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テレビ部品を作っていたから思い出す、私の会社の闇歴史

どうも、ウクモリ ヒロオです。

昨日、ニュースでシャープがテレビ向け液晶事業から撤退することを知りました。国内のテレビ向け液晶事業が幕を閉じた・・・そんな瞬間です。このニュースを知り、様々なことを思ったので書き綴りたいと思います。

まず、なぜこのニュースについて語っておきたいかについて。私の会社は、テレビの進化と共に成長した会社だからだというのが大きな理由です。アノードキャップという、何よりも品質が求められるゴム部品を作るメーカーとして、一時期は世界シェアの50%を占めるまで成長しました。何しろ、品質が悪いとブラウン管が破裂してしまう危険性があるパーツだったため、リスクが高かったことから、参入する企業が少なかった・・・という背景があります。なので、このパーツについては、昭和50年代は国産比率ほぼ100%という驚くべき状況でした。

私が、後継者候補として松山工業に入社したのが2000年。当時、中国に2拠点あった量産工場も、アノードキャップの出荷量は下火になっていたものの、まだかなりのシェアを有していました。ただ、すでに国内は液晶にシフトしていたので、私が国内外の液晶部品(冷陰極管を支えるゴムホルダー)の担当として活動した結果、中国における日系メーカー向けのシェアは急増しました。が、量産するパートナー企業の仕事量が増える一方で、私の会社はそのままでは先細りするの明らかに。なので、先手を打ち、当時は呼び名すらなかった、今でいうサービスロボティクス分野などにアプローチを開始しました。

中国の量産工場に関わる株式を、台湾のパートナーに売却したのが2005年のこと。当時、日系企業はまだまだ中国へと進出を続けていた中での決断に対して、社内外の反応はかなり逆風だったことを、今でも思い出します。中国の工場で寝泊まりまでし、台湾の方々とのご縁も広がっていたからこそ見えてきたものがあり、退路を断って日本で腰を据えて活動した方が良いだろうと判断しました。

考えてみれば、液晶分野で最後までお付き合いがあったのは、千葉某所の企業連合的な会社でしたが、2007年ぐらいでそちらもアプローチを終了。最後は何十銭という単位でのコストダウンを求められ、収益性に疑問を持つようになりました。海外勢とのシェアが逆転し、一気に日本劣勢の状況になったのは、その直後だったかと思います。

昨日のニュースを見て驚いたのは、その時にライバルだった韓国勢もほぼほぼシェアが奪われてしまっていて、中華系一強ともいえる状況でした。産業用途や有機ELというセグメントでは、もう少し違いがあるのかもしれませんが、いずれにせよ、この分野で日本が残っていくのはほぼほぼ無理だったんじゃないかな・・・と改めて感じました。

今回のトップ画像は、先述のアノードキャップをチョイスしてみました。この製品があったからこそ会社が成長した半面、ブラウン管テレビ衰退後に成長を阻害した要因となった製品でもありました。少なくとも私にとっては、私自身がこの製品で成功体験を味わっていないため、苦い思いでしかない製品だったりします(苦笑)社内が

こんなことを語りつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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