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アメリカ大学院留学からバイオテック就職への道のり

Inspirna 武田修学

はじめに

 現在、総勢20人ほどの小さなバイオテック会社で癌の創薬研究をしています。今でこそ充実したと言える日々を過ごしていますが、ここに至るまでには紆余曲折がありました。その時々では最善を尽くしていたつもりですが、振り返ってみるともっとうまくできたかも...と思うことが多くあります。

 アメリカの製薬業界に興味がある人やバイオの分野でキャリアに悩んでいる人を念頭に、昔の自分にアドバイスをするような気持ちで書いていこうと思います。


アメリカ大学院留学を目指す

 大学では生物学を専攻したものの、進路には大いに迷いました。ゲノムプロジェクトの盛り上がりもあって、これからどんどん面白い発見がありそうだという予感はありましたが、当時国内の製薬会社や食品会社ではバイオ系の研究者はまだあまり採用しておらず、生物学を生業にしようと思ったらアカデミック一本しかないように思えました。そんなとき、「アメリカのベンチャーでは生物研究者もたくさん働いている!」と、とある記事で読みました。その記事を書いた、シリコンバレーでも活躍されていた方に、勇気を出してメールを送ったところ、顔を合わせてお話しできる機会をいただき、「アメリカで就職を目指すなら、絶対にアメリカの大学院でPhDを取った方がいい」と力強いアドバイスをもらい、これが留学を目指す大きなきっかけになりました。

 10校以上の大学に応募したのですが、結果1校を除き全滅でした。共通試験であるGRE・TOEFLは頑張ったのですが、実は重要な選考材料である志望動機書(Statement of purpose)と推薦状が疎かになってしまっており、低評価につながったのだと思っています。幸い唯一受け入れてもらえたのは中西部にあるWashington University in St. Louisという大学で、あまり名は知られていませんが、生物学の分野ではかなり質の高いPhD プログラムでした。

 なぜここだけ合格できたのかと言えば、中西部の学校は沿岸部に比べて人気がなく競争率が低かったからかもしれません。それよりもおそらく決め手になったのは、私の希望していた分野で活躍していたこの大学の教授が、たまたま日本の他大学に講演に来たとき、足を運んで会いに行き、Statement of purpose にも入学後その教授の元で研究したいとアピールしたことではないかと思います。私は普段かなり人見知りなのですが、ときどき行動的になれることがあり、そんなときは大体「自分を知る人がいないところでいくら恥をかいたって何も失うものはない」と自分に言い聞かせています。大学院受験でも就職活動でもそうでしたが、知り合いがいることや誰かの推薦があることが結構ウェイトの高い選考材料になるのがアメリカの特徴かもしれません。

大学院での就職活動は七転八倒

 大学院時代の前半は就職について考える暇はありませんでした。誰も知り合いのいない土地で英語もままならない中、課題は膨大な上に、TAやJournal Clubなど人前で発言しないといけない単位が多く、とにかく一日一日を生き延びるのに精一杯でした。落ちれば退学を迫られることもあるQualifying examをどうにかパスした3年目あたりから、ようやく将来について考える時間ができ、キャリア関連の情報を集めたりイベントに参加したりし始めました。

 その中でも自分にとって転機だったのは、CPPという会社が毎年開催している、海外にいる日本人研究者を対象としたキャリアセミナーでした。そこで初めて自己分析 というものを知り、能力がある研究者でも企業の事情に寄り添った自己PRができないと採用されないことも学びました。希望者は併せて日本企業の説明会と面接にも参加できる盛りだくさんのイベントなのですが、準備不足もあったとは言え、面接で本当に興味がなさそうにあしらわれたのが非常にショックで、そのショックを「負けるものか」に変換するまで相当の時間がかかりました。

 学生という身分を最も活かせる就職への近道は、インターンになって経験とコネを得ること。ところが、私の大学がある都市にはバイオ産業がほとんどなく、インターンをすることに指導教官からの理解も得られませんでした。また、私の大学院ではBioEnterprenershipのクラスがあり、企業活動への理解やネットワーキングのためにも受講したかったのですが、ここでも受講に必要な指導教官からの許可が得られませんでした。これには、指導教官が企業嫌いであったこともありますが、指導教官がまだ若く、少しでも研究を進めないと研究室の存続が危ぶまれるという事情もありました。とは言え学生の身にとっては、いろいろな面でその後の人生を大きく左右することですので、これから研究室を選ぶという読者の方は、すでにそこで研究しているメンバーから話を聞いたり、その研究室を出た人の進路を調べて、雰囲気や方針を把握してから選ぶことを強くおすすめします。

 学位取得前の年には、博士を対象とした日本の製薬会社の研究職の採用にオンラインで応募したのですが、どこも書類審査すら通りませんでした。ちょうどリーマンショックの頃で各社採用を絞っていたことや 、海外にいて説明会に出ることや先輩訪問ができなかったことが逆風になったのだと思うのですが、今から思えば海外にいる学生という特殊な立場を活かして個別に連絡して事情を説明したりなど、もっとできることはあったように思います。

 アメリカの製薬会社にもいくつか応募をしてみましたが、結局のところ大学院の間に企業の仕事を見つけることはできませんでした。企業が求める即戦力になる経験も足りませんでしたし、アメリカの企業で長く働くには就労ビザやグリーンカードが必要になりますが、同レベルのアメリカ人と比べてビザサポートを必要とする外国人は敬遠されがちだといった事情もあったようです。研究者としてまだ一人前でないという思いがあったこともあり、ポスドクに進んでDrug discoveryに近い分野で研究しつつ、グリーンカードの取得を目指すことに決めました。

ポスドクしながら就活準備

 さて、アメリカで就職するのにアメリカのPhDが必要かというとそんなことはなく、個人的にもポスドクからアメリカに移ってその後企業の研究職に就職した人を多く知っています。ただ、アメリカのPhDが就職への近道であることは間違いなく、私の場合もグリーンカードの取得や研究力の向上には大きな力となりました。

 私がポスドクとして過ごしたニューヨークのMSKCC (Memorial Sloan-Kettering Cancer Center)という研究所では、3年間働くと研究所付の弁護士を通してグリーンカードを申請できる制度がありました。5000ドルにものぼる弁護士費用を節約できる経済面と、悪い弁護士には当たらないだろうという確実性を考慮して、その弁護士に頼むことにしました。ところが、個人で雇う弁護士と違っておそらく研究所の弁護士は給料制で働いているため、多く働くだけ損と思っているのかやる気がないようで、一つ一つの手続きや書類確認が非常に遅く、電話で何度も催促してようやく進むといった感じで、最初に相談してから実際に申請するところまで一年近くかかってしまったのは大きな誤算でした。

 MSKCCにはキャリアセンターもあり、レジュメの添削や就職活動の相談に乗ってもらいました。そこの担当者さんはかなりスパルタで、まずはLinkedInで200人コネクションを作れと言われ、当然面識のある人だけでは全く足りなかったので、大学院やポスドク先の同窓生や知り合いの知り合い、果てはアメリカにいる日本人やアジア人というだけの共通点にかこつけて、頑張ってコネクションのお願いをしました。ちゃんとメッセージを書いたからか、意外に多くの人がコネクションをしてくれました。次の課題は、LinkedInのコネクションの中で志望業界で働いている人最低10人にinformational interviewをしろというもので、大変でしたが多くのアドバイスや励ましももらえ、モチベーション的にも非常に効果のある経験になりました。

 外部のキャリアセミナーやジョブフェアにも積極的に参加し、例えばSAPA (Sino-American Pharmaceutical Professionals Association)という、主に中国からの移民による製薬業界団体が毎年開催しているキャリアイベントでは、移民目線で文化の壁を超えるための心得を学ぶことができて、非常に役に立ちました。ジョブフェアに関しては、会社の宣伝の色が強く、結局会社の公式サイトから応募するように言われるので、個人的にはあまり役に立った印象はありません。

本格的にアプライ開始

 さてようやくグリーンカードも取得でき、本格的に職探しを始めました。製薬企業へ就職するのに一番有効なのは、企業内の誰かの推薦(referral)を受けて応募することです。研究室や大学院の直接の知り合いや先輩に頼めれば一番いいのですが、私にはなかなか頼める人がおらず、LinkedInで知り合った人にも頼んでみましたが、直接の知り合いではないためか、なかなか書類審査を突破することはできませんでした。

 これもまた有効なのは、リクルーター(転職エージェント)を通して応募することです。私は今企業にいるのでリクルーターから声をかけられることも多くなりましたが、ポスドクを対象とするリクルーターは数が少ないので、ポスドクの場合は自分から見つけにいかないといけません。私もLinkedInで何人かのリクルーターに電話面談をしてもらい、ポジションを紹介してもらいました。ただリクルーターは研究分野の専門知識があるわけではないので、私の場合はミスマッチで企業から断られることも多かったです。

 あとは地道に、企業の公式サイトやBioSpaceやIndeedなどのリクルートサイトでポジションを検索して応募しました。今は企業の中にいるのでよくわかりますが、企業は最初に応募があった候補者から選考しますので、ポストされて何日も経っているポジションに応募するのは効率的にも辞めた方がいいです。また、 たくさん応募するよりも、募集要件に合ったポジションに狙いを定め、レジュメやCover Letterでポジションに合ったPRをきっちりする方が通ります。

 そんなこんなで書類審査で落ちることを十数回か繰り返した頃から、何社か面接までたどり着けるようになりました。最終的には、MSKCCのキャリアセンターで募集のあった、今の会社のSenior Scientistのポジションに応募したところ、とんとん拍子に面接が通り、ようやく晴れて就職が決まりました。会社にMSKCC出身の人がいたので、優先的にMSKCCから募集をかけたということで、ラッキーなケースでした。面接では研究のプレゼンがあったのですが、英語での不利を覆すためスライドを分かりやすくデザインし、何度も練習したことが功を奏しました。1対1の面接では ”60 Seconds and You're Hired!” という本が非常に役に立ちましたので、おすすめです。

現在の仕事について

 私の働くInspirnaは、約10年前にロックフェラー大学での研究成果を基にできた会社で、創薬や治験を主に行なっており、製品としての医薬品はまだないのでBiotechを名乗っています。私の仕事は、実際の患者さんで行う治験より前の段階の薬の候補の評価全般で、薬の候補のスクリーニングやデザイン、細胞やマウスの癌モデルを使った抗癌活性の評価、薬がどう効くかのメカニズムの研究、安全性の評価まで、外部委託なども駆使しながらごく少人数のチームで回しています。会社には研究部門以外にも治験、製造、薬事、営業などのチームがありますが、会社自体が小さいので、全員の顔と名前を知っていますし、部門と部門の距離が非常に近いです。

 働いてみて思うインダストリーとアカデミックの大きな違いは、企業ではチームワークの比重が高いことです。スピードが大切なので手間のかかる実験はチームで分担しますし、治験や営業からの要望で実験をすることもあります。外部の会社に試験や製造を委託することが多いので、必然的に委託先の会社とリモート会議やメールでやりとりする時間が多くなります。前述したように元来人見知りなのですが、チームワークが仕事の鍵であると理解してからは、積極的にコミュニケーションを取るように心がけ、チームで共通の目標を達成することにやりがいを感じるようになりました。また、ワークライフバランスも抜群に良くなりましたし、子育て世代の同僚が多いためか、子供の事情で早退して続きは在宅でといったフレキシブルな働き方も応援してくれています。

 インダストリーでは数年で転職してステップアップしていく人が多く、私も当初はそのつもりだったのですが、今では携わっているプロジェクトや会社に愛着が湧き、もう数年ここで頑張ってみようと考えています。上を目指そうとすると、マネジメントやリーダーシップも磨かないといけないのですが、それをアメリカ育ちの若い子に対して発揮しないといけない状況に日々頭を悩ませています。



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