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<UMA遺産 第2回>謎の類人猿「ヒバゴン」目撃情報から50年を経て未だに噂が絶えないエリア~広島県庄原市

UMA(未確認生物)出現が噂されるミステリアスなエリアを、UMAの聖地として、「UMA CREW PROJECT」が独断と偏見で選定、紹介する「シリーズUMA遺産」。第2回目は・・・・。

1970年(昭和45年)、日本が高度急成長時代の真っ只中、広島県にまたがる中国山地の比婆山連峰の広島県比婆郡西城町油木・比婆郡比和町・庄原市(現在は全域が庄原市となっている)において、類人猿型のUMA(未確認生物※当時は「怪物」と言われていたようだ)が相次いで目撃された。

中国山地の比婆山に出現したことから「ヒバゴン」に・・・

広島県庄原市のホームページによれば、「猿よりも大きく」・「人間の顔立ちによく似ており」・「ゴリラにも似た怪物」との目撃情報だったようだ。

他にも特徴として、「二足歩行」・「体中が毛で覆われ」・「顔は逆三角形」・「目はギョロ目」・「歩く時に鳴き声のような音を発する」・「イルカのような鳴き声」等々の声が寄せられている。

目撃者によれば、「震えが止まらなかった」・「恐ろしい」などの証言も多く、怖い怪物の出現に周辺は一時パニックとなった様子が窺える。もちろん、当時のニュースでも全国的に取り上げられ、多くの取材も訪れたようで、当時の西城町役場では「類人猿係」が設置されたほど。

「ヒバゴン」の名前は、出現したとされる比婆山(ひばやま)からきているとの事。当時の中国新聞社の庄原市局長さんが命名されたのだとか。

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当時の「ヒバゴン」のイメージ   
出典:庄原観光ナビ

1970年から合計29件の相次ぐ目撃情報

目撃情報は、庄原市によれば当時合計29件寄せられたとの事。1970年7月に相次いで目撃、その年の12月には、雪原での足跡目撃も含め、12件の情報が寄せられたようだ。

その後は、4年後となる1974年にいくつかの目撃情報が存在する。庄原市がまとめた「その場所の分布もおおよそ、一貫しており、やはりそのエリアに出現もしくは生息していた可能性はあり得るだろう。

当時、ヒバゴンの正体を解明すべく、全国の大学や研究機関、類人猿調査隊などが捜索を行ったが、目撃談と足跡以上の証拠を掴むことができず、正体解明には至らなかった。

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庄原市西城町ヒバゴン出没マップ   
出典:庄原観光ナビ、西城町観光協会

「ヒバゴン騒動」の幕引きとその後…

最初の目撃情報から約5年を過ぎると情報は途絶え、29件の目撃情報と正体未解明のまま、役場の「類人猿係」は廃止に。5年に渡るヒバゴン騒動は幕を閉じることとなった。人々の「ヒバゴン」への想いは、「ヒバゴンが何者でもいい。どこかで元気でいてほしい。」と怪物でありながらも、どこか親しみを抱ける存在だったと考えられる。

そして、「ヒバゴン騒動」から約50年を経た昨今、庄原市にとって「ヒバゴン」は街の顔の一部となっており、キャラクター化や着ぐるみ化などPRや話題づくりにも貢献している。

「ヒバゴン」にあやかった、ご当地商品も多数発売されている。ご当地野菜としての「ヒバゴンネギ」・郷土銘菓「ヒバゴンのたまご」・ご当地グルメ「ヒバゴン丼」など、「ヒバゴン」に想いを馳せながら是非食してみたいものだ。

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キャラクター化された「ヒバゴン」 
出典:庄原観光ナビ、西城町観光協会
※キャラクター管理:NPO法人ヒバゴンの知恵袋

また、「ヒバゴン」をモチーフとした小説・映画も興味深い。作家重松清が、ヒバゴン騒動をヒントに小説『いとしのヒナゴン』を執筆。そして本小説を元に、映画化された『ヒナゴン』(監督:渡邊孝好、主演・井原剛志、井川遥)に登場するUMA「ヒナゴン」は、ヒバゴンをモデルにしている。当時周辺の約2,000名のボランティアが作品に協力されたとの事で、「ヒバゴン」はもはや街の顔として、街おこしに重要な役割を果たしている。


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映画「ヒナゴン」ロケ地マップ
出典:庄原観光ナビ、西城町観光協会

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我らが「UMA CREW PROJECT」がプロデュース、
ちんたさん(
https://twitter.com/4040tinta)に書いて頂いたヒバゴン!
https://twitter.com/CrewUma/status/1375296450926583808

最後に

広島県中国山地の比婆山のふもとに広がった「ヒバゴン」目撃に端を発する「ヒバゴン騒動」は、庄原市の街の顔となり、半世紀に渡り街おこしに貢献してきたと言える。今もきっとこのあたりで元気にしているであろう「ヒバゴン」のまたの出現を期待して、広島県庄原市を「UMA遺産」として選定することとしたい。

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