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一瞬のきらめき~『夜景座生まれ』『尾崎翠』1月前半の読書記録

私の読書記録アプリによると、2023年の年始も最果タヒさんの本を読んでいたらしい。その時に読んでいたのは『神様の友達の友達の友達はぼく』というエッセイ集だった。年始の休みを利用して、おいしいと評判の喫茶店まで遠出し、そこでひとりで読んだ。ずっと行きたいと思っていたお店だったのでその時のことをよく覚えている。今回読んだのは、最果さんのエッセイではなく詩集「夜景座生まれ」だ。

詩を味わうことは、自分にとってはとらえどころがなくて正直難しいが、そんなに長い本ではないのでさらりと読めた。全編読んだあとの「あとがき」がものすごくいい。やっぱり最新のエッセイ集(『恋できみが死なない理由』)も読みたいなぁ。

群ようこ著の「尾崎翠おさきみどり」を読む。

先月読んだ百年文庫の『幻』の中で尾崎翠と出会ってから、少しずつ気になり始めている。とはいえ、まだ1作品(『途上にて』)しか読んでいないので、手掛かりがあれば…と思い、この本を手に取った。群さんは尾崎翠の『第七官界彷徨だいななかんかいほうこう』という小説を読み、衝撃を受けたという。

尾崎翠(1896-1971)は「幻の作家」と言われているらしい。

尾崎翠は鳥取県に7人兄弟の長女(兄3人、妹3人)として生まれる。鳥取高等女学校を卒業後、免許を持たずに子供たちを教える代用教員になり、その時期から作品が入選するようになる。その後退職、作家になるため上京し文筆活動を続けるも、かねてより悩まされていた幻覚症状がひどくなり、1932年に長兄により強制的に鳥取に連れ戻される。帰郷以降は文学から遠ざかり74歳でこの世を去る。

翠が文学活動をしていたのは、わずか十数年ほど。この活動期間の短さと、残した作品の印象から「幻の作家」と呼ばれているのだと思う。

文学活動期間は短かったものの、翠のその後の人生は長かった。幻覚症状が激しくなって帰郷したという経緯もあって、翠が文壇から去った後ふるさとで長く生きたことに、かつての文壇仲間たちは驚いたとか。

長兄とともに東京から鳥取に帰る電車の中で、翠は何度も列車の窓から飛び降りようとしたという。群さんは本の中で「ここで鳥取に帰ったら、二度と自分は東京には戻れなくなる。それはすべてと失うことと同じだ。」と翠の気持ちを代弁している。(読んでいるこちらも胸が苦しくなる…。)

作品に多く触れていないので何ともいえないが、翠は「0か100か」思考の人で、職人気質の孤高の人だったのではないかと個人的には思う。今風の言い方で言えば「生きづらい」感覚の持ち主だったのだと思うのだけれど、そういう人が書いた文章を読みたいと思うときがあるし、惹かれてしまうのは何故なのだろうか?

「失恋してゐる女の子とは、片つぽだけ残つた手袋のやうなものです。」と書く人のことを、私は愛せずにはいられない。

今年も、本が本を連れてくる。

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