見出し画像

戦争を知らなくても、コロナを知らなくても

先日、親戚のお通夜に行ってきた。
と言っても、そこまでお付き合いのあった方ではないのだが、とにかく親と一緒に葬儀場にむかった。
日本の、実家のある田舎に住んでいると、こういうことは往々にして起こる。

年齢は90歳を超えていたと思う。
当然、戦争を経験された方だ。
昭和のはじめに生まれ、思春期に戦争が起こり、
高度経済成長時代に日本を支え、平成という時代は落ち着いて暮らしてきたのだろうか。
その一生の大部分を石川で過ごしたはずだ。
彼が見てきた世界、体験した90数年は、どんなものだったのだろうか。
勝手に、そんなことを想像していた。

僕のような今のアラフォー世代の人間は、
自分たちが「戦争を知らない子供たち」だという自覚が少なからずある。
音楽の時間にそんな歌をうたわされたか、聞かされた記憶もある。
しかし、今の小学生や中学生などは戦争というもの自体が、歴史の授業で習い、テストのために覚えるような、非現実的な活字上の出来事なんだろうな。
ちらほら見られる小さい子供を見て、そんなことも考えていた。

そんなマスクをしている子供を見ているうちに、ふと思ったことがある。
あと数年もしたら、「コロナを知らない子供たち」が生まれてくるんだろうなと。
「コロナの数年は、ホンっトたいへんだったよ。どこも行けないしさ」とか武勇伝ぽく語ると、
「またはじまったよ、大袈裟なコロナ自慢。めんどくせーな」
という、世代ギャップあるあるが、そのうち登場するんだろうな。

とにかく、僕が感じたことは、
戦争があろうが、不況になろうが、震災が起ころうが、疫病が蔓延しようが、
人というのは、なんとか生き続けていくんだなということ。

どんなトラブルに見舞われようとも、
目の前にある日常を、それ相応に消化していけば、
明日に繋がっていく。

そして、どっちにしたって、いつかは平等に死んでいく。

だから深く考える必要はないかな。

それが、とあるお通夜を経て、僕がたどり着いた一つの結論でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?