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割れた陶器のチンゲン菜
家族が住んでいる天草から半日かけて、車とフェリー、また車、お盆と正月年に二回、母は小さい私を連れて、実家の長崎に訪れた。
その実家から車で30分くらいの場所には、静かで落ち着いた商店街があり、母と私はよく買い物に行った。
商店街の真ん中にある、間接照明が何種類もあるタイプの、小さなアジア系の輸入雑貨屋。
母はお皿や香辛料なんかを買っていた気がする。
自分で買い物をするようになって気づいたが、そういった輸入品は、大きなお店よりも、小さな輸入雑貨屋の方が安いのだ。
私は、木目の美しい棚に並んだ、カバの灰皿や、ゾウの置物を眺めた。
その中で、陶器でできた、小さな野菜の玩具たちを私は発見した。
何個か買ってもらった。
ナス、トマト、チンゲン菜。
私は偶数が好きだったから、合わせて16個くらいあったと思う。
勿論、輸入雑貨屋なので、日本の野菜のラインナップではなく、東南アジアでポピュラーな野菜達である。
ナスも丸くて白いナスだった。
マンゴスチンの様な変わり種もあった。
母は食品図鑑を持っていたので、私は果物や野菜の名前に詳しく、それがマンゴスチンという果物であることを知っていたが、実物を食べたことは無かった。
それらの野菜達はリアルでありながら、陶器でできた質感は独特の美しさを表現し、ツヤツヤしているけどザラザラ、簡単に割れてしまいそうな儚さがあった。
実際に、チンゲン菜の葉っぱの先端は買って二日後に割れた。
その野菜たちは、僕の知ってるものとは違う感性で丁寧に作られていた。
チンゲン菜の葉先にはしっかりと葉脈が描かれており、根元の白い部分にはクッキリと筋が彫ってあった。
マンゴーには赤、黄色、緑のグラデーションが美しく塗装されていた。
微妙な色塗りのズレもあったりしたが、それがかえって手で作られたことを印象付けて、かわいらしかった。
陶器の野菜たちからは、作った人の丁寧さが感じられた。
私が7歳にして、丁寧に何かを作ることの素晴らしさを理解したのは、その陶器の野菜たちのお陰だった。
私はその陶器の野菜たちと、とっとこハム太郎の安っいソフビの人形でままごとをしていた。
安いお菓子がグルグルと流れてくるクレーンゲームで、欲しかったわけでもないのに、ボロボロと取れてしまったハム太郎の人形達。
クレーンゲームの中で、ハム太郎はクッション材のように扱われていた。
恐らく、当時の長崎の中で、最もチープに扱われたハム太郎だったと思う。
そのハム太郎達を欲しくて手に入れたわけではなかったので、申し訳なく感じていたが、せっかく私の手元に来てくれたのも何かの縁なので、私はごっこ遊びの中で、彼らに雇用を作ってあげたのだ。
同じキャラクターが何体か"被って"いたが、私はクローンで作られた兄弟という事で納得していた。
7歳の頃、大きめのスーパーに売っている中身のわからない食玩や、変わり種のガチャガチャがマイブームだったので、この”お被り”は何度も経験していた。
最初はその”お被り”が本当に苦手だったが、工夫をしてその理不尽を受け入れていた気がする。
私はコレクションをすることが好きで、流行りの電子玩具や、デカいロボットを欲しがることは無かったが、おまけの人形を集めるためだけに、入浴剤を何個も買ってもらった。
炭酸ガスがシュワシュワと出てくるお月様の様な入浴剤の中に、小さな人形が化石の様に埋まっていて、最後まで入浴剤が溶けきると、人形がプカンと水面に浮かぶのだ。
天草の家の風呂場には、プラスチックでできたちっちゃいキノコや、ちっちゃい恐竜たちが並んでいた。
小さなものを、集めて、並べるのが、好きだった。
そんな中で、とりわけお気に入りだったのが陶器の野菜達だった。
きっと今でも、実家を探せば見つかるかもしれない。
しかし、今考えると疑問がある。
美しい陶器の野菜たちと、量産型ハム太郎、なぜ、同じ世界の登場人物として、扱えたのだろうか?
私の"少し"神経質な性格から考えると、そんな"ちぐはぐ"な組み合わせで遊んでいたのが不思議だ。
私の中の宇宙には、秩序があり、私はそれにしたがって行動していた。
飴玉を食べるときも、秩序というものに固執していた。
当時の実家には、味が何種類か入ったアソートの飴玉がよく置いてあった。
例えば、イチゴ、オレンジ、ブドウ、メロンがそれぞれ袋に7個、9個、8個、12個ずつ入っているとしよう。
私に兄弟はいないので、買ってもらった飴玉は全部一人で食べる。
僕はそれをすべて、7個、7個、7個、7個まで減らしてから、ようやく落ち着いて食べ始めることができたのだ。
兄弟もいなく、飴玉を争うこともなかったので、自分の世界に集中する余裕があり、私は飴玉の数を揃えてから食べるなんていう"癖"を当然の価値観だと思っていた。
余談だが、お菓子の食べ方というのは、実に人の性格を反映する。
バームクーヘンを、外側から徐々に"剥がしながら"食べる人もいる。
本人にとってはあたりまえの食べ方でも、"実は変わってる?"なんてことはよくある話だ。
飴玉と同じように、色のついたテープやモールを使って工作をするときも、私は減り方が同じになるように気を付けた。
金魚すくいをするときも、黒と赤が同じ数になるように気を付けた。
そんな風に神経質だったからこそ、なぜ手作りの陶器の野菜たちと、大量生産のソフビのハム太郎達を、同じ世界観の登場人物として扱えていたか不思議なのである。
推測すると、私にとっては、偶然の出会いが大切だったからである。
東南アジアのどこかで、手作業で作られた陶器の野菜たち。
日本の工場で大量生産されたソフビの人形。
それらが出会ったという偶然を大切にしていた。
そして、それらの玩具を、手作りの段ボールスーパーマーケットの中に並べ、テレビを見る大人たちを横目に、一人で遊んでいた。
人生を豊かにするためには、過去について思いを巡らせるくらいの余裕が必要だ。
そして玩具は、自分の過去にある物語を思い出して、楽しむためのシンボルになるときがある。
玩具は、過去に存在した時に、その物質的な価値を超えて、精神に大きな価値を与えてくれる。
割れた陶器のチンゲン菜は今手元にないが、私の過去を作り、同時に過去を鮮明に思い出させてくれた。
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