手帳を書くことを趣味にしてる人って、いいよね
こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。
いやぁ〜9月ですね。
本当は今月もうちょっとnote書きたい気持ちあったんだけど、なにせピーチスノウが楽しすぎてそっちにばかり気持ちがいきすぎて、全然ものを書く方にエネルギー注いでなかった。(ピーチスノウって何じゃ?という方もいると思うのでさらっと説明すると、推命学と色彩心理学で自分のことを知って人生を楽しみ尽くそうとする学問のことです)(私の解釈)
一方で手帳はちゃんと書いてて、手帳書くの楽しいアピールをせずに一人でニタニタしてる感じの日々を送っております。(ニヤニヤじゃなくてニタニタっていうと急に気持ち悪いな笑)
手帳についてのnoteはマガジンにまとめているので、こちらからどうぞ。
9月には毎年、手帳会議的なものをして来年の手帳に思いを馳せる時間を作っていたけれど、今年はまだあんまりしていません。うっすらと考えてるくらい。
それよりやっぱ「手帳に何を書くのか」についての考察を深めている感じで、それが楽しい。いわゆる「自己分析」的なことでしょうか。
8月に書いた「不機嫌にならないための方法を手帳から読み解く」にて、「生まれつきポジティブな人がいるとしたら、私はポジティブになろうともがいてきた人で〜」みたいなことを書きました。
その視点に「手帳に文字をたくさん書く」というテーマを当てはめて語るとすると
「手帳に文字をたくさん書く努力をしてきた人」がいるとするならば、私はおそらく「頑張らずとも、手帳に文字をたくさん書く才能がある人」だな、と思います。(自分で言う)(拭いきれぬ偉そう感)
この世に生まれつきポジティブな人がいるかもしれないように、この世にはたぶん、生まれつき書くことが得意で、手帳に何を書くのかなんていちいち考えなくてもするすると手帳を書ける人もいる。
…そう、私のように。(一度拭いとった偉そう感を再び自分の手でなすりつける作業)
だからこそ、「どうしてそんなに書くことがあるんですか」「どうしたらそんなにみちみちに手帳を書けますか」という問いを頂いてはじめて、「どうしてだろう」と考えるのだと思う。
私にとっては書くことが当たり前すぎて、メモを取ることが当たり前すぎて、いちいち考えて書いてなかったし、「ただ書きたいから」というそれだけの事なのかもしれない。
でも、「書きたいから」の更に奥の奥にはもっといろんな感情があるし、そこを言語化して書いていく楽しさもまた、手帳にはあると思います。
もし「手帳に書くことがない」と思うのであれば、「なぜ書くことがないのか」を書くことにしたら良いしね。
で、そんな手帳をもりもりと書く中で今日は突然「手帳を趣味にしてる人って、なんか良いな」と思ったので、そんなお話です。
長ったらしく書くけど、今日のお話に深い分析がある訳ではなく、つまりは「へぇ」で終わるお話です。(読む前にそんなこと言われたら読みたくなくなるべ)(さぁどうぞ)
日々や自分と向き合う生き方
私は、「手帳を趣味にしている人」が好きです。(う、うん)
SNSに手帳をアップしているか、そうでないかというところは別として「手帳を書く習慣がある」という人を魅力的に思いがちなところがある。
もちろん手帳を使う目的は人それぞれなので、目指すゴールは違うとしても、手帳を趣味にしている人達はどこか「日々に、自分に、向き合おうとする姿勢がある」ように感じるのです。
スケジュール管理的な使い方だけしている人も、日記っぽい使い方をしている人も、どちらにせよ「なんとなく、何かが改善したり好転したり良い感じになれば良いな」って思っているから使っていることが多いし
過去でも、今でも、未来でも、視線の先は人それぞれ違っても、どこか「向き合うぞ」という気持ちを感じるのです。自覚はなくても。
「今日は〇〇をした」って自分にメッセージ残そうとするところがなんか良いし、そんな風に生きる人の人生が少しでも面白くなれば良いなぁと思う。そういう魔法かけてあげたい。(まずは魔法使いになるところからかな)
書けない時があっても良いし、なりたい自分とかけ離れた事を書いてしまう時もあるだろうけど
それがまるっと今の自分なのだ!と肯定するきっかけをくれる存在でもあると思う。手帳は。(手帳というかまぁ手帳を使う自分なのだけど、手帳を擬人化した方がわかりやすいからそうしてる)
精神的に自立している
精神的自立、を「自分の行動を自分で考えて決められること」とすると、手帳を書いている人はこれが比較的できる人が多いし、そうありたいと思っている場合が多い気がします。
誰かに依存するのではなく、自分で未来を作りたい!みたいな気持ちというか。
未来を作るというとなんか壮大に聞こえがちだけど、「明日はこれしたいな」と思ってそれをする、とかそういう軽めのことも含めて、です。
例えば私で言えば、昔は自分の気分の上がり下がりを自覚できず、気分が下がっている時何の対策もせずに誰か(ほぼ旦那さん笑)へ八つ当たりすることもあったけれど
今は、気分下がってる→朝ごはん抜いたからお腹空いて落ちてるのかな?→電車に乗る前に大好きなおにぎり屋さんへ行って軽く食べてから行こう→食べたら気分上昇
みたいな事がやっとできるようになりました。(これができるようになったのはピーチスノウのおかげ、、、)
自分の機嫌を自分でとる、ということは当たり前なようで難しので、少しずつ振り返りながら、できるようになっていきたい。
で、手帳を書いている人たちにはそういうマインドをどこか秘めている方が多いのでは?と思っています。
なんか知らんけど楽しそう
これに関しては全員ではないけど(あそうなの)、ほぼ日手帳とかジブン手帳とかトラベラーズダイアリーとか、世界観強めの手帳(どういうまとめ方よ)を使ってる方の使い方が載ってるガイドブックなんかを読むと、よく思います。
手帳を通して人生を楽しもうとしてるというか、味わおうとしてる感じがあって、すごく良いなぁ〜と思います。
私がほぼ日手帳を使おうと思ったきっかけも、ガイドブックでした。
「ここに載ってる人たちの暮らし、面白そう!こんな風に日々を面白がりたいし、この手帳を使ったら私もそうなれるんだ!」という気持ちをもったあの日からほぼ日手帳カズンを使い続けて、もうすぐ10年になります。
まぁ年齢とかもあるけど、手帳をしっかり使った10年とその前の10年を比べたら、間違いなく使った10年の方が濃かったし、楽しかった。
SNSでも、自分なりの楽しみ方を紹介している方がたくさんいて、本当に良い文化だなと思います。
中には、SNSで誰でも知らない人の手帳の中身を見れるようになってから、綺麗に書かなくちゃ!と思ってしまう人もいるだろうけど
他人の人生と自分の人生を比べようとするのがそもそも不可能な話なので、「へぇ、素敵!」というくらいの受け取り方が一番良いのだと思う。
手帳術とかタスク管理が好きな人はそういうのを見れば良いし、遊び系手帳が好きな人はそういう人から影響を頂けば良いし
何でもいいけどとにかく文字がかわいい人の手帳を見るのが好きな私みたいな人は、「あ〜字かわい。楽しそう。」とほかほかすれば良いし。
昔は、階段状になってるタイプの大学の講義室の上の席から下の席の人の手帳の中身を覗くぐらいしか人の手帳を覗く機会がなかったのが
今や、頼んでないのに勝手に手帳の中身どんどん見せてくれて、ありがとうございま〜す!という気持ちです。(言い方なんとかして)
私も、頼まれてもないのにSNSに手帳を公開してる人の一人です。いつまでやるかはわかりません。(えっ)
とにかく!!!手帳を書くことを趣味にしてる人って、なんかいいよね。
ってお話でした。
読んでくれた人、ありがとう!!
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