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「バツイチはモテる」は都市伝説なのか?

私が三年半の短い結婚生活に別れを告げて一人に戻ったとき、まわりの友達みんなに言われたことがある。

「バツイチはモテるっていうから大丈夫だよ」

その言葉は、当時本当に至るところで耳にした。昔からの友人。元同僚。そのときの職場の同僚たち。久しぶりにあった飲み友達。
本当に、「リコンして落ち込んでいる友達がいたらかけてあげるといい言葉10選」に掲載されてでもいるかのように、みんながそう声をかけてくれた。もしかしたら、一人に戻ったと告げたときの私がそれほどまでに落ち込んで見えたせいかもしれない。
そう主張する人は、自身が離婚歴のある場合もあったし、離婚どころか付き合ってる人もいないような人もいた。私は同年代の先陣を切って結婚していたため、まわりの同年代は結婚している人すら少なかった頃である。結婚も離婚もしたことないのに、なんでそんなこと言えるんだ!と思ったが、そういう言葉をかけてくれる人は優しい気持ちからそう言ってくれているのが手にとるように分かったから、私はあえて何も言わなかった。

では実際バツイチはモテたのか?
N=1の非常に小さい母数であることを含みおきいただきたいのだが、モテる、あるいはある一定層から多いに気を惹くことができるのは事実だ。
しかしそれが「その人がモテたい対象に」モテるかといったら必ずしもそうでないのが実情である。

まず第一に、バツイチに声をかけてくる筆頭格は既婚者である。一人に戻ったことで、心に隙があるように見えるのだろう。
「独り寝はさみしかろう」
これ、そのまま言われた。結構長い付き合いの既婚者男性から。本当にこんな絵に描いたような発言する人がいるんだ、と仰天した。
もしかしたらその既婚男性も、「周りで離婚する女がいたら言ってあげよう」と、どこかで見かけて心の片隅にメモっていたのかもしれない。バツイチにかけるテンプレ台詞である。実際に生身のバツイチにかけてみたかったところに私がちょうどうってつけのフレッシュバツイチとして現れた状況だったのかもしれない。
でもその既婚男性はそのとき満面の善意にあふれていた。そう言われてこちらがどう思うかなどということにはまったく気がまわっていないようであった。

「今どこに住んでるの?オレんちからアクセスのいい○○線沿線に越して来なよ。○万ぐらいまでなら出してあげるよ」
これも実際に当時言われた言葉である。そのとき提示された額は結構なものだったので、一瞬心が動いた・・・とまではいかなかったが、それほどの額を提示してもらえることに、私の女としての面目は保たれたように思った。ここには少なくとも私にそれだけの対価を支払ってもいいと思ってくれている人がいるのだというのは何かしら励ましにはなった。

その他にも、一人に戻ったというのを人伝いに聞いた古い友人からごはんに誘ってもらったことも何度かあった。
そういうときに、ごはんおごるからと誘い出してくれて、何も聞かずに焼き鳥の希少部位の価値とコストパフォーマンスについて延々と語ってくれる男友達の存在のありがたさが胸に染みた。

そのうちの一人は、ロサンゼルスに住んでいた姉の彼氏(現在は姉の夫)を訪ねていた私のところに、はるばるサンフランシスコから6時間以上も車を飛ばして駆けつけてくれた。
20代の終わりの大晦日は彼と一緒に迎えた。
姉の彼氏は私たちの関係について、最初は恋愛がらみのものかと思っていたようだったが、私たちの様子をみてそうではなくそれ以上のものであることを理解してくれたようだった。
そういえば、姉の彼も過去に結婚していたことがあるのだった。
経験者だけがわかる微妙な空気感というのは存在するものだと、そのとき身に染みて分かった。

今さっと思いついた限りでもそんなところだが、共通しているのは「結果的に肉体関係に至らなかった」ということである。
おそらくいずれも人生経験豊かな大人の男性の、あるいは長年の付き合いの友人としての、せめてもの励ましだったのだと思う。

だから私はそれらの人たちに、心から感謝している。
あのとき一人に戻って途方にくれていた私に、的を射たとは言えないけれども不器用なりに気遣った言葉をかけてくれてありがとう、いただいたオファーを現実的に検討することはなかったけれどもそういう言葉をかけてくれたあなたの優しさは理解しているよと、いつかチャンスがあったら伝えたい。そんな時がいつか来るのかはわからないけれど。

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