっきりと残っていた。どこに行っても子どもたちに物乞いをされる。ガンジス川のほとりで、毎夜行われるお祭りを見る。日本でいえば保育園に行っているような年齢の小さな女の子が物乞いをしては断られる。でも彼女はショックを受けたりせず、すでに悟っている目をしていました。
私は、その頃建設会社に勤めていて、いつかは海外勤務をして、発展途上国に建築を建てて、その国の成長に貢献したいと考えていました。でもそれがインドで見た小さな女の子の幸せに本当に繋がるのか、格差が広がることを助長するだけではないかと、自分のキャリアを考え直すきっかけになりました。

また、2018年は13年間一緒に過ごした愛犬が亡くなった年でもありました。ペットロス、と一言で言ってしまえばそうなのかもしれないですが、私は相当参りました。あったかくて優しくて無邪気だった私の小さな妹は、この前生まれて我が家にやってきたような気がするのに、私が怖れている死というものを甘受して一人で行ってしまった。インドに行く飛行機から、雲の上を駆けずり回る彼女を探したけれど、どこにも居なかったし、居るようにも感じなかった。完全に消滅して無になってしまったんだと実感した瞬間でした。
私もいつか居なくなる。でも関わった建築が素晴らしいものであれば、死後も残るから、どうせ死んでいなくなるとか言ってないで働く意義があるのかもしれない。でもじゃあ、地球が無くなったら?何も残らない。建築も、それを素晴らしいという記録書も。
それに応えることができるほどの仕事ってあるんだろうか。愛犬の死と、インドの一筋縄では解決できそうもない格差という2つの経験から、20代後半にして初めて真剣にそのことについて考え始めました。

それから5年以上が経ちましたが、いまだに答えは出ていないです。でもどうせ無くなっちゃうから、という理由で頑張るのを辞めた訳ではなく、どうせ無くなっちゃうこの世界に期待して、仕事を頑張って生活しています。
仕事のことだけじゃなくて、日々の生活や、子どもを持つか否かという選択についても一人でもやもやと考えてきたので、それを共有して、新しい視点をお互いに共有できたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。

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