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21/* 人はいつから、夢を語らなくなるのか

ここに居たいと思っている人がどれだけいるんだろうか。
ここに居たいと願って留まり続けている人は、どれだけいるんだろうか。
変化することが怖くて、あるいは、変わっていくということが怖いことだと知っているから、今この場所に逃げているんじゃないだろうか。

変わりたいと思っている人がどれだけいるんだろうか。
変わりたいと願って行動し続けている人が、どれだけいるんだろうか。
留まり続ける勇気がなくて、あるいは、留まる覚悟を持つことが怖いことだと知っているから、新しい場所へ逃げているんじゃないだろうか。

覚悟のない変化も残留も、本当にそこに居たいと願う人や本当に変わりたいと願う人にとっては、侮辱のようにみえる。もっと言えば、覚悟のない人が、覚悟を持って留まり、覚悟を持って変化していった人を嗤うのはもってのほかだ。

人は誰しも自分が正しくありたいと思う。それは間違いではない。
でも、覚悟のない人の価値観や軟弱な言葉で、覚悟を持つ人の行動を勝手に解釈して嘲笑うことは、僕は嫌いだし、それを許したくない。

人はいつから夢を語らなくなるのか。
肩書きや、前例や、習わしや、世間体にへつらって、いつから夢を見なくなるのか。何歳になろうが、スーパーマンになりたいと願う人がいてもいいじゃないか。

夢を語ると、いろんな現実を突きつけてきて、諦めなさいと言う人がいる。それは無理だよと笑う人がいる。僕は夢を持たない人に自分の夢を笑われることが何よりも嫌いだ。お前のものさしで俺を測ろうとするな、と言いたくなる。

人に無関心ではいけないけれど、できれば人のことは言わないほうがいい。誰かのことを否定するときの、誰かのことを嗤っているときの人間の顔は、とても醜いから。僕はそれよりも、自分のために、自分を許してくれる誰かのために、願い続けられる人間でありたい。

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