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海外でポスドク後、一旦日本に戻り再び海外でキャリアアップを目指す

現在フランス、CNRS(Centre national de la recherche scientifique、フランス国立科学研究センター)で研究員(CRCN: chargé de recherche de classe normale)をしております藤田智史と申します。私は日本(奈良先端科学技術大学院大学)で学位を取得した後、スイス(ローザンヌ大学)→日本(国立遺伝学研究所)→フランス(CNRS)と異動して現在に至ります。専門は植物の細胞生物学(顕微鏡を使って観察したことを分子レベルで説明しようとするのが主な仕事)です。

今回は「一度海外でのポスドクから帰国し、その後再び海外に戻った人」の視点から書いてほしいとの依頼を受けましたので、その経緯やその間心掛けていたこと、そして日本語であまり情報のないCNRSでの試験の情報などをシェアできればと思います。私個人の狭い経験に基づいて書いていますので、地理的・時期的にいろいろと異なった状況があるかと思いますがこの中の一文でもなにかの助けとなれば幸いです。

経歴

私は今のCNRSでの職を得るまで学位取得に4年半、ポスドクを約8年やりました。「この年齢(フランスに来た時点で36歳)になってもう一回外にでるなんてなんでまた?」と聞かれることもたびたびありますが、これは完全にたまたまです。日本国内だけでは自分の特性(完全にシングルタスク型の人間で体力もない)に合った職を見つけるのが難しいと思ったため国内外問わず私の特性に合いそうなポジションには応募するようにしていました。その結果、国内1件、台湾1件、フランスで2件面接する機会に恵まれ、最終的にフランスのCNRSで職を得ることができました。今になっては結果的に良かったとしかいうことができませんが、職につながったと思うことをいくつか書き出してみようと思います。

一番よかったと思うこと ポスドクの応募で挑戦した

2013年、色々あった末に学位が取れました。ポスドクをやってみたいと思っていたものの国内にすべきか海外にすべきか、海外に行くのは国内で実績をためてからの方がよいのか、ポスドクを公募していないラボにも問い合わせをしていいのか、そんな問い合わせを面識のない方にいきなりメールでしてもよいのか、問い合わせをする場合はそのラボの論文に大体目を通してからの方がよいのかなど、いろいろ考えすぎた結果実際行動を起こすのが学位取得後になってしまいました。幸運なことに指導教員であった橋本先生が約半年間ポスドクとして雇用してくださったので、その間に何とかなりました。

いろいろな方の経験談を聞き、海外を考えているならすぐ行くべき(学位取得後すぐでないと出せないフェローシップも多い、そして雇われる場合でも学位取得後の年数に制限がある場合も少なくない)、ポスドクを募集していないラボでも面識のない相手でもどんどんコンタクトをとるべき(これは行ってみたからわかったことですが、常にポスドクポジションに関して問い合わせを受ける研究室はわざわざ募集をかけないようです。もし公募をかけている場合でも日本まで情報が回ってくることが少ないようです。ですので、興味があるところにはとりあえず問い合わせてみるのがよいと思います。)、ざっと相手方の研究内容さえ知っていればメールは書けるので面接が決まれば全力でそこの論文を細かいところまで読めばよい、と経験者の方々からいろいろとアドバイスをいただいてとにかく出してみることにしました。論文を読む中で他の国の人達は日本人と論文の組み立て方が違う人が多いな、ということは感じていましたので、いわゆる「日本人的」な考え方以外も学びたいと思い海外に行ってみることを決意しました。問い合わせてうまくいかなくても何も失うものはないと思い、思い切って応募先は当時テニュアをとって間もないライジングスターの研究者に絞りました。また聞ける範囲でそのような方たちの評判もできるだけ聞きました。

実際のメールは次のようなことを心掛けて用意しました。まず最近学位を取ってポスドク先を探していること、相手方の研究に興味があること、そして博士課程での仕事に関する要約と持っている技術を簡潔に述べ、その記述をサポートするために自分が関わった論文のタイトルと雑誌名にリンクを加えました。そしてこれまでの自身の経験が応募先のラボにある技術とどのようなシナジーを生み出せると思っているかを書きました。最後に各種フェローシップ(海外学振など)にも応募する意志があること、そして将来的にどうなりたいかも述べ、詳しい経歴はCVを添付したので見てほしい、さらに詳しく話したいので面接の機会を頂きたい、という内容で締めるようにしました。

結局4人の方に問い合わせたのですがそのうちの3人の方に直接もしくはskypeで面接に応じていただけました。1対1で外部の方と1,2時間英語で話すというのは私にとっても初めてのことでしたが、たどたどしい英語をしゃべる初対面の私に皆さん真摯に対応してくださいました。また、応募先PIの全員から、「並行して他の相手ともどんどん交渉して、最終的に自分に一番合ってると思うポジションを選んでね」ということは強調されました。マナー違反と感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、このやり方で自分にとって一番いい選択ができたと思います。応募先の方の所属機関にもよりますが、推薦書を求められることがあります。私の場合は指導教員と副査の先生にお願いしました。どの応募先の先生も推薦書はきっちり読んでくださったようでその中に書いてあること、書いてないことに関しても質問されたりもしました。

何度かやり取りした結果、最終的にフランスのラボとスイスのラボからオファーを頂くことができました。どちらからも大変熱のこもったメールをいただきどちらにするか非常に悩んだのですがスイスのローザンヌ大学にあるNiko Geldner研究室に参加することに決めました。

私の場合はラボの構成員が決めるポイントとなりました。両方の研究室・研究科のホームページをチェックするとフランスのラボの方は90%以上がフランス人であった一方Nikoのラボの方は10人程度のラボに関わらず7-8か国からの出身者が在籍していました。自分にとってどちらがよいだろうと考えた結果、Nikoのラボに行った方が短期間で色々な価値観に巡り合えるのではないかと期待しました。さらに、それだけの多国籍だと英語が共通言語になっているだろうと思ったことも理由の一つでした。

後になって思ったことですが、ポスドクの面接は私にとって国外とのネットワーキングの第一歩であったように思います。私の場合はPIの方のみと話すことになりましたが、ラボによっては直接現地に呼んでくださることもあるみたいですし、PIの方に限らずラボメンバーや周囲の研究室の方々(次世代のPIの人達もその中には含まれます)にこの時なんらかの印象を残せばまわりまわって次につながってくることもあると思います。ポスドクを探すときの面接過程はPIをされている方々や次にその座を狙っている人達の時間を自分のためにとってもらえる非常に贅沢な時間であり、最終的にそのラボに行かない場合でも思いがけないところで出会ったり、評判がコミュニティの中で広まっていたりするので大事な過程だと思います

スイスでのポスドク時代

Nikoとの契約書に2013年の暮れにサインしたのち、今からなら5月開始が事務手続き的に現実的だと思うと連絡を頂きました(国によってこの期間はまちまちだと思います)。金銭的なことは何も考えずに海外へ行こうと決めたのですが、スイスの物価の高さなど全く考えたこともなく(有名なビックマック指数からすると日本が390円のところスイスは774円!https://ecodb.net/ranking/bigmac_index.html)、しかも最初の給料はついてから一か月先、家賃は?航空券いくらぐらいするんだっけ?今の家からの引っ越し代は?食費も聞くと学食が一食1200-1400円ぐらい!?と当時大混乱したことを覚えています。

落ち着いて色々考えた結果、私の場合一人で渡航費、最初の家賃、食費、諸経費などでおそらく60-70万円であろうと分かりそれまでの貯金でなんとか行けそうでした。橋本先生は3月末までであった契約を4月末までに伸ばしてくださり、金銭的な悩みも減りました。私は当時頭が回りませんでしたが、海外学振の時期を逃しても他に渡航を支援する奨学金もあるそうなので調べてみてください。

この移動が私にとっての初めてのヨーロッパでした。到着した後の半年間は、フェローシップの申請(海外学振とEMBOに出しましたが両方ダメ)、家探し、滞在許可証の申請、そして新しいラボの実験環境になれる、各種機器の使用申請などなど目まぐるしく過ぎていきほとんど何も記憶に残っていません。私は一人だったので、他の方に比べるとまだやることが少なくて楽だったと思いますがそれでもいっぱいいっぱいの日々でした。

その後結局ローザンヌに5年滞在しました。到着時にNikoと話して5年は雇えるから最初はラボに慣れるためにも前の人の残りを出版までもっていきつつ、その間に自分のテーマを考え・仕込みをして5年間で大きい仕事をするという戦略でどうだ?と提案を受けそれに従いました。私の分野では材料を作るために半年はかかることが多いので、最初の結果が出るまでにかなりの精神的負担になることが多く、このやり方は仕事を始めるうえで私にとっては非常に理に適ったものでした。また大体のことを自分で決めれた環境に身を置けたことは研究者としての自立性を養う上で非常にプラスになったと思います。今になって思いますが、研究者(特に指導側)として生きるうえで決断をいかに素早くできるかは欠かせない能力ですので良い訓練になりました。ローザンヌにいたころはあまりキャリアについて真剣に考えていなかったのですが、それでも先輩方から言われたことをできるだけ実践はしました。ひとつは「日本に帰ってきたときは必ずセミナーをする」、そして「来訪したゲストとできる限り1対1で話す」、そしてもう一つは「フェローシップ・賞など海外から応募できるものにトライしてみる」です。

スイスでのポスドクを始めたころ、学位をとった研究室の先輩に日本に帰ってくるたびに必ず一回はセミナーをすること、とアドバイスをもらいました。幸いなことに私がスイスでポスドクをしていたころには職を得たラボの先輩方が何人もいらしたこと、院生時代目をかけてくださった方々がいらしたこと、さらにスイスの同僚の日本の友人など使える縁はすべて使ってセミナーをお願いしました。これは日本でのさらなるネットワークを構築する上で非常に効果的であったと思います。いまでしたらzoomになってしまうかと思いますがセミナー後に話す時間が特に大事だったと感じます。これからも帰国時のセミナーは続けていきたいと思っていますので早く対面でのセミナーができるようになればと切に願います。

スイスに行く前、当時奈良先端大にいらした田坂昌生先生に「セミナーにきたゲストとは必ず話をするようにすること」とアドバイスされていました。所属部局では外部の方を招待してのセミナーがほぼ毎週開かれ、希望すればそれに前後してゲストと1対1で一時間程度話すことができました。ある程度結果がたまってからはできるだけ手をあげるようにして、普段気にしていない観点から外部の刺激を取り入れ続けることに努めました。時にはディスカッションをきっかけとして材料のやり取りが始まったり、相手の研究室にセミナーに伺ったりしたこともあります。ディスカッションに引き続いてディナーや場合によっては観光があり、そこではサイエンスの話題以外にもいろいろな話題に関してざっくばらんに話すこともできました。スポーツ、歴史、文化、政治そして少しのゴシップなど話題の引き出しが豊富な方が多く、仕事のことしか考えていない私にはとても良い刺激となりました。(そういった何も知らない分野の話題に英語でついていくことは大変骨が折れましたが。)

多くの公募では、研究費の取得状況などを記入することが求められます。海外にいると日本の科研費に応募することは基本的にできないので、基本的には他の方法を探ることになります。こういったときに他の人がとっていないフェローシップや何らかの賞をとっていればある程度目立つことができるかと思います。私は友人の勧めで井上科学財団の井上研究奨励賞(http://www.inoue-zaidan.or.jp/f-02.html)に応募しました。この賞は理工系を対象としていますが、博士論文に対して送られる賞で賞金もつきます。学会の賞などほかにもたくさんそのような機会はあると思うので是非探してみてください。

できなかったことも勿論あります。一番は「日本のコミュニティに顔を出す」ことでした。私の所属分野の場合、植物生理学会(3月)と植物学会(9月)が大きな学会なのですが、帰省時期とうまく折り合いがつかずスイスにいる間5年間は参加することができませんでした。帰省の度にセミナーをするようにはしていましたが、どちらかでも定期的に参加するようにしてアピールの機会をもっと持つようにしていれば職をとるチャンスが増えていたかもしれないと今になって思います。

帰国

スイスでのポスドクはやりたいことは何でもでき、非常に楽しかったのですがスイスの研究費(SNF)の制約上5年以上いることが難しかったため、最後の年は論文をまとめつつ、次の職を探さねば、ということになりました。もともと漠然と(特に根拠もなく)この職が終わったら日本に帰るんだろうなあと思っていたので4年目終わりぐらいから日本での職を探し始めたのですが、その時かなり焦りました。

契約が5年あるからとタカをくくっていたのですが、公募があまりに少なく(その年に出せそうな公募は3件でした)、ポスドクも出さないとこれはまずいと思いました。かといって、博士取得からずいぶん時間が経ってしまったので、国内学振も出すことができず、どうしようかと思っていたところ、静岡県の三島にある国立遺伝学研究所に年齢制限のないフェローシップ(https://www.nig.ac.jp/nig/ja/career-development/nigpostdoc、もしかすると年度ごとにリンクが変わってしまうかもしれません)があることを知り小田祥久先生にホストになっていただいて応募したところ無事採用していただけました。このおかげで科学者としてのキャリアをつなぐことができ、この間にスイスで終わっていなかった仕事を終わらせ行先を探す時間ができました。小田研では、「ラボのテーマに沿ってなくてもいいから自分のテーマを作っていって」と相当な自由をいただき独自のアイディアを膨らませることができました。また、植物科学以外のいろいろな分野に触れることができ考え方の幅を広げることができたと思います。とくに広海健名誉教授とお話しできる機会が何度かあったことが非常に思い出深く残っています。

帰国後

幸い遺伝研で研究員として雇っていただいたのですが、3年という任期に加え年齢も35になろうかというところでしたので、実験と並行して即就活を始めました。帰った直後は日本にのみ書類を出していましたがある時を境に国内にこだわらず海外にも出すことを決意しました。転換点になったのが、ある日メールで回ってきたフランスのINRAE(農業関係の研究所)での公募でした。この公募ではOlivier Hamantさんのグループでパーマネント研究員を探しているとのことで、募集を見たのちすぐに問い合わせメールを出し書類を準備しました。結局この公募の結果は補欠でポジションを得ることができなかったのですが、そこまで行けたことで海外の公募にだしてもいいんだ、と自信がつきました。日本に絞ると公募に出せるチャンスもあまり多くないと感じたため、チャンスを増やすためにも海外の公募にも挑戦しようと決心しました。

CNRSを受けることになったきっかけ

最後にあまりインターネット上で日本語の情報が見つからないCNRSのコンクール(https://www.dgdr.cnrs.fr/drhchercheurs/concoursch/default-en.htm)での経験について情報を共有できればと思います。英語では情報がいくつかありますので、興味のある方はそちらも参考にしていただければと思います(例えば以下のものがあります)。古い物も多いので最新の情報も必ずチェックしてくださいますようお願いします。
http://blitiri.blogspot.com/2013/01/cnrs-positions-tips-for-foreign.html
https://games-automata-play.github.io/blog/applying_cnrs/
https://www.universite-paris-saclay.fr/sites/default/files/media/2020-01/eobe_stic_2019_cnrs_0.pdf
https://a3nm.net/work/applications/

CNRSは、人文・社会科学、自然科学を網羅する研究機関(セクションの内訳はこのようになっています https://www.cnrs.fr/comitenational/sections/intitsec.php)で毎年各分野において研究者を「コンクール」により研究者をリクルートしています(日本での卓越研究員制度はこれをモデルにしていると言われています)。応募者、審査員がすべて公式に公表され、書類選考、そして非常に短い面接(私が応募したsection23ではプレゼン10分+質疑応答15分)があり、それですべてが決まります。結果もwebsiteを通じて正式に公表されます。応募資格に国籍・年齢の制限はないと書かれており、私の応募した植物科学領域(section23)では英語での応募も認められていました(おそらく多くの理系分野では英語での応募ができると思いますがご確認ください。)

挑戦する範囲を広げたもののなかなか職につながらない中で、フランス人の友人にCNRSを受けてみてはどうかと言われました。スイスにいたときこのコンクールに関してはちょっと聞いたことがあったのですが、ホスト研究者を探さねばならず自分には縁がないだろうと思って、ずっと見送っていました。その友人に紹介されたGregory Vertさんと話してみると彼のこれからの方向性と私のプロファイルはぴったり一致していました。

提出する書類の中でやはり重要になってくるのがこれまでの業績とホストラボでの研究計画です。二つのパートになっていますが決して独立したものでなく、これまでの業績は今後の計画を遂行する上で完璧な人材であることをサポートするように書く必要があります。さらにもう一つ重要になってくるのが「自己推薦書」パートです。はっきりはそのように書かれていませんがここはフランスの文化ではとても大事なようです。ホストラボとの相性、どのようなシナジーを生み出せるか、などをこれまでの業績にふれつつ具体的に書く必要があります。ページ制限はありませんが、ホストであったGregory Vertさんからは大体目安としてこれまでの業績10ページ、計画10ページ、自己推薦パート5ページ程度と言われましたので大体その分量を書きました(今のところ公式に分量の指定はありません)。

応募には様々な書類を準備する必要がありますが日本人が応募する上で少々厄介なものの一つが、博士論文の評価書を「できればフランス語に訳して」提出しなければならないことです。私の場合は、ギリギリになるまで翻訳を行ってくれる会社が見つからず自分で英語に翻訳して提出することも考えましたが、なんとか翻訳してくれる会社が見つかり事なきを得ました。専門の翻訳となるので少し手痛い出費でしたが、その分絶対通すというプレッシャーにもなりました。

書類をwebで提出後、1か月ほどしてから面接の通知がありました。面接はかなり特殊で、10分の間にこれまでの成果、これからの計画、そして将来展望を20人ほどの審査員の前で述べる必要があります。本来ならその10分の面接のために交通費自己負担でパリに呼ばれて行われるのですが、不幸中の幸いかコロナ禍のためzoomで行われました。面接のスライドは一つの図が箇条書きの一文に完全に対応するようかなり考え込み、セリフも直接的に響くようにできる限りの工夫をしました。審査員の方々は一週間にわたって一日に10以上のプレゼンを見るのでその中で効果的なアイキャッチをいれるなど印象に残るような工夫も必要だと思います。

質疑応答は15分の間にできるだけ多くの質問を引き出した方がよいとアドバイスを受けていたので30-60秒で答えられるように必死に訓練しました。加えて、答える時はできれば論文を引用しながら答えるようにとのアドバイスも受けました。本番では、審査委員20人のうち2人がメインの審査員となりその二人は申請書を読み込んできて、5分ずつ矢継ぎ早に質問を繰り出してきます。その後残りの5分で他の審査員の方がどんどん質問してきます。面接後に数えてみたところ15分のうちに15個質問を受けていました。質問の中には制度を知らないと答えられないものもあるので(具体的にどんな研究費の獲得を目指しているのか、など)ホストの方との綿密な打ち合わせが必要となります。

面接後、セクションごとの結果は割とすぐに出るのですが、それがCNRS本部の委員会で正式決定されるまで2か月近く待ちました。ほとんどの場合セクションごとの結果が尊重されるそうですが時折入れ替えがあるらしくその2か月は生きた心地がしませんでした。Offerが出てすぐ、そのofferを受けました。

これから

このポジション(CR)は1年の試用期間を経たのちパーマネントに転換されます。まだPIではないため完全に自由な裁量はありませんが、グループ内で協調しつつ自分の実験を長期的視点で進めることができます。これ以降のことはまだわかりませんが、数年後から昇進試験を受けることができるようです。そこでは研究業績に加え、学生の受け入れ、研究費取得状況などが考慮されると聞いています。まだまだ定年までに30年近くあるのでこれからどうなるかは全く不明ですが、せっかく掴んだ機会を活かしたいと思います。ここまでこれたのも、私の指導者となってくださった先生方や共同研究をしてくださった方々、そしてこれまでに出会ったたくさんの方々のおかげです。この方々の期待を裏切らないよう、日々精進してコミュニティに貢献していきたいと思っています。また、私がこんな生き方ができているのは家族の理解があってこそですが、自分で選択することが許されている状況にいるというのは大変幸せなことだと思います。

できるだけ具体的に書いたつもりですが状況は刻一刻とかわりどんな業種でも要求されるプロファイルは変わると思います。実際、院生のころも助教の公募要項を見たりしていましたがその時の多くに「海外での経験2年以上」と書かれていたように記憶しています(2010-2013年ごろの話です)。それを見ていたのも海外へ行こうと思った理由の一つでしたが、いざ日本のアカデミアで職探しを始めるとほとんどの要項からそのような記述はなくなっていました。このように時代によって職をとるために要求されるプロファイルはどんどん変わっていきます。しかしながら、時流が求めるもの以上にポスドクで海外に出たことで異なる研究スタイル(アイディアの出し方など)を身に着け、日本のネットワークとは独立したヨーロッパでのネットワークを形成したことは私の研究者人生にとって大きなプラスになったと思っています。これまでの私のキャリアはアカデミアでの実験・研究に大きく偏っていますが、そんな中でも地理的に一か所に依存しないようにできつつあることはこれからのキャリア形成をより良いものにできるのでは、と考えています。

ここに書いたこと・書いていないことに関してさらに詳しい情報が必要でしたらTwitter (@583original)などでご気軽にご連絡ください。

著者略歴 2007年に京都大学農学部応用生命科学科卒業後、奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科で博士前期・後期課程を修了。2013年にストレス条件下での植物の細胞骨格制御に関する研究で博士(バイオサイエンス)を取得(指導教員:橋本隆教授)。その後出身研究室で半年ほどポスドクをしたのち、スイス・ローザンヌ大学でポスドクを5年間(Niko Geldner研究室)、国立遺伝学研究所(小田祥久研究室)で2年半経験。2021年10月より現職。植物細胞がもつ微細構造物構築・維持に関わるシグナル伝達の研究を行っている。


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