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令和の絶滅危惧種、「方言」

🟥今日の出来事

結局「標準」が強い

🟦補足(それは自分にとってどんな意味がある?)

先日、金沢が舞台の映画「スパイスより愛こめて」を観てきた。
また、TVアニメ「君は放課後インソムニア」も石川が舞台となっているので観ている。

しかし、どちらも金沢弁や石川独特の訛りがほとんどない。

🟨そうか!(気づいたことは何?)

視聴者に伝わるのか? 耳障りにならないか?
役者や声優さんの演出指導の手間にならないか?
などを考えると、普通に標準語でセリフをつくったほうがいい。
一方で、「地元だから」という理由で観た場合、没入感が抜け落ちる。
まあ、数の理論で言えば、「標準」に寄せたほうがいいに決まってるけど。

で、別のテレビ番組で、昭和〜平成初期の「石川県懐かし映像」みたいなコーナーを観た。
出てくる市民みんな、バリバリ訛ってるw
そう考えると、僕らが普段家庭や職場で喋っているとき、もうすでに「方言」は思っている以上になくなっているのかもしれない。
喋り言葉は、標準化されている。
そもそも僕のまわりで、がっつり金沢弁で喋っているような知人や同僚なんていないことに気づいた。
僕が勝手にイメージしている「方言」というのは、子供の頃に聞いていたものを懐古しているに過ぎないのだろう

🟩やってみよう!(自分ならどうする?)

良し悪しに関わらず、「環境」によって、知らず知らずのうちに自分も変わってしまうことがある。
で、昔の自分を思い返して、「こうあるべき」という主張をするが、
今の自分と矛盾が生じていることもある。

「環境」は大事。
知らないうちに自分が思いがけない変化をしてしまわないように、環境を整えるか、変えるかするように心掛けないといけない。

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参考:『1行書くだけ日記 』伊藤羊一

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