マガジンのカバー画像

裏垢小説

12
かのん、シノミヤ、ゆめ子、人妻つー 4人の裏垢女子のお話。連載中。 ※フィクションです
運営しているクリエイター

記事一覧

幕間~裏垢~ かのんの場合

 人は人生のうちで、何度セックスをするんだろう。そんなことを考えていたら、トイレに立った彼があっという間に戻ってきた。グラスがもうすぐ空きそうだから、もう一杯ハイボールを頼んでおこうと思ったのに。気の利く女を演出したいという私の気持ちは儚くも無残に砕け散り、私はせめてと笑顔を作る。「何飲みますか?」そう言いながらメニューを渡すと、彼は「いや」と小さく言い淀んでから、私を見た。 「そろそろ、行こうか」  店員さんに会計をお願いする彼の姿を見ていたら、なんともいたたまれない気分に

幕間~裏垢~ ゆめ子の場合

 どうしてその仕事をしていたのかなんて、今はもう覚えていない。ただなんとなく、ラクにお金が稼げると思った。それだけ。でも、喫煙所で偶然会った彼は私を憐れんで言ったんだ。 「人の温もりって、知ってる?」  私、どうしてあの時思わなかったんだろう。ああ、うるせぇなぁ、って。 ・  私はその日も、指名客の予約と予約の合間に煙草を吸った。待機所の裏口から出たすぐのところ、非常階段の踊り場。そこだけが、唯一私が私でいられる場所で、そこから見下ろすうるさいネオンに、私は少しだけ自信を

幕間~裏垢~ 人妻つーの場合

 浮気を疑うのは、浮気をする人間だけよ。母は、小学生の娘にそんなことを言うような人だった。父は厳格な人で、母の外出さえ許さないような人で、そのくせ自分は外で女と遊び歩いていた。  浮気を疑うのは浮気をする人間だけよ。だから、あなたは浮気を疑わない人を選びなさい。あなたを疑ってこない人を選びなさい。  繰り返し繰り返し、何度も言い聞かされているうちに、私は浮気を疑わない人しか選べなくなった。私の付き合う人はいつも、真面目で、真っ直ぐで、平凡だった。  母は私が大学生の時、四十七

幕間~裏垢~ シノミヤの場合

「私、セックス依存症なの」  大学時代、真摯に告白してきてくれた人がいたので私も真摯に対応しおうとそう告げてみたところ、彼は眉根を寄せて、クエスチョンマークみたいな表情を浮かべた。 「だから、彼氏になったら毎日セックスしてもらえないと困るし、もし一日でも休まれたら私は別の男とセックスするけど、それでもいいなら付き合いましょう」  その子は、クエスチョンマークの顔をしたまま「大丈夫! 俺、藤井さんのこと好きだから!」と何の根拠にもならない理由と共に快活な返事を寄越してきたので、

裏で花咲く 開演『種』①

 Twitterを見るのにも飽きて、私は2本目のタバコに火をつけた。今日は5人相手をするから、と指折り数えて計算をする。60分が3本で2万7000円でしょ、90分が2本で……ああダメだ、よくわかんなくなった。  身を削ってる割には少なくないかと思った時期もあったけど、これが私の値段なんだと理解するようになってからは随分心持ちがラクになった。別段安くもないし、高くもない。全国共通の、女の値段。そして、私はこの値段で買われるために、またここへ戻ってきてしまった。  非常階段から見

裏で花咲く 開演『種』②

「シノミヤさん?」  それが自分の名前だと気づくのに、時間がかかった。もう一度繰り返され、そうだった私はその名前でTwitterをやってるんだったと思い出す。 「はい、シノミヤです」 「ああよかった。違ったらどうしようかと思った。Jです。どうも」  いつもだったら、待ってる間に相手のTwitterを遡って話題の一つでも探しておくのに、今日はそれを忘れてしまった。それもこれも、彼がいきなり現れたのがいけないんだと、全ての責任を篠宮くんのせいにする。篠宮くんは、私の大学時代の元カ

裏で花咲く 開演『種』③

 彼がいつ何時、どんなツイートをしていたか、私はすぐに答えることができると思う。なんなら何にファボをして、誰にどんなリプをしていたかだって答えられる。Twitterを覗いている時間のほとんどで私は彼のホーム画面を開いているし、何度も何度も繰り返し彼のタイムラインをスクロールしているから、時折自分のツイートが彼の口調に似てしまって困る。多分、ツイートしている本人よりも見ているのって、私くらいじゃないだろうか。いやでももしかしたら、彼のことだから、他にも信者がいるのかもしれない。

裏で花咲く 開演『種』④

 子供を愛しているか否かと問われれば、絶対に答えはイエスだ。私は我が子を愛している。ただちょっと、愛情表現の仕方が難しくてわからないだけ。絶対それだけ。 ・ 「うーん、特に悪いところはないですね。風邪かなぁ」  行きつけの小児科で、いつもの先生はそう言いながら首を傾げた。病院の先生なのに首を傾げながら診断を下していいのかと思うけれど、この地域で一番評判がいい小児科の先生がそう言うなら間違いないんだろうと息をつく。  一樹が定期的に熱を出すようになって、もうすぐ一か月になる

裏で花咲く 第一幕『芽』①

 私は、女子会というものがあまり得意ではない。女友達がいないわけではないし、今までも割と上手くその場をくぐりぬけてきた自負はあるけれど、女ばかりで集まると、次第に主語が『私』でも『あなた』でもなく第三者になるのが女子会の特徴で、わざわざ時間を割いて対面している相手にすら興味が持てないなら会合を開くのなんてやめたらいいのにと常々思っていた。だから今日、私がこうして女子会に向かっているのは多分気の迷いだ。気の迷いと、ちょっとした好奇心。裏垢女子と呼ばれる類の女性たちはどういう人た

裏で花咲く 第一幕『芽』②

「藤井さーん」  名前を呼ばれて振り返ると、ディレクターの小牟田さんが紙の束を持ってやって来た。 「ごめんこれ、請求書なんだけど。月末に出すの忘れちゃって。なんとかなる?」  悪びれない素振りで、私にそれを差し出してくる。この人たちはいつもいつも、どうして期限を守らないんだろうと思いつつ、私は笑顔で頷いた。 「了解です。なんとかしときます」  向きも大きさもバラバラの請求書をトントンと机で整えて、一枚ずつ内容を確認していく。  いわゆるベンチャー企業でスキルアップを目指したい

裏で花咲く 第一幕『芽』③

 Jが既読にならない。新宿へ向かう電車の中で、私は何度目かのため息をついた。「次いつ会える?」の二日後に、「今週の土曜日は? その日なら、旦那が子供見ててくれるって言うから」。そのどちらもスルー。華麗なるスルー。既読ならまだしも未読。これは完全なる意図的、重罪であります。  ガタン、と電車が揺れて、つい癖でベビーカーを庇おうとしてしまったけれど、そうだった、今日は二葉も一樹もいないんだったと私の右手が宙を掻く。普段あんなにも一人になりたい一人になりたいと思っているのに、いざ一

裏で花咲く 第一幕『芽』④

 冬はあまり好きじゃない。服を着込めば着込むほど、私というものが隠されていくようで、世間から隔離されていくようで、誰が何を言っていたって、その分厚い上着の中までは見えないと思ってしまうから。  この国の正装が素っ裸だったら、あるいは私は、もっと生きやすかったのかもしれない。 ・ 「それ、こっそり俺にだけ聞かせてくれない?」  小野寺陸からのリプを前にして、私はなんて返信しようか考えていた。多分、考えてたのはものの30秒程度。だけど私にはその時間が途方もない長さに思えたし、