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シベリア出兵=大日本帝国軍による帝国主義侵略戦争

シベリア出兵?                            そういえば高校の世界史教科書に僅かな記載があっただけの大した事件でも無いような扱いの出来事だったな・・・
そんな認識しか持っていなかった。
ところが、2022年2月から開始されたロシアのウクライナに対する特殊作戦の背景・真相、関係する史実を知ろうと様々な関連事項を掘り下げていくうちに「え?!そうだったんだ!知らなかった!」という史実が次々と浮かび上がって来て、シベリア出兵もまさにそのなかのひとつだった。
高校の授業での扱いがそんな程度で、さらに偏向報道を繰り返す主流メディアをはじめ、殆どのメディアは全く扱わない。
だからこの許されざる日本の帝国主義侵略戦争の実情を現代の日本人の多くが知らないのは当然だ。
また、シベリア出兵のみならず、シベリア抑留(こちらはWW2後の悲劇)について言えば、多くの日本人が知ってはいてもその実情が意図的に伏せられ、情報が歪曲されて伝えられている為に、現代の標準的な日本人の認識と事実には大きな差がある(シベリア抑留についての詳細は別記事を参照ください)。
シベリア抑留による悲劇については、当時のソ連側の配慮に従えば十分に避ける余地があったにもかかわらず、大本営(大日本帝国軍総司令部)や文民政府が適切な対応をしなかったことによって引き起こされた悲劇だった。ところが、日本政府や権威筋、大多数のメディアは、事実や因果関係を隠蔽し、歪曲し、ソ連が卑怯で極悪非道だったからだという方向に印象操作している。そして日本政府は悲劇の責任をソ連に擦り付け、抑留引揚げ者の方々に対する国家補償も拒否し続けている。そのような姿勢は、日本人のソ連に対する事実誤認を招き、両国民(日露)の間に由々しき摩擦を生むばかりか、さらには自国民に対しての許されざる裏切り行為以外の何物でも無い。


さて、ここで表題のシベリア出兵についての話に戻るが、
シベリア出兵の概略は下記となる。

1918(大正7)年,ロシア革命の干渉を目的として,日本・イギリス・アメリカ・フランスがチェコ軍救出の名目でシベリアに出兵した事件(〜'22)
日本はこの機会にシベリア進出をくわだて,協定を上まわる7万3000の大軍を派遣し,バイカル以東のシベリアを占領。アメリカ・イギリス軍撤退後も,日本はそのまま駐兵し,さらに尼港事件後,その賠償の保障として北樺太 (からふと) も占領した。しかし革命軍の反撃,国内の反対,列国の非難などにより1922年ワシントン会議で撤兵を宣言し,同年10月終了。'25年日ソ国交樹立で北樺太からも撤退した。多数の犠牲者,10億円の戦費を費やした。

旺文社日本史事典三訂版より

シベリア出兵は、WW1の延長線上にあり、そもそもは「過激で危険な共産主義の拡大を阻止する」という名目を掲げた英仏からの誘い掛けがきっかけで始まった。だから革命軍を過激派と呼ぶ。
出兵の実行までには、日本国内で、軍部、文民政府、そして世論でも賛否両論交錯したが、結局、軍部と実業界(=シベリアへの投資を目論んだ)の思惑により、出兵は推し進められ、実行に移された。
そのような出兵までの軍部や政権上層部の紆余曲折、日本と国際情勢との関係性などは、下記の本に詳細が解説されているので是非ご参考に。

2016年9月25日初版


そもそも「シベリア出兵」という平坦な名称自体、日本政府がいだく、その事実の真相を日本人の記憶からできるだけ遠ざけたいという気配を強く感じる。そして政府や軍部に都合が悪い情報を、当時は検閲、その後は無視することによりできるだけ国民に伝わらないようにしてきた実態が確実にある。
だからこそ、主に大日本帝国軍参謀本部主導により行われたシベリアを舞台とするロシア人、朝鮮人、中国人等に対してのほぼ7年間にも渡る残虐な侵略戦争の事実を、現代および将来の日本人が正しく認識し、記憶に留め、強く反省し、2度と同じような侵略が繰り返されないように政権を監視することが極東地域の緊張を取り除き、極東地域の、そしてひいては世界の平和の為に絶対に必要なことだと思う。

ところで、私は様々な資料を読むうちに「ロシア革命干渉が目的だった」とされるシベリア出兵を考えるうえで注目すべき重要な点があることに気がついた。それは、支配層による苛酷な抑圧からの解放、真の自由の獲得の為に命を懸けて立ち上がったパルチザンたちにとってのロシア革命といった視点が、現代の日本では殆ど無視されているということだ。
(パルチザン=革命のため、また外敵などに対抗するため、労働者・農民などによって組織された非正規軍。また、それに属する人を意味する。)
ロシア革命には、複雑怪奇、様々な勢力や思惑が絡んでいたが、
現代の日本人の多くは、一般的にかなり単純化された捉え方をしており(これも情報操作の結果だと思われるが)、共産主義=ソ連=悪、革命軍=赤軍=ポルシェビキ、旧秩序利権復活派=反革命軍=白軍 あたりの認識がその概要となるだろう。
確かに共産主義とは、グローバリストがマルクスに莫大な支援を提供し、そのイデオロギーを利用して、世界を混乱に陥れ、彼等が最終的に世界の人々を一律に支配し搾取奴隷化するための思想だったと考えられるが、そのイデオロギーが世界に拡散され始めた頃には、一方で支配層から抑圧され搾取され虐げられ続けてきた人々の希望にもなっていたことも確かなのだ。
そして彼等、農民や労働者(無産階級)の視点で見れば、ロシア革命とは 無産階級被抑圧者がパルチザンとなって闘った民衆運動だったという側面こそ見逃してはいけない。そのような人々を虐殺し、彼等が生きる土地を侵略占領した主役は、他でもない大日本帝国軍参謀本部なのだから。

『ロシア革命とシベリア出兵』日ソ協会福岡連合会 より


汚い戦争

「シベリア出兵は最も政治的な戦争、ダーティーウォー(汚い戦争)であるからこそ、出来る限り国民の目から隠蔽されてきた訳で、出兵の動機から撤退まで公式発表は全て虚偽と言い切れる。そして歴史教育の中で殆ど抹消同様の扱いを受けてきた。」と直木賞受賞作家の高橋治氏は述べている。
そして、戦後を代表する作家、司馬遼太郎もシベリア出兵を下記のように 酷評する。

前代未聞の瀆武といえる。
理由も無く他国に押し入り、その国の領土を占領し、その国のひとびとを殺傷するなどというのは、まともな国のやることだろうか。
注:瀆武とは道理を外れた戦争で武威を汚すこと

司馬遼太郎「ロシアについて」

では、そのシベリア出兵の際にどのような「瀆武」が行われたのだろうか?
下記に主な事項を列記してみる。

シベリア出兵を実行した列国 (日、米、英、仏、伊、中、カナダ、ポーランド、チェコスロバキア他) は宣戦布告をしないまま、ウラジオストクから次々に上陸し、彼の地を軍靴で踏み荒らし始めた。

ウラジオストクにあった石戸商会の襲撃事件 (戦争へ引きずりこむ為にしばしば行われる偽旗作戦。例:ベトナム戦争開始の口実にされたトンキン湾事件) というでっちあげにより、もはや在留邦人危機は放置できないという口実をつくり侵略を本格化していった。

ソ連の対独戦線離脱 (WW1 中の対独戦休戦) を受けて、連合国側は、それが原因で独軍が勢いづくという脅威を過剰に喧伝し、シベリアへの派兵、武器輸送を増強していった。

シベリア覇権の確立と維持のために、反革命軍側の複数勢力と結託し極東に傀儡政権を樹立させる作戦をとり、革命軍側への熾烈な攻撃を行う。その際、しばしば前線に立たされていたパルチザンを虐殺し、さらに、もともと民間人であったパルチザンが民間に紛れて隠れることへの対策および見せしめとして、女性、子供も含めて村ごと焼き払い虐殺することもあった。(ベトナム戦争の際のベトコンや民間人虐殺と同じ手口)。

・日本が植民地として侵略占領、支配していた朝鮮半島で1919年に独立運動(三・一独立運動)が起きたが、彼等とソ連革命軍が結びつくのを防ぐために、抵抗する朝鮮人を不逞鮮人と蔑称し弾圧し虐殺した。彼等の抵抗を弾圧し続けるためにも、日本軍は他の列国が撤退した後もシベリアや樺太への派兵を継続し占領し続けた。

日本人居留民が被害を受けた尼港事件(当時、この事件の真実を隠蔽し、利用して樺太の石油利権や漁業利権の強奪をねらっていた政府や実業界の意向に沿って、新聞各紙や雑誌、映画界などが事実とかけ離れた内容の記事を掲載し、日本世論を誤った方向へと誘導していった) を口実として、樺太全島を支配し主に石油資源を強奪すべく、軍隊を駐屯させ続け、執拗に尼港事件の賠償(つまり樺太の占領や石油利権の独占)をもぎ取ろうとした。

日本国内で、シベリア出兵を見越した地主や米商人の米の買い占め、売り惜しみによって深刻な米不足(食糧難)が発生し、それに抗議し立ち上がった日本人の民衆を軍隊や警察が弾圧し、銃撃により民衆を殺害したが、その怒りの矛先を国外に反らすこともシベリア出兵の目的のひとつだった。


支配層からの抑圧の解放を目指した各国の民衆

上記でも触れたが、シベリア出兵には各国の民衆と支配層との間の闘いが深く関係していたことを見逃してはいけない。
ロシア革命で立ち上がった農民、労働者。日本の侵略占領からの解放を目指した朝鮮人、中国人。支配層、富裕層からの抑圧弾圧に立ち向かった日本の農民、労働者。その視点で見れば、シベリア出兵は国家間の闘いというより、支配層と被抑圧者との間の闘いだったとも言える。
そして、日本国内でも、次第に国際的な非難を浴びても、なかなか撤兵しない日本軍への非難の声がたかまって、ソ連の革命軍を支持する動きも多くあった。

『ロシア革命とシベリア出兵』日ソ協会福岡連合会 より

同じ無産階級の労働運動として、ソビエト(労働者と兵士の代表を集めた自治評議会)を支持する日本人の中の、日本労働運動の先駆者の片山潜は、下記のようなビラをつくりシベリアに派兵された兵士達に訴えた。

諸君は何の為に貴重なる生命を犠牲に供し、又如何なる名目の下に、諸君は自分等と同様に温順して「パン」を求めて居る他の労働者や農民を虐殺するのかを考へて見ねばならぬ絶好の時期ではないだろうか。諸君一考せよ、ロシア人は諸君の国内に侵入したのではない。諸君が日本の軍閥資本家の手先となって、労働者と農民のロシアの国土を犯しているのである

そして歌人の与謝野晶子も、大日本帝国軍部の暴虐を冷徹に見据え、終始、シベリア出兵に反対し、撤兵を訴えていた。

イギリスやフランスは「独逸勢力の東漸を法外に誇大」して日本に伝えるが日本人はそれを軽信してはならないと思います。私たち国民は決してこのような積極的自衛策の口実に眩惑されてはなりません。

与謝野晶子「与謝野晶子評論集」


以上が、シベリア出兵が大日本帝国軍部によるシベリアの帝国主義侵略戦争だったという事実のあらましになる。
最後に、是非、ご一読いただきたい参考書をあげておきます。ご参考まで。

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