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創薬研究者の道:日本からドイツへ、夢を追い続けるキャリアストーリー

こんにちは。2022年の秋からドイツのテュービンゲン大学(エバーハルト・カール大学テュービンゲン)で研究員をしている秤谷 隼世(はかりや・はやせ)と申します。核酸医薬という分野で研究をしています。国内外で合わせてポスドク生活3年を終えたところです。
大変栄誉なことに、海外研究キャリアの最中ということで、この度UJAさんから寄稿の機会をいただきました。自身のキャリアについて簡単に振り返ります。創薬という夢の話や、なぜ企業ではなくアカデミアにいるのか、みたいな話をします。
私はドイツに住んでいるので、特に欧州・ヨーロッパでの留学や研究生活を志されている(もしくは現在そうした活動に従事している)方に対しても何かしらGiveできることがあれば思いますが、そうした欧州留学体験については、支援をいただいていた東洋紡バイオテクノロジー財団様のパンフレットに掲載されていますので、そちらに詳細を譲ります。
URL:https://www.toyobo.co.jp/pdf/biofund/recruit/09_pamphlet_2024.pdf
なお、個人情報保護等の観点から一部のストーリーには脚色を加えていますが、悪しからず。また、本原稿やキャリア相談・研究相談など、個人的なコンタクトはいつでも・誰からでも大歓迎です。


薬を創りたい。研究者になろう。

進路を考えねばならない高校2年生くらいの頃に「創薬研究者になろう」と決意しました。
たとえ自分が亡くなったとしても、「薬」なら未来永劫 人の命を救い続けることができる。「自分が死んだ後に何を残すか」が、自分がこの世に生きた証だとも考えており、創薬という仕事はまさに、人類に対して大きなインパクトを残すことのできる可能性を秘めた、魅力的な存在でした。
それもあって、薬学部に進学しました。
学校の先生らからは、薬剤師をとった方がいいんじゃないの?なんて唆しも多くありましたし、自分も将来の安定性を考えると悩むこともなくはなかったです。でも、自分の志の方が大きく、いきなり4年制(薬剤師には基本的にはなれない研究者養成コース)の薬学部に進みました。

キャリアに悩んだ大学院時代: PIの責任とは

大学院は医学研究科に進学しました。ただ、そこでも相変わらず創薬をしたいと思って研究室を選びました。ここで、「研究者」というキャリアの現実を知ります。

まず、学部時代も含め親から金銭的に独立する必要があったので、学生ながら学費・生活費のために返済不要の奨学金獲得に奔走しないといけない状況でした。資金獲得は、PI(独立した研究者)に必要なスキルですが、自分一人を食わせるだけなのにこんなにも苦労するのか、と。
自分が将来PIになったとき、学生さんやポスドクの人生さえもが自分の力量で左右されてしまう。この重荷の中でやっていくのかと、教授職を中心とした研究者の責任感を目の当たりにします。

自分とのコミュニケーションを大切に:

それから、「何も知らずに・社会を知らずにアカデミアに残っていいのか」という悩みも大きかったです。それ故、学生団体に奔走したり、学部時代に社団法人理事になってみたり、製薬会社・IT系の会社・人材会社等々に短期・長期のインターンシップを経験してみたり、教育を経験するために高大連携講師になってみたりと、大学院での研究生活に勤しむ傍らでいろんな「寄り道」をしました。
こうした活動を通して、自分自身とコミュニケーションをとることで、分かったことは多かったです。まず、「製薬会社では、薬がつくれない」ということ。創薬研究者の進路といえば、製薬会社がありそうですが、ここではもう医薬品がつくれるようなビジネスモデルにはなっていないという業界構造に気づくことができました(詳細は割愛)。
それから、「自分にとって、資本主義で生きていくのは嫌だ」ということ。これにはいくつか意味があります。一点目;お金にならなければ医薬品を創らない(創れない)ということ。SDGsとかNo one will be left behindとか社会では言われていますが、「世界に一人しかいない病気」を治す薬を創っている会社があるでしょうか?残念ながら、答えは「いいえ」です。(僕の夢のひとつは、これを成し遂げる世界を創ることです。)そんなこんなで、どうしても、「お金になる/ならない」みたいな価値観で動くような世界ではたらく自分をイメージすることができず、内定もいくつかありましたが、就職という選択を捨てました。
二点目、「土日が待ち遠しくて仕方ない人」になりたくなかったです。インターンシップの際、生で(リアルに)働く社会人を見てこれを思いました。また、博士学生をしている時、既に学部・修士卒で卒業した同期が「いかに苦しそうに会社に行っているか」を目の当たりにしたのも大きかったです。
全員がそうではないですけれど、自分のする仕事に対して誇りとかやりがいといった、圧倒的な「熱」を持っている人の少ないこと。一般的に、大企業だとかに就職する方が福利厚生や給与もしっかりしているはずなのに、むしろそれ(経済的安定)のために働いてしまっている人の多いこと。もちろん、ライフラインとしてそういうのが大事なのはいうまでもないのですが、私にとって、この人たちを見ていたら「そうじゃないだろう」と思いました。

やっぱりアカデミアがやめられない。自分の志に素直に生きていたい。

以上は私自身のキャリアとしてアカデミアを選択した際の価値基準の一部です。
そんなこんなで、博士3年の2月(つまり、卒業する1.5ヶ月前)にポスドク就活を始めて、日本国内に最初のポストを得ました。ちなみになんでそんなギリギリに就活しているのかというと、博士論文が書けるデータがなかなか出なくて、最後の最後まで卒業論文を書くための実験に奔走したためです。そうした様子の詳細は下記のブログに綴ってあります。
参考;https://h-hakariya.blogspot.com/2021/02/3jrec-in137.html

こんなに大変だし、ポスドクの給与体系・福利厚生も安定していないのだけれど、それでも、やっぱりアカデミアがやめられない。というのも、日本が世界をリードして勝っていくためには、「知的産業しかない」とずっと思っていまして、僕はその中でも創薬をしようと決めていました。
製薬会社では創薬ができないのだから、「自分で何かモノをつくる」ためにはアカデミアが一番だと考えました。

やっぱり夢は諦めきれなかった。
志に生きる方が楽しいに決まってる。

さよなら、優秀な同期たち。

一応私は、国内では難関大と言われるような私立大・国立大を卒業しているので、周りの人たちは、みーんな自分よりも優秀でした。でも、みーんなアカデミアはやめていきました。彼ら彼女らはどこへいったのか。外資系のコンサルティング会社・ベンチャーキャピタル・製薬会社、官僚、商社。その辺です。そういった会社・機関が悪いわけではありません。でも、「自分でモノ・システムを創り出す」といったようなクリエイティブな仕事をしようよ、って思いました。同期を見ててすごく寂しい思いをしました。
「官僚や政治家になれば社会システムを作れるじゃないか」という意見もあるかもしれませんが、僕の中ではこれはNoで、結局、国や自治体のルールをつくっていく最初の一歩は、ローカルな地に足のついた取り組みがあってこそだと考えています。
せめて若いうちは、プレイヤーでいようよ。そう思います。

ドイツでのポスドク生活に至るまで

創薬への夢を諦めたくないから、私は海外ポスドクへ挑戦することにしました。
COVID-19パンデミックの襲来や自分の博論の都合から、2021年に博士をとり、1年ちょっと国内でポスドク修行をして、2022-2023年あたりに渡航しようというスケジュール感です。結果的に(そしてありがたいことに)その企み通りに、海外への挑戦をスタートすることができました。
「どうして海外じゃないと創薬できないのか」という話については、2023年度にフェローシップ助成をいただいていた東洋紡バイオテクノロジー財団さんのパンフレットに綴りましたのでそちらに譲ります。
参考;https://www.toyobo.co.jp/pdf/biofund/recruit/09_pamphlet_2024.pdf
簡単な留学理由は、「RNA編集」という私の信じている創薬手法で世界の先端をいく研究室が日本国内になかったからです。ドイツの今いる私の研究室は、間違いなくこの分野の創薬で世界トップを走るラボです。

今の生活への満足度:創薬と、家庭と、異国暮らしと。

いきたかったラボに来て、自分のアイデアを自分で実現するチャンスを手にした私は今、とてもエキサイティングな日々を送っています。ただ、一つ目のアイデアについて、先行研究のデータが再現できず全くうまくいかないなど、全く思うように研究は進んでいないです。
それでも、メンバーのほとんどがNature姉妹紙以上の論文を筆頭で持っているようなラボで日々ディスカッションできて創薬の未来なりに思いを馳せられるというのは幸せでしかない。「土日が来ることが待ち遠しい」なんて思ったことありません。
一方、「自分の手で薬を創る」という夢に対して、私はまだ道半ばです。もしかしたら明日とか来月とかいうレベルで、この夢は諦めざるを得なくなるかもしれません(ポスドクはそれくらいその日暮らし)。
私は博士3年の頃に今のお嫁さんと結婚もしているので、家庭もあります。僕一人の人生で好き勝手していいような境遇でもなく、二人のキャリアをドイツという異国でどうバランス良く築いていくかなど、悩めることも多い日々です。

ドイツという異国での暮らしについてもこちらの文献で詳細を綴っています。
参考;https://www.toyobo.co.jp/pdf/biofund/recruit/09_pamphlet_2024.pdf

もう一つの生きがい

私の夢は、自分たちの手で薬を創ることです。
一方で、薬(クスリではありません)がとっても好きで仕方ないので、関連して生きがいもあります。

それは、人間社会とお薬との関係性について洞察することです。

医薬品や健康というものの価値基準をアップデートすることで、人々の豊かな未来をつくっていきたいという志のもと、任意団体 薬と社会健康科学研究所「IPhaS」を組閣して、医薬品に関係する種々の社会的トピックについて学術論文を書いてアウトプットしています。将来的にはアドボカシー活動などによって社会における医薬品の役割を最適化していけるような団体になれればと思っています。
興味のある方はぜひ一度カジュアルにオンラインですとかで面談できればと思います。

最後に

末筆に、若者にメッセージを。ということですが、私自身、30歳なので、一部研究者からすればまだ若輩です。なので、20代くらいの学部生や大学院生に対してのメッセージと思ってください。

"若手アドバンテージ"
30歳ごろになって感じるのは、「若手アドバンテージ」がちょっとずつ減ってきているということです。プラクティカルに申し上げると、申請できる公募の種類が減ってきたり、ポジションに応募しても他の若手が優先されたりといったことが出てきます。また、学会とかイベントに顔を出しても、「若いから」と可愛がっていろんな人を紹介してくれるようないい人がいなくなっていきます(もうあなたは若くないのだから、とサイレントに言われている気分です)。
じゃあ具体的に、「若者しかできないことってなんやねん」ということですが、こんな感じです。

  1. 時間:仕事を始めたり、結婚したり、子どもができたりすると、「自分の時間」が激減します。仕事だけで残業なしだとしても、1週間の168時間のうち40時間(8時間/日を5日)もなくなります。個人的に、仕事を始めて結婚もしていると、可処分時間が学生の頃の1-5%くらいになった肌感です。長いこと時間をかけないと到達できないことを、若いうちにたくさんやりましょう。

  2. 熱狂:社会人になると、責任が伴ってきます。あなたはもう、「株式会社〇〇」の社員(役員)です。アホになれるにも、限度ってものがあります。学生だから許されることもある。思いっきり叫んで、バカになりきりましょう。何かに熱狂する経験は何事にも変えられません。120時間連続で起床を続けて(18分だけ仮眠)やり切った学生団体の活動などは今でもいい思い出です。これはもう今ではできない。やり切れ。

  3. アクセス:学生だから・若者だから会ってくれる人がいます。若手だから、行ける場所があります。会社なり研究室見学もそうですし、物怖じせずに、有名YouTuberだろうが芸能人だろうが大学教授だろうが、いろんな人に会いにいくといいいでしょう。案外会ってくれるものです。

このように若いうちに様々な活動を通して、自身のキャリアを切り開くのがいいかと思います。アカデミアに限らず、です。アカデミアへ行く/行きたい人には、それなりの覚悟が必要なのも事実なので、よく考えて行動する方がいいと思います。安易に「夢」だけじゃ明日のメシが食えないこともあります。

記事を読んで興味を持ってくださった方・キャリア相談・対談などをされたいと思った方・質問してみたい方などがいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡ください。お待ちしております!最後までお付き合いくださりありがとうございました。

X: https://x.com/hayase_hakariya


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