ある種の夢のタイムリミットについて
「おおきくなったらおかあさんにおうちをかってあげたい」
それがわたしのこどものころの夢。
ちいさなこどものころ、
わたしたち家族は狭く古い賃貸の住宅に暮していました。
ほかの同級生の子の家と比べると
我が家の経済状況はやや劣るということは
子どもながらに理解していましたが
そのことでわたし自身は特別いやな思いをしたことはなかったので、あまり気にしていませんでした。
「家を買いたい」
と母が言っているのを聞いていた幼い頃のわたしは
おとなになったら自分が買ってあげよう、
と考えましたが
お金をためるとか、不動産の価格を調べるとか
具体的に行動したはわけではなく
「ケーキ屋さんになりたい」とか
「お花屋さんになりたい」とか
そういうレベルで、ただなんとなくぼんやりと
「おかあさんにおうちをかってあげたい」
って思っていただけ。
その後、我が家の経済状況は悪化し
わたしが高校生の頃に本気のピンチになり
家族の収入を増やすために
わたしは15歳で古着の買い付けと販売をはじめ、
16歳で実店舗を開業しました。
高校と専門学校を昼間ふつうに通いながら働いて
事業を拡大し、順調に収入を増やしました。
就活も就職もせず
高校生の時に起業した事業をそのまま専業にしただけ
既に5年の経験があったけど一応社会人一年生。
学生兼古着屋のときは
稼いだお金をすべて母親にわたしていたので
収入はぜんぜん把握していませんでしたが
ビジネスは順調でそこそこの収益をあげていました。
わたしが専門学校を卒業した年に母親が
「家を買いたい」
と今度はわたしに言ってくれました。
「いいよ。買えば?」
社会人一年生のわたしは
こどものころの夢を素っ気なく叶えました。
〜☆
2019年
現在のわたしにはとてもこんな経済力はなく
プレゼントを送りたくても
母は生きていません。
いまからいくらがんばっても
いくら稼いでも
あの時でなければ叶えられなかった。
こどものころの夢
早めに叶えてくれてありがとうね。自分。
結局
わたしと母がこの家に一緒に住んだのは
母の病気が悪化して、
住み込んで介護をするようになってから死亡するまでの半年間だけ。
わたしは仕事で家族を経済的に支え
十分な親孝行をしたつもりになっていたけど
それでも母の病気があれほど悪くなる前に
一緒に住んで支えてあげればよかったかな、
なんて思います。
人それぞれいろんな家庭があり事情があるので
親子の関係に正解なんてありません。
社会人一年生のわたしが叶えたのは
自分自身の夢であって
それ以外のなにものでもありません。
ましてや親孝行なんて立派なものではなかったと
母が亡くなるまで気づけませんでした。
若い時は時間が無限にあって、
未来は手付かずでまるまる残っているように感じるものですが
ある種の夢にはタイムリミットがあるということを
伝えたくて。
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