動機があれば続けられます。だからそのためには…
そういえば自分は、トルコ語について世の人々にどういうアピールをしていたんだっけと思って記事を見返しましたら、最近書いたもので比較的よく読んでもらえたのはこの記事のようでした。
うーん。我ながらいいことを書いておる(ような気がします)。自画自賛していてもしょうがないですが。
偽らざる心境を書いていますし、実際なんだかんだいいながらトルコとトルコ語にはずいぶん食わせてもらっているわけで、そこからの派生で世の中に対する視点なり接し方なりを身につけることができたという考えはもちろん今も変わりません。
トルコ語ができたらカッコいいよね、という誘い方も悪くないでしょうし、緊迫した世界情勢の中でひときわ存在感を発揮しているのがトルコ、そのトルコで公用語として使用されているトルコ語の重要性たるや…みたいな、堅めな誘い文句も時と場合によっては有効でしょう。母語話者の数で選びたい方にとっても、トルコ語母語話者は1億人に届こうかというほどの多さ。その点でもなかなかの大言語だと主張しても嘘ではありませんしね。
まあしかし、これらの売り文句はいずれも、「ほかの言語でもそうだよね」の一言でしぼんでしまいそうではあります。それに、自分が経験したトルコ、トルコ語というのは個人的・限定的なものでしかないというそもそもの弱さもあります。
そんなわけで、必要があってトルコ語を他人に勧めないといけない…となったときに、どういうセールストークをするかというのはいつも悩ましいところでもあります。
上記の雑文は今年の春ごろ、新学期を迎える人たちが多いであろうという時期にあえて自分の話に落とし込んで書いてみた「誘い文」の試みという位置づけです。
ところで、トルコ語をやっている意味ってなんだったっけということは、25年以上関わっている今でも悩んだりします。オレ、本当にこの言語のこと好きなんだっけ?という素朴な疑念にかられる瞬間は今でも当たり前のように襲ってくるのですよね。
そんなときに目先を変えてテュルク系ではない外国語に手を出してみたり、自分の近しい人がトルコに行ってきて楽しかった、トルコ語を話してみたら通じたからうれしかった、という話をうかがってわがことのように喜んだり。
そういった小さな「成果」を受け取って、ああよかったと思うことの積み重ねで、やっぱりトルコ語からは簡単に離れられないなということを再確認しているんだな自分は、と感じます(実際わたくし、トルコ語がなくなると相当メシ食いにくくなりますしね)。
だからね…みなさん。みなさんの摂取された、トルコ養分・トルコ語養分、あるいは非テュルク系でもいいから、語学養分。それらのいずれかをぜひ私にもおすそ分けをしていただければと、私は常に願っております。
みなさんから少しずつ養分をいただいて、それが自分のトルコ語、あるいはテュル活にまた向き合うパワーの源にしようという、厚かましいっちゃ厚かましい要求ではありますが。
ですので、トルコ行ってきました、トルコ語やってみました。あるいは「トルコ」を「アゼルバイジャン」はじめほかの固有名詞に代えてもらってもいいので、ぜひぜひその手の刺激をくださいまし。
そうしたら、私も刺激でみなさんに返そうとがんばれるような気がします。
他力本願な内容になってしまいましたが、まとめると「オレ達、互いによい刺激を与えあっていこうな」くらいでしょうか。嗚呼、意識高いぜ…オレときたらよ…!
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