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挑戦状(という名の小テスト)

今やっている、オンラインでの授業(および講座)の話を一つ。

語学を教える立場になると、その言語を受講者に習得してもらうにはどうするか、ということを考えます。そうすると、週に1回、60分から90分程度の授業あるいは講座ではできることはだいぶ限られるという現実があります。

講座が多人数にわたる場合はなおさら。

外大のオープンアカデミーはまさにその典型的なパターンでして、私自身、最大25名を相手のトルコ語講座を担当するということは、よくよく考えたら今までもあまり経験したことがないかもしれません。

なんせ内容がトルコ語ですので、一つの講座の枠に50人も60人も来るというケースはそうそうないよね、という話はあるんですが。

ともかく、こういうときはやはり人数が少ないほうがやりやすいという面はあるのでしょうが、その話は今回はさておいて。

結局、週に1回触れてもらうだけでは、なかなか身につけてもらうのは大変だということは間違いないのですよね。そこで、と講師は考えます。講座以外の時間に勉強してもらえるような状況を作る必要がある、と。

これがオンラインであれ対面であれ、どのくらい可能かというのは今に限った話ではないのでしょうが、なんせ受講料を払って来てくださった方々です。きっと学習のモチベーションは高いに違いない、と判断します。

であれば、もうやることは一つ。課題の提示と、その採点作業ですね。昨年度はGoogle Classroomの使い方が今一つわかっておらず、正直なところまったく有効活用はできていなかったのです。

が、今年度は講座外の時間にもできるだけ意欲的な方のために、追加の資料(主に講座で扱わなかった単語)や力試しの問題を出そうと決めました。

その問題というのが、タイトルになっている「挑戦状」。まあそう勝手に呼ぶようにしただけで、要するに小テストを提示しているだけなのですが。「挑戦状」としたほうが、ノリが軽くていいんじゃないかと思ってそう呼ぶようにしました。難しそうな印象は与えなくてすむのではないかと。

なにしろ、文法用語に拒絶反応を示す人たちが世の中多いらしいと聞くではありませんか。たとえば「所有格」とか。「1人称」とかね。「現在形」はいいとして、「中立形」とか。ある派閥では「超越形」と呼んだりとか。
まあ、用語に脳のリソースを持っていかれたくないというところなのかもしれません。なるほどそれはわからないでもない。用語はあくまで、文法のしくみを整理するためのツールのようなものでしょうから(自信はないが)。それを避けたほうがとっつきやすく感じる人がいるとしたら、そこにある程度は配慮するほうが教える側としてはよいのかもしれないと思うなどします。

ということで、4月から始まっているトルコ語講座、今年度前半は計15回実施予定でして、現在は5回終わったところ。「挑戦状」は今のところ2回受講生の各位に「叩きつけ」ました。あと何回実施するかはまだ決めていませんが、折をみてこのあたりで、というときには出題しようと思っています。

解答の提出は、義務ではもちろんありません。そして、答えを辞書などで見てくれても実は全然かまわないのです。

時間的に余力のある人で、ちょっと辞書を引いてみようかなとか、答え合わせのために教科書をもう一度見てみようかな、と思ってくださる人が一人でもいるなら、これは実施した側の作戦勝ちですから。

「ちょっと辞書を引いてみる」、あるいは「教科書をもう一度見る」というのが、それ自体トルコ語の学習という行為ですからね。それを講座の時間外にやってもらえるというのはもう、一テュル活民および語学講師としての喜びでなくてなんでしょうか、という話なわけです。

答案を出してくださる方も、回を追うごとにちょっとずつ増えているのもうれしいところ。まあ…採点も私がしないといけないわけで、それはそれで自分のエクストラな負担にはなるわけですが(やろうがやるまいが、お給金は変わりませんから!)。

まあまあ、多少の犠牲は払いましょう。

なんせこちらには、常々言うようにトルコ語の知名度を少しでも上げることに貢献するという野心がありますのでね…。ということで、次の挑戦状はいつごろ出そうか、企みごとに余念がない土曜の朝であります。

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