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アメリカで独立ラボを持てたのは、ただあきらめなかったから

米国イリノイ大学医学部薬理学科 Assistant Professor
山田かおり

「科学者になりたい!」

 そう思ったのは中学3年の時でした。将来に漠然とした夢を抱きつつも社会を斜めに見ている生意気な年頃。科学者になるなら大学に行くべき、なんか科学者って都会にいそうな気がする、せやったら東京に行ったらえぇやん!となにも知らない田舎の娘は決意しますが、娘を地元に置いておきたい親は反対しました。東京行くんやったら東大しかあかんで、と。せやったら東大行こか、と決意した娘はそのまま東京に行き、なんだかんだで今や東京どころかアメリカに行って帰ってこないなんて当時の親は考えてもいなかったでしょう。

 科学者になるために、東大に進み、大学院に進み、修士取得後博士課程に進み、この間全く疑問を持たずに突き進んできました。ひょんなことから博士論文研究のためにはアメリカの共同研究先に行かなくてはいけない、と指導教官に言われ、相当の心理的抵抗を乗り越えてアメリカへ。シカゴのイリノイ大学医学部薬理学科でResearch Specialist、要はラボテクニシャンという、学生でもなくポスドクでもない立場で研究しました。この頃のお給料は本当に少なくて結構な貧乏生活を経験し、ボンビーガールを見るとトラウマがよみがえるので、見れないくらいです…

 博士号取得も一筋縄ではいかず、何度あきらめかけたかわからないのですが、詳細は割愛します。 

 博士号の研究はアメリカの共同研究先でやったとはいえ、所属はまだ日本の東大大学院にあったので、博士論文をまとめて博士論文審査のためだけに一時帰国、すぐまたアメリカに舞い戻って、ポスドクとして働き始めました。アメリカの研究室の環境が性に合っていたんでしょう。短いポスドク期間の後にResearch Assistant Professorという特任助教のような立ち位置で、キャリアに向けて動き始めました。この時所属したのが、薬理学科の学科長の研究室で、よさそうな若手をリクルートしてきては自分のところで育てるのが大好きな、やり手の老教授です。

「独立PIになりたいんだったらNIHのR01を取れ」

 それが学科長から出された条件でした。研究資金は民間財団や政府機関からの資金などいろいろあります。人件費や研究費に使える直接経費とは別に、政府機関からの資金の場合は少なくない額が間接経費として大学に入ります。民間財団からの資金では間接経費が少額もしくはゼロです。政府機関からの資金を取れる研究者が大学に重宝されるのは当然で、Assistant Professorとして独立するには、R01を一つ獲得する、もしくはCell、Nature、Science級のトップ誌に筆頭で2報以上というのが弊学の暗黙の条件でした。R01はNIH (アメリカ国立衛生研究所) からの研究費で、年間$250K (2600万円程)で5年の直接経費は1億3000万円程、加えて間接経費が7700万円程つく、独立PIが取るスタンダードな資金です。NSF (アメリカ国立科学財団) やDOD (アメリカ国防総省) からも大型資金が出ていますが、医学部で基礎研究をしている我々にはNIHのR01というのが錦の御旗です。

 もちろんそんなものいきなりとれるわけがありません。自分のテーマを手探りで構築し、データを集めながら、まずは若手用のキャリア推進用の研究費を狙います。NIHのKシリーズ、AHA (アメリカ心臓学会) のSDG (Scientist Development Grant) のどちらかが定番で、私はAHAのSDGを狙いました。1回めは不採択、2回目出しなおして採択されました。これで4年間、自分のお給料の半分を自分でまかない、研究費もほぼほぼカバーできます。
 では次R01と勢い込んでチャレンジするんですが、スコアは取れるものの採択はされませんでした。R01は下位50%はスコアもつかず、会議で議論もされません。初挑戦からスコアがついたので、上位50%、これは再投稿でいけるんでは、と学科長も先輩教授たちも色めき立ちますが、何度挑戦しても採択されません。内部のセミナーでは好評、学科長も気に入るプロジェクト、なのに何度出しても何度出しても何度出しても……。なまじっか教員はほぼ皆R01を取るNIHに強い学科ですので、R01を取らないものは人扱いされません。R01が条件なので他の民間財団に出すという逃げ道はありません。

「なんでかおりは取れないんだ?」と言われ、次第に見放され、何度も試行錯誤をして足掻いて……最後に自分のしたいことをやけくそで全力で吹っ切って書いたものが好スコアで採択され、ほぼ崖っぷちからの逆転で独立を果たしました。採択される研究費申請書の書き方はまだあと数回取ってからでないと語れませんし、趣旨が違うので割愛します。

「私は研究以外はできないので…」

 ここまでくるのに、何度も心が折れ、何度も病みかけ、他の道があるのかと何度も考えました。でもアカデミア以外の進路へ具体的に動いたことはありません。適正もあるでしょうし、研究以外ではポンコツと自己評価をしていましたので、企業には合わないだろうと。結果、ただずっとあきらめないでやってきたというだけで、今研究室を運営できています。

 PIにいざなってみて、自分の欲しい機材を集め、自分が一緒に働きたい人材を集め、だんだん形になってきて、自分達のプロジェクトについて一生懸命考えてくれるメンバーと議論をしていると、あぁなんて幸せなんだろうと思います。そして彼らをサポートするためにはひとつのR01 では当然足りず、また次、そして次とずっと取り続けなければいけません。前述したトップ誌掲載をもってPIになった同僚達も同様で、結局期間内にR01を取れないと研究室を維持できない、厳しい世界です。それでもこれを続けてやっていきたい、そうずっと思い続けているのは、中学生の頃から変わらず、なんらかの形で世界に貢献したかったからでした。NIHの研究資金は研究を通して人の健康を向上するプロジェクトを助成しています。病気の原因を解明したり治療法を開発したりすることに、なにか役に立てるとしたら、望外の喜びですし、これ以上の生きがいは私には考えられません。企業の視点から創薬に、という手も今から思えばアリなんですが、企業でやっていけなさそうなポンコツなので、私は私のやり方で、人の為になることをしていきたいと思っています。

 こんな平凡な私でもなんとかラボ持って独立できたんだから、つよつよPIの体験談で辟易している人にも、なにか励ましになるかと思って体験談を書くことにしました。ただあきらめなかっただけ、頑固でしつこかっただけかもしれないし、運もあったと思います。ただ、これからも、あきらめないでただやり続けることだけは確かだろうと思います。


そんな山田さんのラボ運営どたばた体験記はこちらへ。

女性研究者として女子学生からの疑問になんでも答えたインタビュー動画はこちら

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