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「あなたと話したい」〜昨年後半の、とても幸せな日々について。

1.出会ってしまった

音楽家である彼と出会ったのは、去年の夏のこと。彼は音楽にあかるい人たちや、ほんものの言葉や表現を好いているような人たちから一目置かれた存在で、彼の歌や彼じしんを慕う人々が、この世にはたくさんいる。

私は数年まえから、彼の音楽を聴きはじめた。通勤の車の中や、お風呂の中で。怖くなったり心穏やかになったりしながら、ほとんど毎日を彼の音楽とともに過ごした。そうしてとうとう、彼に会ってしまった。私の暮らす町に、彼が歌をうたいに来たのだった。

私は、彼の歌や、幸運にもその日、彼と交わすことができた言葉から、いのちの本質を教わった。それは私にとってものすごい体験で、その日から、心にある思いを体の内側におさめておくことができなくなった。
彼と会った日のできごとをすぐに言葉にして、インターネットに乗せて放った。大人だから、それなりに仕事や家事もやったけれど、そのあともしばらくは夢の中にいるような、ゆらゆらした心地で過ごした。

そして少しずつ、書きはじめた。

日々の中で感じること、心と体の奥から湧き上がってくる思いについて。ほんとうは誰かと分かち合いたい、でも簡単には分かってほしくない、まあ、どちらにしても身近に語り合える人がいない、そんな行き場のない感情たちを、私は書くことで外に出した。

誰のためでもなく私のために書く、それだけをルールにした。
インターネットに乗せることで、誰かの反応を気にしてしまう自分、が現れてぐらぐらする時もあった。けれど、自分のために書いたはずのものに「♡」をつけてくれる誰か、も現れて、それはおまけにしては大きすぎる幸せをくれた。あたたかな気持ちがふくらんで、まわりの景色はきらきらと輝いた。

2.恋文

夏が過ぎ、秋が過ぎた。

そのあいだ、私は趣味で習っている歌で、はじめてステージに立つという経験をした。彼の歌をうたわせてもらい、彼の作り手としての覚悟と、重ねてきた日々に思いをはせた。わずかでも彼の歌として存在できたかもしれない。そう感じられた時、よろこびと切なさが体をいっきに駆けめぐった。

彼と、話がしたい。

秋が終わる頃、私は手紙を書いて、彼のラジオ番組に送った。

歌をうたいはじめました。ステージであなたの歌をうたったんです。誰かに聴いてもらえるって幸せですね。あなたの優しさ、ちゃんと伝わってます。あなたの思いを聞かせてくださいー。

そんな直球な書き方はしなかったけれど、いろいろと綴っていたらかなりの長文になり、すっかりラジオに不向きなお便り、になってしまった。
後輩に手紙を送ったことを打ち明けると、「紹介されなくてもきっと全部読んでくれてますよ」と言ってもらえて、ほんとうにそうだ、私より彼のこと分かってるじゃん、と感心した。たとえ届かなかったとしても、私は素直な、ありのままの私で彼と話したいなと思った。だって彼は、まっすぐに向き合いたい、大切な人だから。

冬になった。せわしい年末が来た。

手紙を送ってから、2回オンエアがあったけれど、私の手紙は読まれなかった。

3.返事

年内最後の放送は、「レギュラーコーナーの総集編をやります」と予告されていた。

夜、ご飯とお風呂をすませ、部屋に小さなライトをひとつ付けると、ソファーにはぁ〜っと寝ころんだ。
流れはじめたラジオ放送。彼の声はいつもに増して優しくて、ぽぅっと微熱を灯しているみたいだった。

「夢は うかうかしてると 夢は 叶うから」

流れた曲の歌詞が、ツン、と私をつつく。

彼のフラットな語り口が好きだった。なにかについて語るとき、必要以上に言葉を膨らますことも、足りないままで放置することもしない。いつも、世の中を一歩引いたところから眺めていて、なるべくあらゆる人に伝わるように、誰かを傷つけることがないように、そんな気持ちで選ばれた言葉だと分かった。やわらかな中に芯がある、ふくよかな声がいちばん好きだった。

その時、思いもよらないことが起きた。
彼の声が、私の名前を呼んだのだ。

わっ。
びっくりして、声が出なかった。けれど、心のどこかで、やっぱりちゃんと届いた、そう思う私もいた。

彼はゆっくりとていねいに、私の手紙を読んだ。手紙は、「長いよ!」と自分でもつっこみを入れたくなるほど長かったけれど、彼はひとつもこぼさずに、私の言葉をたどった。彼の声で聞いても、私の言葉は私でしかなく、幼くて、まっすぐで、空想が好きな子どもの顔をしていた。

そして私に、思い切り真正面から返事をした。自分を慕うファンへ向ける、まなざしについて。どんな気持ちで歌っているのか。それらは思いつきではなく、いつもそう思っている、というものだった。
くもりのない彼の心を、これ以上ないほどたくさん受けとって、私はほくほくした気持ちで満たされた。幸せで、幸せで、ほんとうに幸せだった。

私と、私と同じ彼を慕うたくさんの人々に向けられた声の、あたたかさと優しさよ。彼を交えた全員がつながって、ひとつの共同体をなしている。その感覚を味わいながら、私はただただ、気持ちがよかった。

4.幸せはつづく

彼に返事をもらって、それでいい、と言われている気がした。誰に言われているのかは分からないけれど、思いのままに生きなさいというメッセージだと思った。半年まえ、彼に会って、ほんとうの自分の望みを受け入れ、自分を幸せにするためにひとつずつ歩みを進めてきたこと。そして私が、私のままで生きること。これからもそれでいい。そのままでいい。そう、言われているのだと思った。

私は、スマートフォンのアプリでもう一度ラジオ音源を流し、今はもう使っていない別のスマホで、息をひそめながら録音をした。個人で使う範ちゅうだから許して、と思いつつ、「すごいことが起こったよ!」と、お便り部分だけ短く編集した音源を、友人たちに送った。

夏に彼のライブに一緒に行ってくれた友人、彼なら全部読むはずと言ってくれた後輩、音楽が好きで彼の音楽いいよねえと語り合う20年来の友人、この数年の激動の日々をともに励まし合って生きてきた母、誰よりも繊細で優しくて批評家みたいな目を持つ妹…。みんな、とても驚き、よろこんでくれた。

私が幸せでいると、みんなが幸せになる。ならば、私はただ、幸せでいればいいんだな。それだけのことなんだな。そう思った。


歌をうたったり、思いを文章にして放ったりする時が、今はいちばん楽しい。だから、それをしようと思う。そしてこの先、別のことをしたくなったら、別のことをする。途中で道に迷った時は、私に聴いてみよう。今、何をしたいの? 楽しそうだなと思うのはどっち?と。

ラジオで彼が最後にかけてくれた曲を、次は歌いたいな。
私の好きなジョニ・ミッチェルのRiver。サブスクで聴けるからと、たくさん持っていたCDはずいぶん前に処分してしまったのだけれど、この曲が入っているBLUEというアルバムは手元に残してあった。好きな人が同じ音楽を支えにしているなんて、最高にきゅん、だよ。

上がったり、下がったり、厄介な毎日はつづく。くたびれてしまった時には、ラジオ音源を流し、私の名前をなぞる彼の声を聴く。そして、私を取り戻す。いろいろなことがあるから、もう何回聴いたか分からないけれど、彼にもらったギフトのおかげで、この先もなんとかやっていけそうだ。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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