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みんな違ってみんないい。

子育てをしながら思うのですが、同じ両親から生まれても兄弟って本当に全く違う人間。

うちの場合は、長男は割とものがかりがよく、感受性も好奇心も豊か。わからないことは自分でどんどん調べるし、とりあえずやってみる。足も速くスポーツも得意、授業中もずっと「はい!はい!」を手を挙げ続ける積極性。グイグイと行くタイプ。

その一方で、2番目である長女は、とてもおっとりマイペース。スポーツはそこまで得意じゃなく、「アフリカの血が入ってるなら、足も速いでしょ?」と言われるが人並みの速さ。

周りからワンテンポ遅れているような性格で、社交的ではあるものの、見ているとみんなと遊んでいても1人別の世界観に浸っているような子。鬼ごっこをしていても、逃げながらバレリーナのようにクルクル回ったり、彼女の周りにはお花が咲いているのかしら。いつも楽しそう。

晴れた空を見れば、もくもくと浮かぶ雲に名前をつけ「アピレス(怪獣に見える大きな雲の名前)が、今魔法を使ってるんだよ。」と。彼女から見える世界は、とっても幸せにあふれているのだろう。それでいて、ブロックや家のものを様々なものに見立てて、カバンを作ったり、家をつくったり。芸術家タイプ。

次男は末っ子ということもあり、立ち回りをよくわかっていて、飲み込みも早い。まだ小さいからよくわからないが、可能性いっぱいであることは間違いない。(ごまかし 笑)

こうして、同じ両親から生まれても三人三様。

気をつけなければいけないのは、それぞれが別な人間であるということ。

どうしても子供が複数人いると、基準は1人目の子の育児になってしまう。うちの場合、1人目がわりと物分りがよく飲み込みが早いので、2人目はどうしてもスローラーナーに思えてしまう。

でもそれは2人目が”劣っている”ということではなくて、全く違った得意不得意があり、特性があり、全く違う人間であるから当たり前である。そこを忘れがちになると、「お兄ちゃんはこれできるのに、あなたは~」みたいなことになり、下の子の自尊心を傷つけ劣等感を抱かせる。

あなた自身に兄弟姉妹がいれば、きっと親に比較されて嫌な思いをしたご経験はあるのではないだろうか。でも、兄弟で比較するのは、ちゃんちゃらおかしな話だ。だって、違う人間なんだから。

もっとおかしいのは、他人と比較すること。

全く同じ両親から生まれた人間ってもこんなに違うんだから、全く違う人から生まれ、違う場所で育った他人は、違うのは当たり前。

「なぜあなたはわからないのか?」

「なぜできないのか?」

「普通じゃない」

違うということは悪いじゃない。むしろ、面白くて、楽しくて、尊いことだ。

この世のみんなが同じ顔をし、同じ性格で、同じものが好きで、同じものが得意だったら、それはロボットでいいじゃない?それって、人間である意味がないと私は思う。

だからもっとこの世界は違いに対して寛容になってほしいし、みんな違ってみんないいんだから、生きる人みんな受容される社会になって欲しい。

私一人が叫んでいてもこの世界は変わらないので、共感いただける方は、ご自身をユニークな人間として認めて欲しい。

そして、自分の家族、友人も「みんな違ってみんないい」とありのままを受け入れて欲しい。そんな想いが世界中へ届きますように。

写真は、私の好きな金子みすゞさんの詩「 私と小鳥と鈴と 」。

   私が両手をひろげても、
   お空はちっとも飛べないが
   飛べる小鳥は私のやうに、
   地面を速くは走れない。
   私がからだをゆすっても、
   きれいな音は出ないけど、
   あの鳴る鈴は私のやうに
   たくさんな唄は知らないよ。
   鈴と、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。

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