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未来の常識を作っている
小中学校でも子どもたちはSDGsについて学んでいるらしい。仕事で関わっている子どもたちの変化として、食べ物を残せなくなった。お腹がいっぱいでも無理して食べきろうとする。介護職だった頃、「戦争の頃は食べ物がなくて涙が出るほどお腹がすいた」と言っていたお年寄りたちが、平気で食べ物を残す姿を見てきた。飽食の時代という言葉も死語になるのだろう。真面目な子ほど真面目に食品ロスに傷ついている。食べずに生きていくことはできないのだから、せめてそのことで生きづらさを感じてほしくないと思った。
自分が自分として生きていくことで苦しむような未来になってほしくない。平野啓一郎氏の小説『ドーン』に出てきた散影──ネットワークに接続された監視カメラを思わせるほど、街中やお店のいたるところに監視カメラがあり、誰もがスマホで写真や動画を撮影できる時代だ。個人情報だからといって顔を隠しながら生活するというのは現実的でない。ケガの功名として今はマスクの装着を強いられているが、顔を簡単に変えることはできない。個人情報も隠すより暴かれても平気な方向に変わらないか。
外見と不一致であるかもしれないSOGIにまつわるエトセトラも同様だ。誰が誰を好きになってもならなくてもどうでもいいと言えるのは何年先になるだろう。国連の発表によると今のペースではジェンダー平等が実現されるのは三百年後らしい。自分が生きている間に果たされないとなると、それこそ「自分には関係ないからどうでもいい」とか「世の中は変わらない」とかニヒリズムに負けそうになる。しかしそもそもこの国で女性が参政権を持ったのは1945年。今から七十七年前だ。百年も経っていない。ゆっくりだけど、少しずつ良い方向に変わっているのだと思いたい。
介護職の頃、「ピンピンコロリで死ねる人は一割程度で、誰もがいずれ介護のお世話になる」ということを学んだ。それを考慮せずとも誰にも迷惑をかけずに生きられるほど優秀で完璧な人間はなかなかいない。無論、私も周囲に迷惑をかけ通しだ。周囲に支えられ励まされ、時にお叱りをたまわりながら生きてきたからこそ、迷惑をかけることを恐れなくなった。平気で迷惑かけやしないけど、かけてもかけられても平気でいたい。"人様に迷惑をかけなければ"という条件分岐は、いずれ未来の自分を縛ることになる呪いだと思う。それを責めたら生きづらくなるから。
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