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意識と無意識の狭間

毎日のように夢をみる。私は目覚ましをかけて起きるのが好きでないので、いつも自然に目を覚ますようにしているのだが、そのためか起きる直前に見ていた夢は覚えている。

たとえば二日前にみた夢の一シーンでは、私は本のようなブロックのようなものが段々に積み重ねられた3Dのテトリスのような空間にいた。私の乗っているこちら側のブロックと向こう側のブロックの間に結構な隙間があったのだが、少し怖いと思いつつもひょいっと向こうに飛び乗った。ブロックは不安定だったのだがうまくいってほっとしていた。

今朝見た夢では、カヌーのような、いかだのようなものに弟と二人で乗っていて波で結構それが揺れるので二人でバランスをうまく取っていた。その後007のワンシーンのようなシークレットサービスに私はなっていた。出されたアイスクリームバーを食べ終わったら残った棒に待ち合わせ場所が書いてあって、黒い運転手つきの車がやってきて私は誰かと一緒に後部座席に座ってその場所へ向かった。階段を降りていくと、誰かに出迎えられて、小さな部屋の中には何人かが椅子の上に車座になっていた。なぜか足裏マッサージがそこで行われるようだった。

夢の中では無意識であるような意識があるような不思議な状態である。起きる前には、無意識の状態から意識的に自分の状態を引き上げてくるのを感じる。

これらが関係しているか分からないが、起きている時でも私は夢を見ているのかなと思うことがよくある。以前から時々そういうことはあったのだが、カナダに来てからそう思うことが格段に増えた。

ある日は朝カーテンを開けたら、向かいの家の芝生にウサギがピョコンと座っていた。体はグレーがかっていたのだが、尻尾と耳の後ろが純白で、どうしてずっと外にいるのにあんなに綺麗な色をしているのだろうと不思議に思った。お風呂に入りたてでないとあんなに真っ白な色は保てない。

次の瞬間、空を見上げたら、雁のような翼を広げた鳥たちが窓の真上をV字隊列で飛んでいた。ちょっと遅れ気味のもいたりして、でも羽ばたきの音が聞こえそうなくらい力強く飛んでいた。

ある時は車に乗って走っていたら、クマの子供二頭が道路脇の林の少し坂になったところから下りてこちらに向かってきた。先頭のこぐまは黒っぽくて体長は1mもなかっただろうか。その後ろから兄弟なのか毛が真っ白の数十センチのこぐまが追いかけていた。こぐまは足の繰り出し方が本当に可愛らしい。短い足を少し回転させるようにしながら歩くというか駆けてきた。

時々スピリチュアルベアと呼ばれる毛が白いクマがいるらしい。一瞬だったけれど確かに彼は白かった。

こういう何気ない日常の一瞬に私は夢を見ているのだろうかと思う。夢と夢でない世界の狭間が分からなくなってしまう。そういう一瞬一瞬を繋ぎ合わせていくと夢の中にいるような気もする。

こういうシーンを目の当たりにすると、私が意識と無意識の狭間に見ている夢と変わらないようにも思えて、そう思うと私は寝ても覚めてもずっと意識と無意識の狭間に存在しているのかもしれない。

つきつめていくと私の”存在”すら怪しくなってきてしまうのである。だからといって特に気にかけてはいないのだけれど、でもそんなことを時々考える。








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