22歳で激戦区・渋谷に古着屋をオープンした理由
どこか別の場所でお店はじめよう。
1998年に文化服装学院を卒業したわたしは、開業したエリア以外の場所でもお店をはじめてみたくなり、場所をさがしはじめます。
ここじゃないところだったらどこでもよかったので、
関東一円なんとなく名前くらいは聞いたことのある街にてきとうに訪れ、その街の洋服屋さん、古着屋さんなどをリサーチしながらウロウロ歩きまわり、
【テナント募集】の張り紙を見つければ問い合わせたり、実際に不動産屋さんを訪ねたりして家賃相場を把握したり、情報収集する日々を1年くらい続けました。
で、
結局
渋谷に出店します。
他にも候補に挙げていた街はあったのですが、
気に入った物件がたまたま渋谷でみつかっちゃったので、決めました。
けっこう適当な気持ちで
激戦区に出店します。
場所は、明治通りとキャットストリートの交わるあたりのテナントビルの6階。
家賃と管理費等で35万円くらい。保証金が6ヶ月だったと思います。礼金や前家賃、不動産会社への仲介手数料など、なんだかんだで店舗の取得に約300万円。
いまならもうちょっと安く借りられるんじゃないかな?1999年の渋谷は今よりも相場高かったような気がします。
この時わたしは22歳
古着屋をはじめて6年
学校を卒業して専業となって1年目
仕事は順調で、はっきり言って調子に乗ってました。
この出店計画はわたしがやりたかったことではあるのですが、もう一つ別の目的があったのです。
わたしが商売をはじめたばかりの頃、
タダ同然のやりがい搾取で手伝ってもらっていた当時中学生の男子二人組がいたんです。
彼らは高校卒業するまで手伝ってくれていて、そのうち一人は高校卒業のタイミングで従業員として正式に入ってもらったのですが、その時わたしには二人雇う力がなく、
「すぐに事業を大きくして迎えるから少しだけ待っていてほしい」
ともう一人に約束しました。
この約束を果たす為に、もう1店舗必要だったのです。
文化服装学院に通いながら店舗を拡大し、順調に売り上げを伸ばしました。
学校を卒業し、時間にも余裕ができたので次の出店を計画、物件探しの段階で彼を呼び戻します。
しらない街をウロウロするのに同行してもらったりもしました。
そして渋谷のテナントビルに決まり、
本契約した直後、
彼と音信不通になります。
街でなんとなく知り合って以来、ずっと付いてきて手伝ってくれた後輩に愛想つかされるほど、
わたしはいつのまにか人間的な魅力を損なっていたのかと思うと情けなくなり、落ち込み、体調をくずしました。
契約した渋谷のお店はなにも手をつけられないまま数ヶ月家賃だけを払い続け、
病院いったり薬飲んだりいい空気吸いにいったりして
復活。
音信不通になった本当の理由はわからないままですが
気持ちを切り替え
すぐに内装に着手して1999年11月にオープン。
働いてもらうはずの人がいなくなったので、
ついに毎日わたしが店頭に立つことになります。
〜
このお店はデザイナーズブランド古着の専門店として、
1999年冬〜2010年春まで丸10年と数ヶ月営業しました。
22歳でオープンして33歳まで
わたしにとっていまのところ、もっとも長く続けたお店です。
お店のことも、プライベートも
充実した素晴らしい10年間でした。
なぜか店内の写真が一枚も残っていないのですが
今もはっきりと思い出すことができます。
この時のお客様の中には今でも来てくださっている方が何人もいらっしゃいます。
ほんとうにうれしいです。
これからの10年をこの時の10年より素敵なものにするのは非常に困難かとおもいますが、
わたしはそれを実現するつもりでいます。
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